今朝の新聞で海運専門家が、今回の事件はシーマンシップ(seamanship)の喪失がもたらした惨劇と言っていました。全く同感の指摘です。危機に対処するセウォル号の乗組員の態度は無能を超えて無責任の極致です。
私には、最も下級の船員だった22歳のパク・チヨンさんが、船長や他の乗組員よりもはるかにシーマンシップが強かったように見えます。彼女は10回以上も乗客を脱出させるかどうか尋ねたのに、何の返答もなかったというのは、船の司令塔がどれほど無能で無責任かを端的に示す事例です。その乗組員たちが専用無線機で、自分たちだけ脱出しようと交信して操舵室に集まり、慣れた通路から脱出するというとんでもないことも起きていました。爪の垢ほどのシーマンシップがあれば、そんな露骨な真似はできなかったでしょう。自分の脱出より乗客の脱出が先という、幼い子供でもわかる責務はどこへいったのでしょう?
ところで徐々に、問題の核心は別にあることがわかってきました。
安全の中核をなすデッキや機関士の70%が非正規職というニュースを見て、私は愕然としました。
非正規職の船員であれば当然、緊急事態への対処能力は脆弱でしょう。
いつ解雇されるかも分からない非正規職の従業員に、徹底したシーマンシップを要求することも難しいだろうと思います。
仮定の話ですが、もし経験豊富で、使命感あふれる正規職員が船を運航していたなら、危機対応能力ははるかに大きかったでしょう。
結局、わずかな人件費を節約しようと安全の核心部分に非正規職を大挙投入したことで、悲劇を招いたと見ることができます。
韓国社会はいつからか、労働市場の柔軟性という名のもとに非正規職が流行しています。
どの職場にも非正規職があふれています。
昨今の若者たちが感じる不安は、この現象と無関係ではないと思います。
正規職を非正規職に置き換えて国家レベルで得られる利益はそう大きくありません。
資本家に回る利潤がその分大きくなり、商品の価格競争力は少し高まり、消費者は低価格の恩恵を多少は受けるでしょう。
しかし、労働の当事者にとって、正規職と非正規職は天と地ほど違います。
事故を起こした海運会社は正社員を雇えば、それだけ船賃を上げなければならないため、消費者が不利益を被ると抗弁するかもしれません。
しかし、消費者がみんなでもう少し高い船賃を払えば、多くの船員が正規職の安定を享受することができるでしょう。
消費者もはるかに安全な旅をすることができるはずです。
社会全体で見ても、はるかに望ましい状況ではありませんか?
韓国の知識人はアメリカばかり追いかけようとしています。
労働市場の柔軟性という概念もMade in USAの性格が強いですし。
アメリカに比べ、欧州の労働市場は比較的硬直です。
アメリカの人々は、このようなヨーロッパを「動脈硬化症」などとよく笑います。
しかし、ヨーロッパの人々は、生活の質の向上のために自主的にそのような硬直性を選択したと見るべきです。
アメリカ人がヨーロッパの人々を嘲笑する資格があるのか本当に疑問です。
複数の指標がヨーロッパの方がはるかに健康で、より幸せであると示しています。
新自由主義が韓国に与えた害は、あまりにも大きく多方面にわたります。
労働市場の柔軟性を口実にした非正規職の拡散もその一つです。
今回の事故をきっかけに、この問題をもう一度真剣に反省する必要があると思います。
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