※ウガンダ北部における子ども兵問題に関しては、「「子ども兵」として、生きた。~認定NPO法人テラ・ルネッサンス訪問~(前編)」をご覧ください。
元少女兵アイーシャさん(仮名)へのインタビュー
テラ・ルネッサンス運営の社会復帰施設に通う、元少女兵のアイーシャさん(仮名)にインタビューを行った。壮絶な過去にも関わらず打ち明けてくれた彼女に感謝し、ここにそれを記す。
※内容は彼女の証言とスタッフの通訳に基づく。
(インタビュー中の様子。今回はプライバシー保護のため、顔は映していない(他生徒も同様)。)
2000年12月19日の真夜中、彼女は反政府軍である「神の抵抗軍(以下LRA)」に誘拐された。当時わずか12歳だった。
「拘束された時から、密林を歩き回る生活が始まりました。」そこには数え切れないほど多くの困難が彼女を待ち受けていた。
「一日中重い荷物を持たされ、森の中を走りました。休息は夜に少し取るだけ。非常に辛く、苦しいものでした。」この厳しい生活に慣れることは非常に難しかったと彼女は話す。
人が殺されるところを、幾度となく目撃した。LRAは、アイーシャに人殺しの現場を見せたがっていた。
(社会復帰施設での授業の様子)
2000年から2003年までの3年間、北部ウガンダの密林を歩き回った。その後政府軍によるLRAの掃討が勢いを増すと、ウガンダでの生活は非常に厳しくなった。2004年、彼女らは合計4回にわたって拠点をスーダン内へと移した。
(Googleマップより。ウガンダ周辺の地図。)
スーダンに拠点を置いている間も何度か政府軍による掃討があったため、拠点を更にコンゴ民主共和国(以下DRC)へと移した(2006年)。彼女は常にLRAと行動を共にしなければならなかった。それは幼い彼女にとって非常に辛く、大変なものだった。
(社会復帰施設が位置するグル市内の様子)
DRC滞在時、脱走を試みた。脱走のリスクは大きかった。脱走に失敗し再度捕まれば、それに対する罰は非常に厳しく、非人道さを極めていた。時にそれは、命を失う事に繋がった。
「ある夜に他の仲間と脱走を試みましたが、捕まり、鞭で200回叩かれました。それからは脱走する事は諦めました。」
(職業訓練に取り組む元少年兵の生徒たち)
コンゴの密林を、反乱軍と共に動き回る。そんな生活が長く続いたある日、子どもが産まれた。幼い子どもを連れながら、政府軍から逃れるため森の中を走るのは非常に大変だったと彼女は話す。
子どもを抱き、銃を担ぎ、身の回りの物を背負い森の中を走る。筆舌に尽くしがたいほど、辛かった。
コンゴから中央アフリカに移動し、またコンゴに戻り...、そんな生活が長く続いた。2014年、彼女は政府軍に救出されたが、2000年からの実に14年間、彼女は「少女兵」としての生活を強いられた。
救出後の生活は、密林での生活とは全く違う。ここでは人々がお互いの権利を尊重し合い、彼女らは守られる。
拘束されていた頃は何も言う事が出来ず、ただ命令に従うしかなかった。「荷物を運べ」と言われれば荷物を運び、「村を襲え」と言われれば村を襲った。命令に背けば殺されるまで罰が下された。
(テラ=ルネッサンスの中庭)
拘束から逃れ戻ってきた時、彼女には3人の子供がいた。持ち物は何も無かった。それでも、幸せだった。拘束から逃れられた。ただそれだけで、幸せだった。
「今はテラ=ルネッサンスで技術訓練や基礎教育を受けられる。その事が、今の自分を幸せにしてくれます。ここでの学びを活かし、卒業後はもう一度、自分の人生を変えたい。そして、子供たちの未来を支えたい。そう願っています。」
(ミシンの使い方を習うアイーシャさんと他の生徒たち)
テラ・ルネッサンスの詳しい活動に関しては、こちらをご覧下さい。
写真提供:認定NPO法人テラ・ルネッサンス
(2016年1月30日 「ウガンダ北部における子ども兵問題と元少女兵へのインタビュー-テラ=ルネッサンスを訪問して」より転載、一部修正・加筆。)
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