この件についてごく手短に。
(読売新聞2014年12月8日)
麻生氏は札幌市内での演説で「高齢者が悪いというイメージを作っている人はいっぱいいるけれども、子どもを産まないのが問題だ」と述べた。
この人はよくこの手の「失言」(失言かどうか自体論点たりうるだろうが)をやらかすので「またか」という感はある。ことばが足らなかったという釈明をしているが、足らない場合にはたいていそれなりの理由なり背景なりがあるわけで、それについて批判が起きるのはまあ予想された事態ではある。要は、「産まない女性が悪い」といいたいのだろう、それはおかしい、ということだ。
一方、擁護する意見もけっこう出てきている。似たような意見をいくつか見たような気がするが、最初に見つかったのを挙げとく。当該部分の書き起こしもあったのでいっしょに引用。
「麻生さんの発言の全文のどこに問題があったのか、じっくり聞いて書き起こしてみたよ」
(More Access! More Fun!2014年12月9日)
「それをしない限り日本の場合は少子高齢化になってて、昔みたいに働く人6人で高齢者一人の対応をしていたものが、今はどんどん子供を産まないから。なんか高齢者が悪いようなイメージを思い切り作ってる人がいっぱいいるけど、子供を産まないのが問題なんだからね。長生きしたのが悪いことなんか言ってもらっちゃ困りますよ。子供が生まれないから、結果として子供3人で1人の高齢者、もう少しすると2人でひとりになります。そら間違いなく税金が高くなるということですよ。それを避けるためにはみんなで少しずつ負担してもらう以外に方法がありません。ということで、私どもは消費税ということを申し上げております。 」
すいません。どっか変ですか??
この反論は、要するに麻生氏は「子供を産まない社会が問題」と言っているのだから問題ないではないか、という趣旨だ。
時間がないので話を端折るが、批判する側もそれに反論する側も、文章を自分に都合のいいように読んでいるように思われる。「産まないのが悪い」という発言を、前者は「産まない(女性が)悪い」と読み、後者は「産まない(社会が)悪い」と読んでいるが、正直な話、どちらとも読めるだろう。
どちらかにしか読めないとしたら、それは自分の中にバイアスがあるということだ。そういうバイアスは誰にでもあるものなので、それ自体批判されるべきものではないが、内なるバイアスの存在に気づいていないとしたら、それはそれで問題だろう。もちろん、気づいた上でポジショントークをしているのかもしれないので、繰り返すが批判するつもりはない。
というわけで、この発言に問題があるとしたら、どちらとでもとれるような発言のしかたをしたことであろう。そもそもこの人にはこの種の「前例」がいくつもあって、聞く側も「また何かやらかすかもしれない」と思っているふしがある。選挙の時期だし、揚げ足をとってやろうという人も少なからずいるだろう。責任ある立場の人として、そういう不注意は批判に値するのではないか、ぐらいのことはいえる。
あと、「子どもを産まないのが悪い」と「子どもが産まれないのが悪い」ではだいぶ意味はちがうということも併せて指摘しておく。実際の発言が後者ではなく前者だったことには、単なることば足らず以上の意味があるのかもしれない。もちろんこれは私自身のバイアスかもしれないが。
ここに出てきたことばだけでは、この人の「真意」はもちろんわからないが、ひとつわかるのは、「高齢者対策を重視している」ということだろう。若年層の投票率が低いこと、おそらくはこの演説の場に若年層の人が多くはいなかっただろうことなど、背景はいろいろ想像できるが、ともかくこのくだりは、子育て世代や女性に対する配慮よりも高齢者に対する配慮を重視した発言だ。そしてそれは、この政党が長く政権にあった間とり続けきた政策の方向性、今とっている政策の方向性と概ね合致しているように思われる。
もちろん他の部分で子育て世代や女性への政策に言及している可能性はあるので、演説全体としてどうかは別の話だ。そもそも選挙期間中の演説内容は美辞麗句を並べるのが党派を問わず政治家の通例であるから、こういう場で何を言うかよりも、現在の情勢では圧勝するらしいこの政党が、選挙後に実際何をするかをきちんと見守っていく必要があろう。
(2014年12月10日「H-Yamaguchi.net」より転載)