落ちこぼれ競馬の逆襲 どん底から生き延びました(上) 「もうからないならやめて当然」?

いま高知県には中四国唯一の競馬場がある。競輪場もある。一発当てたい人が多いのか、今度は当たるという楽天的な遺伝子を持った人が多いのか。

いま高知県には中四国唯一の競馬場がある。競輪場もある。一発当てたい人が多いのか、今度は当たるという楽天的な遺伝子を持った人が多いのか。もうけを出していたときは競馬も競輪も仲良く共存したが、赤字になると風向きは一変。2002年、県は高知競馬の廃止を打ち出した。累積赤字は88億円。黒字に変わる見込みも立たなかったからだ。だれもが高知競馬はもう終わりと思ったのだが...。赤字体質の地方競馬の中でも「全国最弱」といわれた高知競馬は、いまも元気に残っている。高知競馬の逆転劇は、なぜ起きたのか。

(取材・文・写真/工藤郁子)

■社内抗争まで勃発?! 書き続けた天才記者

2002年、高知競馬の即時廃止は当然のこととされていた。高知新聞の社説には「官害」「破たん処理スキームの構築こそ急ぐべき」とのフレーズが踊る。2000年度から3年間という経営再建期間を与えられたが、赤字の積み増しに終わったからだった。

賭博(ギャンブル)は刑法で禁止されている。治安を悪化させるからというのが主な理由だ。ところが、戦後復興など国や地方自治体の財源確保を理由に公営ギャンブルがはじまった。赤字の公営ギャンブルは、財政貢献ができていないので、本来の目的を果たしていない。経営再建のため税金投入するのはおかしい。いわば当然の論旨だった。

こうした意見に真っ向から反対したのは、あろうことか同じ高知新聞の社会部記者、石井研である。

石井は同僚から「社内で唯一、この俺がバカにできる人間」と評されたりする変わり者。上司の顔色なんて見たことはない。というより自分の上司が誰かもよく分かっていない。上の人たちには「仕事をしない奴」と見られているが、本気で原稿を書くと(なかなか本気にならないらしい)他の追随を許さない。その筆力、取材力は、若いときから「天才」と評されてきた。上の一部からは疎まれ、同僚には愛され、下には尊敬される。そんな記者だ。

その石井が後輩の小林司と組んで「『高知競馬』という仕事」と題する連載をはじめた。2002年5月のことだった。夢を追って高知から中央に遠征する馬とその調教師、厩務員。天才・安藤勝己の「攻め馬」によって変貌したオグリキャップ。神様と慕われる蹄鉄師の技術と見習いたちの苦闘。廃止になって、人も馬も散り散りになった新潟競馬の様子。体を張っても月給十万円を切る騎手たちの放漫経営に対する憤り。闇起債や資金転がしで赤字を膨らました公務員と、それを疑問視する職員...。「負債88億円」という短い表現に片付けられていた人と馬の営みを、手で触れられそうな質感と熱をもって、石井は描いた。

一列に並んで挨拶した後、騎乗するため駆け出すジョッキーたち

社会部記者の石井や小林は、同じ社の論説委員や他部の記者から「あれはなんや」「行財政ルールからしても廃止は当然。書き方がおかしい」と強い抗議を受けた。時には議論し、時には受け流しながら、石井たちは思いのままに連載を続けた。しかも石井はそれらの議論を紙面に再現し、「ルールか雇用か」という記事を書く。転んでもタダでは起きない。

連載の効果があったのだろう、2003年3月に高知県議会はひとつの政治的決断をした。新たな運営赤字を出さないことを条件に、高知競馬の累積債務88億円を高知県と高知市で負担すると決めた。借金を「帳消し」にしたのだ。「雇用」や「地域経済」への配慮が理由だった。金利負担がなくなれば、黒字転換できるかもしれない。そうなれば存続も夢ではない。一筋の希望が見えた。

1年後、その希望を後押しする馬が登場する。

88億円の赤字を「帳消し」にして、いまも元気に走る高知競馬

■ハルウララをプッシュした元県庁エース

2004年6月、金曜夕刊の裏面を一面丸々使った「フリースペース」に、馬と人の巨大な写真が掲載された。気難しそうな馬が甘えるように顔を寄せ、若い厩務員がわずかに微笑む。「1回くらい、勝とうな」と題された長文の記事は石井が書いた。「負け続ける難儀な馬」と、廃止の瀬戸際でも馬を処分せずに走らせ続ける人間たちについて、軽やかでありながら熱のこもった文章を書いた。主人公の馬の名は、ハルウララ。

石井の記事は瞬時に話題になった。「これ、もう見ちゅう?」。職場で、待合室で、新聞が回し読みされる、そんな光景が見られた。この記事ひとつをきっかけに、ハルウララという社会現象がうねり始めていった。あれからもう10年。高知市の飲み屋でビールをちびちびなめながら石井が振り返る。「あれはね、写真が良かった。ほんまにそんだけ」

石井の記事を見て最も鋭敏に反応した一人が前田英博だったかもしれない。当時、前田は県庁から県競馬組合に出向し、組合管理者を務めていた。つまり高知競馬のトップだった。一刻も早く黒字化しないと、つまり少しでも収入を増やさないと、高知競馬はつぶれてしまう。そのことを最も知っているのが前田であり、前田は高知競馬を存続させようと必死だった。そんな前田の目に、ハルウララは「この馬、話題になるかも」と映った。同じ発想を持つ職員に頼み、すぐに全国紙やテレビ局へハルウララの写真と資料を送らせた。

そのときのことを、前田はこう振り返る。「勝ってる馬を売り出そうとしたんやけど、全然当たらんかった」。県庁を引退し、この3月まで民間会社の役員。ビシッとしたスーツに身を包み、福々しい顔をほころばせる前田が目の奥をぎらりと光らせた。「ところが、負けてたんが当たったんや」。山っ気たっぷりの語り口は、元県庁職員より起業家といった風情だ。

前田は高知県庁を揺るがせた「闇融資」事件(2000~2001年。別名モード・アバンセ事件)のとき、高知県警に逮捕されたという苦い経験を持つ。「闇融資」では副知事から班長まで、商工労働部の決裁ラインにいたほぼ全員が逮捕された。闇融資の実行当時、前田は商工政策課長だった。起訴はされなかったので、表面的には前田の経歴に傷はついていない。が、商工部門のエースとして歩むべき道からは外れた。闇融資が露見したとき、命じられた行き先が、高知県競馬組合だった。

ハルウララを押しだそうとする前田の試みがすぐに成功したわけではない。最速と勝利を至上とする競馬関係者にとって、負け続ける馬は「邪道」だ。ハルウララの生産牧場を経営する信田義久も、苫小牧民報の取材に対して「競走馬は勝つことで評価を得る世界。生産牧場としても負け続ける馬を生産したとしか評価は受けない」「うれしくない」とコメントしている。それでも、前田に迷いはなかった。

 じわりじわり、ハルウララは競馬以外の世界で超人気者に育っていった。折しも世は不景気とリストラ、市場原理の時代。負けても負けても走り続けるハルウララは「負け組の星」とまで呼ばれるようになった。いまこそ高知競馬を売り出すぞ、と前田は次々に策を打ち出す。ハルウララのCD、切手シート、キーホルダー、帽子、Tシャツ、ハルウララの尻尾の毛が入ったお守り。グッズ販売を手掛ける「サポートKRA」も設立した。「公務員には限界があったき、任意団体を別に立ち上げさせたんよ」と前田。ハルウララはニュースになり、ワイドショーで特集され、重松清ら何人もの人が本にし、広末涼子のナレーションでテレビ番組になり、渡瀬恒彦が主演して映画化までされた。

 ハルウララ効果もあり、「再建初年度」は、2500万円の黒字を出した。高知競馬は全国の地方競馬の中でも「最弱」と形容されるほど経営基盤は弱かった。廃止必至だった高知競馬が、なんと黒字を出した、ひょっとするとほんとうに存続できるかもしれない、と一部の関係者は思い始めた。この心理効果は大きかった。ほんの少しではあるが、ハルウララをきっかけに高知競馬はその後も黒字を出し続けることになる。

高知競馬場スタンドに描かれた等身大のハルウララ

■「再生屋」の意味 馬たちも存続を支持?

高知競馬を支えるファンたちは、小銭と競馬新聞と、杖を握りしめて楽しむ。中高年の男性が多いが、車椅子やベビーカーを押して団らんする家族もいる。若いカップルもいる。馬のお披露目を行うパドックでは「赤岡くん、がんばりや!」といったローカルな声がかかる。南国の大らかさからか、規模が小さくて距離が近いからか、ほのぼのしていた。他の競馬場のように「カネ返せ!」「やめちまえ!」などと怒号が飛ぶことはほとんどない。

パドックからスタンドに向かい、出走の一瞬を待つ。ゲートが開き、もうもうと土ぼこりをたてながら過ぎ去る馬たち。実況の合間に、かすかだが鞭の音も聞こえてくる。そしてゴールで一喜一憂。そうした40分間を、数百円で、めいっぱい楽しむ人たちがいる。

のどかな雰囲気の高知競馬場のパドック

「88億円の赤字を帳消しにして、良かったのだろうか」とファンに問えば、当然、肯定するだろう。馬主、騎手、調教師、厩務員といった高知競馬関係者432人も同様だ。

高知競馬は、中央競馬の故障馬を引き取って走らせ続けるという一面も持つ。その技術は高く、業界では「再生屋」と呼ばれている。殺されて馬肉となってしまうかもしれない競走馬たちの命は、ここに来て延びる。だから、馬たちも存続を支持していると思う。

高知競馬存廃問題は、鉄道等の第三セクター存廃論と似たような構造をもつ。誰のために存在するのか、ほんとうに必要なのか、赤字になったらどうするか、雇用をどう考えるのか。そんな論議が、おそらく全国で繰り返されている。いま検討が進むカジノ法案とも関連するだろう。カジノを中心にした統合型リゾート施設をつくるということは、ひとつの「生態系」を生み出すのと等しい。そのことが、高知競馬を見ているとよく分かるのだ。  (敬称略)

(続く)

この記事はジャーナリストキャンプ2014高知の作品です(デスク:依光隆明)

【プロフィール】くどう・ふみこ

1985年東京都生まれ。週末になると府中競馬場に通う父とそれに眉をひそめる母の元で育つ。

普段は広報業務に携わり、また、キャンペーンと政策に関する研究も行う。

今回の取材で初めて馬券を買った。戦績は3勝5敗。ビギナーズラックは終わったと感じている。

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