20代後半の娘がふたりいる。
長女は結婚して、すでに孫もいる。
僕は百貨店勤務が長く、彼女たちがまだ小さかった頃、土日や祝日は充分に娘たちと過ごす時間がなかった。
そういう時間的な制約だけでなく、僕自身も、30近くなっても、まだまだ未熟な人間で、とても立派な父親とは言えなかった。
長女は、口下手で本好きの僕に似た性格で、思春期になっても僕との間に大きな溝ができることはなかった。
理由は忘れたが、なんだかの理由で部屋に閉じこもって泣き、出てこなかったことがあったが、たいてい話は通じた。
次女は運動とファッションが好きで、本や勉強は大嫌い。思春期のころ、僕と共通の話題はほぼ皆無で、たまたま車にふたりきりになると、石のような思い沈黙が僕らの間を塞いだ。
思春期を過ぎ、大学受験や就職、結婚などを経て、20代後半になった娘たちと僕のあいだには、もう、壁はない。
あれほど話が通じないと思っていた次女ともツーカーになった。
僕も、さまざまなイベントを経て、やっとまともな父親になれたのかと思う。
その途上にいて、当時はわからなかったこと、たしかに、学んだなと思えることを、書いてみたい。
1.制約があって共に過ごす時間が少なくても、いざというときに、どれほど愛しているかを行動で示せば良い
子供たちは、もちろん、愛情に飢えている。母親だけでなく、父親の愛情にも。しかし、愛情を示すこと、それを伝えることは、なかなか難しい。
接客業だったので、世の中が休みで、家族で行楽に行ったりしているとき、僕はたいてい店頭にいた。嫁がその時の寂しさを今もときどき話すことがあるので、小さな娘たちも寂しかったのだろう。
まだ小さなラブが我が家に来た時、僕がラブにばかり気を使うので、もう成人していた次女が急に泣きだしたことがある。「ラブは来てすぐにパパにこんなに愛されて羨ましい」と言って。
しかし、世の中には、僕のような状況にある父親も多い。授業参観やクラブの試合にいつもいけないから、娘たちへの愛情を示せないということはないはずだ。
結果的に、僕は、いま、こう考えている。
何かを犠牲にして無理に一緒にいる時間を増やすことだけが、愛情を示す方法ではない。
最も大事なことは、ここぞという時、娘たちがたいせつな岐路に立っている時、娘たちが困っている時、娘たちが悩んでいる時に、すべてを投げ出しても、助けてやるという気持ちを見せること、そういう行動をとることだと思う。
そういう機会は多くはないが、娘たちが大人になる前に、何度か訪れるだろう。
そして、その時に父が何を言ったか、どういう行動をしたかということは、遊園地での思い出よりもはるかに鮮烈に深く、娘たちの心に残るだろう。
2.娘に自分の理想の生き方を押しつけない
僕は起業してしばらくのあいだ、娘たちも、自分で事業をすれば良いのにと、本気で思っていた。
多くの父親が、自分の夢や自分の価値観を、娘や息子に押しつける。
冷静に考えてみれば、すぐにわかる。
自分ができたことが、娘にもできるとは限らない。
自分のできなかったことが、娘にもできないとは限らない。
自分の理想と、娘の理想は違う。
世界を見ている角度が自分と、娘とは違う。
望んでいるものが、自分と娘とは違う。
父親になるということは、そんな当たり前のことを忘れさせてしまうのだ。
そして、それに気づくことができない父親もいるほど、そのことを真に気づき飲み込むことは難しいことなのである。
なぜなら、それを認めることは、自分の生き方を否定することでもあるからだ。
3.母親ともめているときは、娘の立場になって考えてみる
母と娘の喧嘩は激烈だ。
同姓である分、上に書いたような価値観の違いを、母親が飲み込むのが難しいからだ。
そんな時、とにかく喧嘩が激しい時は、いったん、娘の側に立って、なぜ娘がそんな風に考えているのか、じっくり話を聞いてやったほうが良い。
すこし距離がとれる分、冷静に話を聞くことができる。
父親がいつも正しいとは限らないように、母親のいうことも、いつも正しいとは限らないのである。
4.世の中の厳しさとそこで生き抜く方法を教える
この厳しい世の中を、どうやって生き抜いていくのかということを、両親は子供に教える。
母親が教えることができるのは、女として、あるいは母としてどうやって生きるかということだ。
そして、父親が教えることができるのは、もう少し、実際に役に立つ具体的な技術だ。
たとえば、お金をどうやって使ったらいいのか、どうやって貯めたらいいのか、企業や法律の仕組みや、会社のなかでどうやって立ちまわったら良いのか。騙そうとして近づいてくる人たちとを見抜く方法や、事故に合わずに運転するにはどうしたらよいのか、そして、どういう男を伴侶に選べば良いかなどである。
もちろん、娘たちは、父親の毎日を見ている。自営業ならその背中で教えることができることは多いだろう。
だが、そうでなくても、父親がわざわざ教えてやるべきことは多いのである。
5.自分の弱さも不完全さも隠さない
娘たちが父親にもっと愛して欲しいと思っているように、父親も娘たちからもっと愛して欲しいと思っている。
そして、愛してもらうためには、立派な父親でないといけない、娘が描く父親像に少しでも近づかなければならないと思う。
しかし、誰も、完全無欠な父親なんかにはなれない。
娘たちが父親の描く理想の娘でないのと同じように、父親も、多くの欠点をもち、多くの間違いをする、平凡でとるにたらない男のひとりなのだ。
だから、それを娘に隠す必要はない。
そういう自分を、あえて見せることもお互いのために、大切なことなのだ。
思春期に娘たちはいったん離れて行ってしまうかもしれない。
だが、心配する必要はない。
やがて立派に育った娘たちは、父親のことを許し、すべてを受け入れて帰って来てくれるだろう。
そして、ありのままの父親を愛してくれるだろう。
娘の父親であるということは、間違いなく、この世界でもっとも光り輝く喜びのひとつである。
そして、それは、思春期の断絶期間があるからこそ、さらに輝きを増すのである。
photo by Hamama Harib