アフリカの大地で起こった20世紀最大の悲劇、「ルワンダ虐殺」。
ルワンダの虐殺についてここで詳しく触れることはしませんが、簡潔にまとめるならば、「1994年にルワンダで起きたジェノサイド(集団殺害)。100日間で、多数派フツ族により、少数派ツチ族と穏健派フツ族約80万人が殺害された」と表されるでしょう。
今回の記事では、一夜にして45000人が虐殺されたという技術学校の跡地、ムランビ虐殺記念館を訪れた際の記録と共に(前半)、その経験から芽生えた想いや考えを書こうと思います(後半)。
このトピックは非常に難しく複雑で、私のような小さな人間が偉そうに語ることなど許されるのかと不安にもなりますが、それでもやはり、考えなければならない。そして、伝えなければならない。そう思う次第です。
安置されている数百もの遺体を前にした、あの瞬間を思い出しながら綴ります。
※訪問は2016年1月7日
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一夜にして45000人が虐殺された技術学校の跡地、"ムランビ虐殺記念館"。
(独特な雰囲気を醸し出すムランビ虐殺記念館の入り口。足を踏み入れた瞬間、全身に鳥肌が立ったのを今でも覚えている。)
45000人の虐殺-。それが起きたのは1994年4月21日、私が生まれる前日の事だった。
"丘の上の学校に避難すればフランス軍の保護が受けられる"という市長と教会の司教の言葉に欺かれ、避難していたツチ族約45000人が過激派民兵に殺害された。
一人は斧で、一人は鉈で、一人は銃で。夫が妻を殺し、妻が夫を殺した。隣人が隣人を殺し、また隣人が隣人を殺した。21年と9か月前、まさに私が立っているこの場所で、老若男女関係なく多くの罪なき命が失われた。
殺害された遺体は、当初写真にある穴(mass grave)に放置された。この穴からは、無数の死体と遺留品が出てきたと言われている。
建物の中には、殺害された人々のミイラ化・白骨化した遺体が無造作に並べられていた。頭蓋骨の割れた遺体、赤子を抱いた母親の遺体、手足の切断された遺体、叫ぶように口を開けた子供の遺体...。部屋の中にはこれまで嗅いだ事の無い「死臭」が漂い、遺体は触るととても冷たく、決して人の身体とは思えなかった。
「世界から虐殺は無くなっていない。今この瞬間も、多くの人々が不条理な死に追いやられている。」という私の問いに、当時12歳だった方は、「世界は何も学んでいない。」と答える。
今日、虐殺の跡地では子供達が元気に笑う。ルワンダ虐殺から22年の月日が流れ、世界はどれだけ変わっただろうか。
先進国に生きる私たちは、テレビに映し出される世界の紛争や貧困を未だ「可哀想」の一言で片づけ、愛する家族や恋人とディナーを続けているのだろうか。
どれだけ恐ろしかっただろう。どれだけ悲しかっただろう。どれだけ悔しかっただろう。当時の状況を想像する事は出来ても、その奥底にある感情まで捉える事は究極的に難しい。
「世界は不条理だ。生まれた場所によって"命"の価値が変わってしまう。」
そんな現実を前に、今私たちは何を考えるべきだろう。
※今回、建物内部や遺体の写真は撮影していません。関心のある方はGoogleで検索してみて下さい。多少気分を害するかもしれないので、閲覧はあくまで自己責任でお願いします。
(2016年1月25日 「ルワンダ虐殺から22年。80万人の死から、世界は何を学んだのか?(前編)」より転載、一部改変。)
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