大人になったふたりの娘の父親として学んだ5つのこと

思春期に娘たちはいったん離れて行ってしまうかもしれない。だが、心配する必要はない。やがて立派に育った娘たちは、父親のことを許し、すべてを受け入れて帰って来てくれるだろう。そして、ありのままの父親を愛してくれるだろう。

 20代後半の娘がふたりいる。

 長女は結婚して、すでに孫もいる。

 僕は百貨店勤務が長く、彼女たちがまだ小さかった頃、土日や祝日は充分に娘たちと過ごす時間がなかった。

 そういう時間的な制約だけでなく、僕自身も、30近くなっても、まだまだ未熟な人間で、とても立派な父親とは言えなかった。

 長女は、口下手で本好きの僕に似た性格で、思春期になっても僕との間に大きな溝ができることはなかった。

 理由は忘れたが、なんだかの理由で部屋に閉じこもって泣き、出てこなかったことがあったが、たいてい話は通じた。

 次女は運動とファッションが好きで、本や勉強は大嫌い。思春期のころ、僕と共通の話題はほぼ皆無で、たまたま車にふたりきりになると、石のような思い沈黙が僕らの間を塞いだ。

 思春期を過ぎ、大学受験や就職、結婚などを経て、20代後半になった娘たちと僕のあいだには、もう、壁はない。

 あれほど話が通じないと思っていた次女ともツーカーになった。

 僕も、さまざまなイベントを経て、やっとまともな父親になれたのかと思う。

 その途上にいて、当時はわからなかったこと、たしかに、学んだなと思えることを、書いてみたい。

1.制約があって共に過ごす時間が少なくても、いざというときに、どれほど愛しているかを行動で示せば良い

 子供たちは、もちろん、愛情に飢えている。母親だけでなく、父親の愛情にも。しかし、愛情を示すこと、それを伝えることは、なかなか難しい。

 接客業だったので、世の中が休みで、家族で行楽に行ったりしているとき、僕はたいてい店頭にいた。嫁がその時の寂しさを今もときどき話すことがあるので、小さな娘たちも寂しかったのだろう。

 まだ小さなラブが我が家に来た時、僕がラブにばかり気を使うので、もう成人していた次女が急に泣きだしたことがある。「ラブは来てすぐにパパにこんなに愛されて羨ましい」と言って。

 しかし、世の中には、僕のような状況にある父親も多い。授業参観やクラブの試合にいつもいけないから、娘たちへの愛情を示せないということはないはずだ。

 結果的に、僕は、いま、こう考えている。

 何かを犠牲にして無理に一緒にいる時間を増やすことだけが、愛情を示す方法ではない。

 最も大事なことは、ここぞという時、娘たちがたいせつな岐路に立っている時、娘たちが困っている時、娘たちが悩んでいる時に、すべてを投げ出しても、助けてやるという気持ちを見せること、そういう行動をとることだと思う。

 そういう機会は多くはないが、娘たちが大人になる前に、何度か訪れるだろう。

 そして、その時に父が何を言ったか、どういう行動をしたかということは、遊園地での思い出よりもはるかに鮮烈に深く、娘たちの心に残るだろう。

2.娘に自分の理想の生き方を押しつけない

 僕は起業してしばらくのあいだ、娘たちも、自分で事業をすれば良いのにと、本気で思っていた。

 多くの父親が、自分の夢や自分の価値観を、娘や息子に押しつける。

 冷静に考えてみれば、すぐにわかる。

 自分ができたことが、娘にもできるとは限らない。

 自分のできなかったことが、娘にもできないとは限らない。

 自分の理想と、娘の理想は違う。

 世界を見ている角度が自分と、娘とは違う。

 望んでいるものが、自分と娘とは違う。

 父親になるということは、そんな当たり前のことを忘れさせてしまうのだ。

 そして、それに気づくことができない父親もいるほど、そのことを真に気づき飲み込むことは難しいことなのである。

 なぜなら、それを認めることは、自分の生き方を否定することでもあるからだ。

3.母親ともめているときは、娘の立場になって考えてみる

 母と娘の喧嘩は激烈だ。

 同姓である分、上に書いたような価値観の違いを、母親が飲み込むのが難しいからだ。

 そんな時、とにかく喧嘩が激しい時は、いったん、娘の側に立って、なぜ娘がそんな風に考えているのか、じっくり話を聞いてやったほうが良い。

 すこし距離がとれる分、冷静に話を聞くことができる。

 父親がいつも正しいとは限らないように、母親のいうことも、いつも正しいとは限らないのである。

4.世の中の厳しさとそこで生き抜く方法を教える

 この厳しい世の中を、どうやって生き抜いていくのかということを、両親は子供に教える。

 母親が教えることができるのは、女として、あるいは母としてどうやって生きるかということだ。

 そして、父親が教えることができるのは、もう少し、実際に役に立つ具体的な技術だ。

 たとえば、お金をどうやって使ったらいいのか、どうやって貯めたらいいのか、企業や法律の仕組みや、会社のなかでどうやって立ちまわったら良いのか。騙そうとして近づいてくる人たちとを見抜く方法や、事故に合わずに運転するにはどうしたらよいのか、そして、どういう男を伴侶に選べば良いかなどである。

 もちろん、娘たちは、父親の毎日を見ている。自営業ならその背中で教えることができることは多いだろう。

 だが、そうでなくても、父親がわざわざ教えてやるべきことは多いのである。

5.自分の弱さも不完全さも隠さない

 娘たちが父親にもっと愛して欲しいと思っているように、父親も娘たちからもっと愛して欲しいと思っている。

 そして、愛してもらうためには、立派な父親でないといけない、娘が描く父親像に少しでも近づかなければならないと思う。

 しかし、誰も、完全無欠な父親なんかにはなれない。

 娘たちが父親の描く理想の娘でないのと同じように、父親も、多くの欠点をもち、多くの間違いをする、平凡でとるにたらない男のひとりなのだ。

 だから、それを娘に隠す必要はない。 

 そういう自分を、あえて見せることもお互いのために、大切なことなのだ。

 思春期に娘たちはいったん離れて行ってしまうかもしれない。

 だが、心配する必要はない。

 やがて立派に育った娘たちは、父親のことを許し、すべてを受け入れて帰って来てくれるだろう。

 そして、ありのままの父親を愛してくれるだろう。

 娘の父親であるということは、間違いなく、この世界でもっとも光り輝く喜びのひとつである。

 そして、それは、思春期の断絶期間があるからこそ、さらに輝きを増すのである。

photo by Hamama Harib