私は、直接に住民と向き合う地方政治をこころざし、千葉市長になった。しかし、千葉市は長年の間、市政の変革を行ってこなかったため、財政も危機的状況にあった。そこで『脱・財政危機宣言』を出して、人件費を削減し、配る福祉から支える福祉への移行をめざした。具体的には、こども未来局の設置、子ども医療費助成の対象拡大時における、最低限度の保護者負担額の継続などがある。
今後の目標として、ふつうの市民が政治に参画する都市作りを、考えている。
◇地方政治の道に入ったきっかけ
歴史が好きだった私は、戦後の政治史を学ぶうちに、政治に関心をいだくようになった。さらに、阪神・淡路大震災を経験したことが、政治家をこころざす直接のきっかけとなった。
政治といえば、すぐに国政をイメージされると思う。しかし、政治とは目的達成のため、コミュニケーションをとることである。一番身近なことを議論し、現実的に市民のニーズを把握する地方政治こそが、やりがいがあると思い、私は地方政治を選んだのである。
◇市長になった千葉市の状況
私が市長をしている千葉市は、人口97万人の政令指定都市である。政令指定都市は、自ら責任をもって行動できる点で、やりがいがある。
しかし、千葉市は過去60年間において、どの市長も助役経験者であり、私がはじめての民間出身の市長である。すなわち千葉市は、長年の間、市政の変革を行ってこなかった。
◇市長になってからの具体的な取り組み
千葉市の財政状況は、政令指定都市のなかではワーストワンであった。このままでは早期に健全化しなければ危ないという『早期健全化団体』に指定されるおそれがあった。そこで私は、『脱・財政危機宣言』を出して、予算の使い方を変えた。
先ず、人件費を削減し、次に事業費を見直して、『配る福祉』から『支える福祉』への移行をめざした。
具体的には、こども未来局を設置し、保育所と幼稚園を一括的にとらえて、長時間の預かり保育を行う幼稚園に助成金を出した。
また、入所を待っている保護者の方に保育所を行政から積極的にあっせんしたり、10年後の子どもの減少を見据えて、保育所を極力新設せず、既存施設の活用を基本とした方針を出した。
さらに、子どもの医療費について最低限度の保護者負担制度、母親だけでなく父親支援の実施、子どもが市に対して何を望むかを聞くなどの取り組みをしている。
その他、自ら企業を訪問し、経済を動かしている人の意見を聞いて補助金体系を変え、国際会議の誘致、民間人材の登用、さらには、千葉市でのパラリンピックの実現、ドローンの実用化などに向けたさまざまな取り組みをしている。
◇市長としての今後の目標
今後やりたいことは、行政の考えていることを市民にわかってもらうことと、市民にも、行政に参加していただくことである。
市民にまちのサポーターになって地域の課題を発見・解決していただく「ちばレポ」というシステムを導入しており、市民全員に普及させたい。
また、どういうふうに政治を変えていくかを議論していく、普通の市民の政治への参画が必要であると考える。皆が何を重要と考えるのか、情報をオープンにし、優先順位の議論ができるようにする、それを千葉市政の中で実現させたい。
◇質疑応答より
・すでに成人した若者に、政治への参画を促すには。
↓
ツィッターなど、その人たちに届くメディアを用いて、その人たちが関心をもつ選択肢を提示すること。
・人を説得するには。
↓
敗者をつくらないこと。両者の立場と体裁を守って、自分のなかで結論は決まっていても、どうやったらこの結論に納得させるプロセスをつくることができるかを、考えることが大切である。
熊谷俊人氏のプロフィール
熊谷俊人(くまがい としひと)
千葉市長
1995年1月 阪神大震災 被災
1996年3月 私立白陵高等学校卒業
2001年3月 早稲田大学 政治経済学部卒業
4月 NTTコミュニケーションズ株式会社入社
2006年 民主党の市議会議員候補公募に応募、合格
NPO政策塾「一新塾」第18期生
2007年4月 千葉市議会議員選挙(稲毛区)に立候補、当選
2009年6月 千葉市長選挙に立候補、当選
31歳で市長に就任(当時全国最年少)、政令指定都市としては歴代最年少
2013年5月 千葉市長選挙に立候補、当選
現在に至る
講義データ (2016年5月11日に開催された、政策議論講義「千葉市政改革~市政から日本を変える~」より)
編集担当 日本政策学校ライター 福江真里子