これが現実に起きていることだとは、にわかには信じられなかった。
原発事故によって多量に降り注いだ放射性物質。それに対して、放射性物質を取り除く「除染」よりも、放射能を怖れる気持ちをこそ取り除く「心の除染」をすべきである――そんなことを主張する市長がいるというのだ。
それは、福島県伊達市の仁志田昇司市長。
今年2月に出版された『「心の除染」という虚構 除染先進都市はなぜ除染をやめたのか』(黒川祥子/集英社インターナショナル)には、原発事故後のあまりにも理不尽な「嘘のような本当の話」があますところなく描かれている。
福島県伊達市は、全村避難となった飯舘村の斜め上、そして福島市と隣接する人口6万2000人の市だ。福島第一原発からは約60キロ。そんな伊達市は、著者・黒川氏の生まれ故郷でもある。
著者が伊達市を取り上げたのは、自らの故郷であるという個人的理由からだけでなく、「原発事故のさまざまな問題の『縮図』が、ここ伊達市にあると思う」からだという。それは原発事故後の伊達市に「未だかつてなかった制度」である「特定避難勧奨地点」という制度が適用されたことに始まる。「地域」ではなく、「地点」。つまり、地点とは世帯、家。家ごとに特定に避難を勧奨するという制度だ。
これによって、何が起きたか。
「同じ集落、同じ小学校、同じ中学校に、避難していい家と避難しなくてもいい家が存在する。『勧奨』だから、避難はしてもしなくてもいい。年寄りが今まで通り自宅で農作業をしながら暮らしても、東電から毎月慰謝料が支払われる。一方、『地点』にならなかったら、子どもが何の保障もなくこの土地に括り付けられる」
この制度は2011年6月30日から12年12月14日までの実質1年半、存在した。その1年半の間に、地域社会はズタズタに切り裂かれたという。
ちなみに「地点」に指定された場合の優遇措置は以下の通り。
「市県民税、固定資産税、国民健康保険税、介護保険料、後期高齢者医療保険料、国民年金保険料、電気料金、医療費の全額免除。
避難費用、生業補償、家賃補助、通学支援、家財道具、検査費用の支給、日赤から家電6点セット(30万円相当)が支給される。義援金、援助物資を受け取る権利もある。
賠償として、東電から精神的慰謝料として家族一人あたり、月10万円。これは避難してもしなくても支給される」
同じ地域に住んでいて、隣の家がこれだけの優遇措置があるのに自分は何もない。これほど残酷に地域社会を分断するシステムはないだろう。
一方、伊達市は3.11があった年の夏、華々しく「除染先進都市」としてデビューした自治体でもある。市長は国際原子力機関(IAEA)本部にも招かれ、同市の除染担当職員・半澤氏は「除染の神様」と呼ばれるほどだ。その背景にいるのは、原子力規制委員会委員長・田中俊一氏。田中氏は事故後いち早く、伊達市の放射能アドバイザーに就任、除染を指導したのだ。
田中氏の名前が出てきた時点で既に怪しい雲行きだが、結果はどうなっているのか。
除染先進都市として名乗りを上げたものの、伊達市ではいまだ市内の7割を占める地域で全面的な除染が行われていないのだという。
「伊達市より『遅れて』ではあっても近隣自治体は、居住地への全戸全面除染を行っているというのに、住民の生活圏である宅地を放射性物質が降り注いだ『そのまま』にしているのは例を見ないと言えるだろう」
そんな伊達市は、「全世界で初めてとなる壮大な実験」を行った自治体でもある。
「個人線量計(ガラスバッジ)を約5万3000人もの全市民に1年間装着させ、実測値を得たのだ。この貴重なデータは今後、原子力国際機関はじめいろいろなところで活用されていくだろう。おそらく、被曝管理基準を緩和させるものとして」
事故直後から、伊達市の対応は被害を過小評価するものだった。
例えば4月14日の文科省調査「福島県学校等空間線量及び土壌モニタリング」によると、郡山市、福島市、本宮市、二本松市、伊達市の調査対象校でもっとも空間線量が高いのが伊達市の小国小学校。校舎外平均1メートルで5.2マイクロシーベルト、50センチで5.6マイクロシーベルト。が、3月23日という、もっと線量が高かったことが予想される時点で伊達市は小学校の卒業式を強行している。それも、親たちの不安の声を無視して。ちなみにこの年に卒業式をしたのは、仲通りの県北地域では伊達市と大玉村のみ。
新年度が始まると、そんな高線量の学校に子どもたちが通い始める。ちなみにこの小国小学校は、原発事故後も子どもが通う小学校の中で、もっとも高い放射線量だったという。しかし、自治体はなんのアクションもしない。それどころか、市の広報で市長は「何も心配ない、大丈夫」と繰り返す。
それだけではない。4月の時点で伊達市では、一部学校をのぞいて屋外活動が再開された。全村避難となった飯舘村とそれほど変わらない線量で、校庭の除染もされていないのに。そんな伊達市には福島県の放射能健康管理アドバイザー・山下俊一氏(ミスター100ミリシーベルトのあの人)も講演にやってきて「大丈夫」と繰り返す。他の人の講演でも、たばこやポテトチップスに問題がすり替えられてばかり。
そうして伊達市は、「子どもも放射能と『闘わせる』戦闘員として位置付け」る。学校給食の地産地消だ。
「この時期の食品の出荷制基準は、現在の5倍の500ベクレル/kgだ。放射能が降り注いで3カ月経ったか経たないかで、農家のために『子ども』も放射能と闘えと言っている」
不安に思った親が子どもに弁当を持参させれば、「気にしすぎる親、心配しすぎの親」というレッテルが貼られ、「放射能を心配する親」は、時が経つにつれ行政にモンスターペアレンツのような扱いを受けるようになっていく。
そんな伊達市では、前述した「特定避難勧奨地点」の設定などについて、住民の意見が一切反映されないというのも特徴だ。「住民説明会」が開かれても、区民会長などに限定され、子育て世代は参加できない。高齢者だけが密室で、重要すぎることを一方的に決めてしまう。原発事故によって剥き出しになる、自治体の権力性・暴力性。平時から民主的で開かれた行政であれば、決して起こりえないことだろう。
そんな伊達市の小国地区で、特定避難勧奨地点について、全住民を対象とした説明会が開催されたのは、地点の設定までわずか2日となった日。
「もしここに残った場合、どんなリスクを背負うことになるのか」という住民の質問に、国の原子力災害現地対策本部室長は「普通に暮らしていただいて問題はありません」と回答。「地点に漏れても、その子どもたちを守るために、国はちゃんと手当てをしてくれるのでしょうか」という質問には、「放射線被曝で健康影響が将来的に確認される場合、因果関係を含めて整理されるべきことですが、この場では言いにくいのですが、最後の司法の場の話になる可能性もあります」と、「勝手に裁判でも起こせ」というように突き放す。
「はっきり言ってここは、計画的避難区域にするべき場所なのではないですか!」
市会議員の一人がそう叫ぶと、会場からは一斉の拍手。
それにしても、地表1センチで100マイクロシーベルト/時を超えるような高線量の地域を抱えながら、なぜ、市はこれほどまでに「避難しない」ことにこだわるのか。市会議員の一人は言う。
「問題は、県庁です。小国から県庁まで直線で7キロ、裏道を使えば20分で行ける。ここを計画的避難区域にしてしまうかが、県と国の悩みの種だった。まさに、小国は県庁ののど仏ですよ。小国を計画的避難区域にすれば、渡利地区だって同じぐらいの線量ですから、ここもそうならざるを得ない。こうして避難が福島市に及んだら、何万人もの人間を避難させないといけなくなる。その人たちをどこに避難させるのか。当然、県庁も所在地を動かさざるを得ない」
住民の命や健康より、国や県の事情が優先される。
さて、特定避難勧奨地点の指定については、敷地内のたった2カ所の測定のみで、指定の根拠も曖昧。また、指定するにあたって「妊婦や子ども」への配慮も強調されたが、伊達市では「子ども」は小学生以下。南相馬市は「18歳以下」であるにもかかわらずだ。結果、中高生がセーフティネットから振り落とされる形となってしまった。そんな状況の中、自暴自棄になる中高生も当然出てくる。
「うっせーな! 気をつけろとか、放射能のこと、いちいち言うな。オレはどうせ、結婚できねえんだから、じいちゃんの作った野菜を食うぞ!」と言う高校生。
「だって、私、結婚できないから。もう、どうでもいい」と言う中学生。
フランスの測定機関に子どもの尿を送ると、セシウムが検出される。
一方、小国に隣接する保原町には、「特定避難勧奨地点」のことは何ひとつ伝わっていなかった。しかし、家の中でも3マイクロシーベルトくらいはある。子どもを抱える夫婦は避難を考えるものの、認知症が始まっている年老いた両親は頑なに「避難しない」と言う。今の家の住宅ローンを払いながら、避難先の家賃や生活費、高齢の両親の生活費までとても賄えない。
父親は、子どもたちに謝る。
「ごめんね。悪いけど、避難させてあげられない。お父さん、お金持ちなら避難させてあげられるけど、金がないから。でも、できる限りのことはするからな」
これほどに辛い「謝罪」があるだろうか。
一方、伊達市は7月、田中俊一氏の協力を得て、市内全域で除染をすることを宣言。また、「健康管理」として市民にガラスバッジをつけさせることを決定。そして市長は「放射能に負けない宣言」を発表し、市民に「除染の担い手であれ」と主張する。
市長は、政府主催のワーキンググループで以下のように述べている。
「私が一番問題だと思うのは、原発事故というのは現在進行形で、人災だという意識、これが市民の間にあるというのは問題だと。つまり、国、東電の責任だ、だから除染は国、東電が行うべきで、我々はやらなくていいのだ、こういう話なのですね。(中略)私は、そうではないのだよ、我々がやらなければだめなのだと言うためにも、支援センターを設置したわけであります」
なぜ、被害者であり「除染のプロ」でもなんでもない人々が、被曝しながら人災の尻拭いをしなくてはならないのか、私にはまったくわからない。さらに市長は、市民も「モンスターペアレント」扱いする。
「少子化と晩婚化による問題がある。過剰な愛情といいますか。ある懇談会で、(中略)50近い女性の方が、この子は私の40過ぎてから生まれたたったひとりの子どもだ、この子に何かあったら大変だ、こんな放射能のところに置いていいのか、こういうふうに私に言う。大丈夫です、この程度は大丈夫ですと言いたかったのですけれど、言ってもしようがないというか、理解されない。(中略)もともとモンスターペアレントというのがいまして、一部ですけれども、これが教師から行政へ向かっているというふうに私は考えております」
が、学校も頼りない。179マイクロシーベルトのホットスポットが放置されていた学校では、それを問いただす親に教頭が「公表すると動揺する」から黙っていたと笑いながら言う。親が騒ぐと子どもがいじめられるぞ、と脅す校長までいる。
さて、伊達市では12年に除染が始まるのだが、12年12月、今度は「特定避難勧奨地点」がまたまたなんの説明もなく解除される。避難していた世帯への支援も当然打ちきられ、住民は翻弄される。
そうして鳴り物入りで「除染先進都市」としてデビューした伊達市の市長は、13年はじめには「除染は手段であって目的ではない」と言い出し、「安全だと思えるようになるには心の問題という面もあります」などと述べ始める。また、3.11から3年目の節目には「除染の限界」を言い出し、「放射能に負けない宣言」をブチ上げ、精神論で乗り切ろうという方向に舵を切る。
そうして13年9月、田中俊一氏の後継者として伊達市のアドバイザーになった多田順一郎氏は、「除染からは、何一つ新しい価値が生まれませんので、除染作業は1日も早く終えて、将来に役立つ町づくりに努めようではありませんか」とコラムで呼びかける。そんな多田氏は現在、除染に多大な期待を抱かせたことを「反省」し、「全国の納税者と電気料金負担者に申し訳なく思って居ります」と書いているのだという。更に多田氏は全面除染を望んで声を上げる市民を、オウム真理教の信者やISにまで喩えて敵視するのだ。
さて、13年11月には、全市民が1年間ガラスバッジをつけて「実験台」となった計測結果が発表された。この結果を根拠として、除染は急激に終息に向かっていく。著者は以下のように書く。
「そうして仁志田市政を継続させ、伊達市は原子力推進機関にとって有利に作用する『実験場』としての使命を全うした。ICRP(※)の考えこそが『正しい』と頑なに信じる半澤ら市幹部、田中俊一から多田順一郎へのつながる市アドバイザーたちの手によって。
この伊達市の『実験』は今後、原子力災害が起きたときの貴重な『前例』となるだろう。不必要な除染はしないことで損害賠償費用を削減し、全市民が着用したという前提のもとでのガラスバッジデータから追加被曝基準も引き上げられていく。原子力を推進する勢力にとって都よく、使い勝手のいい『前例』が、福島第一原発事故後にこうして作られたのだ」
本書に登場する、娘を持つ女性の言葉が印象的だ。中学生の娘の甲状腺には、蜂の巣状の嚢胞が無数にある。それでも病院では「遺伝」と言われ続ける。
「今、全国で原発周辺に住んでいる人たちは、子どもの甲状腺エコーと血液検査をしておいてほしい。そうすれば、私たちのように、何かを隠されたままにされなくてすむから」
原発事故から、6年。事故も被害も現在進行形なのに、国も行政も、あまりにも冷たい。
本書のあとがきには、以下のような言葉がある。
「伊達市が守ったのは『市民』ではなく、『伊達市』だった。福島県も国も、同じだろう」
優先されるべきものが、どう考えたって間違っている。まず守るべきは、命だ。ただ、それだけのことなのだと、事故から6年、怒りを噛み締めている。
※ICRP:国際放射線防護委員会
(2017年3月15日「雨宮処凛がゆく!」より転載)