またかよ。どこかの重役が頭を下げています。何かの謝罪会見です。見飽きたね、このシーン。むかし重役といえば、吉田茂や社長シリーズの森繁みたいにえっらそうに反り返っているものでした。近頃は消費者に見せる頭頂部の申し訳なさが出世の条件のようであります。
A航空の副社長も、B省の局長も、ハイヤーをやめて電車通勤しているそうです。エコで庶民的で、何よりです。でも、それがぼくらのお望みだったのか?重役が軽役に落ち込み、行動が大衆レベルまで下がり、運転手さんは職を失い、代わりに生まれたものは謝罪コンサルであります。
「連想ゲームの男性キャプテンが出すヒントはわかりにくい。」「野球中継の解説者が、ど真ん中と言った。真ん真ん中と言うべきだ。」新聞の投書欄で、高齢者の苦言を読むたびに、自分も引退してヒマになったら、葉書に万年筆でそんなことをしたためるのだなぁと思っておりました。連想ゲームを心して視聴せねばと思っておりました。
気がつけばネット時代。日テレ土屋敏男さんが、テレビが面白くなくなった理由の一つに、クレームの増加を挙げていました。切手代はらって葉書にペンでしたためてポストに持ち込まなくても、ケータイでピッ。それらに誠実に対応せねば、炎上したり、ガバナンスが問われたり、コンプラ委員会が動いたり。いきおい、制作が収縮してしまうのであります。
参院選の最中、EXILEが出演した番組をNHKがオンエア中止する事態が起こりました。メンバーが候補者と並んで立つ様子が候補者ブログやフェイスブックに表示されていたので、 "選挙期間中は政治的公平性に疑念を持たれないよう配慮し"、そのような措置を取ったというてんまつです。
ぼくもある候補者のサイトに登場していたため、選挙期間中の番組オンエアが延期されたり、録画した部分がカットされたりしました。プチEXILEとして、関係者にご迷惑をおかけしたことで謝罪しなければなりますまい。
でも、そうなると、ネットにはいろんな有識者やタレントが政治家とからんだ映像がたっぷり残っているので、これから選挙のたびにオンエアできない事態が続出します。今回、自分が当事者だったので申せませんが、無関係だったら、「そんなのいいんじゃないの」、と言います。
これはコンテンツだけのことではありません。全ての領域で、こうした収縮が続いています。それは明確なクレームを待つことなく、クレーム来るんでねえの、やめとけ、という重く垂れ込めた「空気」が支配しているのであります。
やべえな。「まずいことが起きると、じゃやめとこ、締めてしまおう、となる安全志向。超自粛モードです。そして自縄自縛で動きが取れなくなる。そんな情勢が続いています。」ということを、2年前にブログに記しました。震災後の自粛ムードは去ったかに見えて、その病がまだ続いているのであります。
「一億総びびり症」
ぼくが手がける教育情報化にしても、学校にネットをつなぐとプライバシーが流出するおそれがある、ということで、多くの学校が外部に接続できません。ましてソーシャルメディアを使っている小学校はほぼゼロ。韓国がソーシャルメディアで学校と先生と家庭をつないで開かれた学校を達成しているのとは深々とため息が漏れる差がございます。
次のチャンスと目されるビッグデータ。その中核である個人情報について、日本では公開に慎重な人が多いんです。日米英韓など6カ国で行われた「第三者への実名公開を許容できるか」というアンケート調査の結果、日本は「許容できない」と答えた人が57.3%に達し、最高だったといいます。縮こまってます。
ネット選挙運動も医薬品ネット販売もマイナンバーも、自民党政権の一押しで、やっとこさ導入に至りましたが、これだけ遅きに失したのは、こんなことが起きちゃうかもしれない、という起きてもいないことへの心配でありました。
コトを前に動かす、こうした政治の動きが出てきたことは慶賀に堪えません。ただ、社会全体を覆うびびり感はまだ重い。気がします。ホントはこういうことは、データで申し上げないといけないのですが、うまく数字が示せません。これを追認したり、あるいは逆だと示すようなデータがあればお教えいただきたい。
申し上げたいことは現状分析ではありません。今どうすべきかであります。長い間の不況や停滞にソーシャルメディアが染み渡り、ネガティブなベクトルをみんなが共有している、のが現状でしょう。それを打開するには、ポジティブなベクトルを、ことさらに、打ち出していくのがいいんじゃないでしょうか。
「それはダメだ。なぜなら、まずいことが起きるかもしれないからだ。」というネガティブに対し、「やったらいいじゃないか」というポジティブ情報をかぶせていく努力であります。幸いなことにというか、あらかじめ分かっていてそうだったのか、ソーシャルメディアには「いいね!」や「イイネ!」という意思表示の機能が組み込まれています。それをもっと声高に、使い込みたいところです。
幕末、京の都、慶事の前触れとばかりに「ええじゃないか」と大衆が踊り巡った、そんな根拠のない元気が欲しいところです。景気の期待感をあおるアベノミクスは、それを狙ったものかもしれませんが、経済だけでなく、社会の空気を換えるやみくもな仕組みが欲しいと言いますか。「いいね!」を積み上げて、空気にしていって、社会としての「ええじゃないか」に持ち込めないものか。
NHKのEXILE中止は、苦渋の決断だったはずです。だからといって、そこに理解を示すより、やったら「ええじゃないか」と現場や経営を後押しする明示が必要なのではないでしょうか。
武雄市の図書館がCCCを指定管理者にしました。千葉市長が印鑑証明という「前時代的な」手段を見直すと明言しました。いずれに対しても強い懸念を表明する方々がいます。普通の首長であれば、その空気に潰されていたでしょう。
でもぼくは今、こういう打開、こういうパンクを「ええじゃないか」と支持したい。やらないことでの現状維持より、危険をにらみつつ「やる」ことへの踏み込みに対して、リスク承知でいいね!いいね!を意思表示する。そんな心持ちを広げることはできないでしょうか。
間もなく京都五山送り火です。2年前には被災地の薪を燃やすかどうかで、すったもんだがありました。結局、批判に押し込まれて、被災松の使用は中止となりました。ずいぶん小さな国になってしまったものだと思ったものでした。
今年も送り火を眺めに戻ります。今年の空気はどうでしょう。「ええじゃないか」川原で一人、踊ってきますかね。
(この記事は7月25日に「中村伊知哉Blog」で公開された記事の転載です)