「つまずきからの復活ドラマ」"安倍・プリンスの物語"を細川・旧公爵の物語"が上書きしちゃうかも?

首都の「政治」を決める都知事選ががぜん面白くなってきた。不謹慎という批判はあるかもしれないが、政治を「劇場」にたとえる見方は古くからある。残念ながら、庶民は時流に流されやすく、選挙でも候補や政党の細かい政策よりも見た目や話し方などの印象や世の中のムードに反応しやすい。

首都の「政治」を決める都知事選ががぜん面白くなってきた。

不謹慎という批判はあるかもしれないが、政治を「劇場」にたとえる見方は古くからある。

残念ながら、庶民は時流に流されやすく、選挙でも候補や政党の細かい政策よりも見た目や話し方などの印象や世の中のムードに反応しやすい。

「『ワイドショー』と週刊誌が政治を作る」と言われるようになって久しいが、今や民放やNHKで流される『ニュース番組』もかつてのワイドショーと変わらなくなってしまった。映像の迫力や面白さ重視で、歯切れのよいキャラクターの発言は時間をとって放送する。逆に、政策面で細かくあれもこれもと言及しても、地味な政治家はアリバイ的にしか登場させてもらえない。

前もってお断りしておくが、私自身がどこ候補に肩入れしている、などということはないつもりだ。

あくまでテレビ、なかでもその報道を論評する立場の人間として、テレビ人が求めるのはこういう展開だろうという、多少、私見を交えたテレビ報道の見方に関する記事を以下に続ける。

テレビ(ニュースやドキュメンタリーに限らず、ワイドショーなどの番組も含めて)が好むのが、「物語」である。

これは視聴者が好むからでもある。

タレントでも、政治家でも、そうした「物語」とともに紹介する方が視聴率は上がり、反響も良い。 

特に日本人は、「一度は挫折したものの努力して這い上がりました」という

"捲土重来"の「物語」が大好きだ。

挫折が大きければ大きいほど共感を呼ぶ。

それに加えて"名門"の「物語」も大好きだ。

女性の駐日大使の軽やかな身のこなしの背後に、故ケネディ大統領の栄光と悲劇の「物語」を人々は読み取り、共感を抱く。歌舞伎役者の家柄もそうだ。その本人の血筋が持っている「物語」が本人の力量以上にモノを言うのだ。

政治家の名門も同じだ。二世議員、三世議員の多いのはなぜなのか。頼りなくみえるような、若手の二世、三世の政治家の姿に、その親や、そのまた親を重ね合わせて見るからだ。姿だけでなく、「オヤジが果たせなかった夢」などの「物語」が重ね合わせられる。

現在の日本の政治家で、その人が持つ「物語」がもっとも支持されているのは安倍晋三首相だ。

祖父の岸信介も首相を務め、父親の安倍晋太郎も外相を務めた"名門"という「物語」。

首相になれなかった父親の夢を、息子の晋三が果たした、という「物語」。

そして再登板では祖父が果たせなかった「憲法改正」という夢を自分の代で果たしたいという「物語性」。

さらに人々が好んだのは、安倍晋三が一度は首相に就任したものの、体調を崩して政権を投げ出すという失態を見せ、二度と首相になることはないだろうと思われていたのが、その間に努力を重ねて、再び首相に返り咲いた、という「奇跡のカムバック」、捲土重来の「物語」だ。

そこには、「首相退任後はもし再び首相になったら、やるべきことをノートに書き綴っていた」という臥薪嘗胆の「物語」が加わる。

人々が好む「物語」という意味では、最強の人物が首相になったといえる。

参議院選挙の結果、国会の「ねじれ」は解消され、自民党は向かうところ敵なし。

野党が反対しても、秘密保護法は強行採決の末に成立させてしまう。原発推進の姿勢も明確ななかで、連立を組む公明党もこれという存在感を示せない。

これはちょっとやり過ぎでは?と危機感を持つ庶民が増えても後の祭り。

庶民が期待を寄せられるのは、もはや「家庭内野党」こと、アッキーしかいない。

アッキーこと、昭恵夫人にも経済産業省出身の補佐官がぴったりついて、政権の振り付けだとしても、テレビも新聞も週刊誌も期待できるのはアッキーだけと言わんばかりに持ち上げる。

そんな安倍首相の最強ぶり。

治安や防衛などに力を入れ、集団的自衛権の行使や憲法改正、教育改革、さらなる労働の規制緩和、原発輸出など、以前の首相がやっていなかったことに手をつけつつある。

そこに突然ふってわいた細川護煕元首相の都知事選出馬表明。

知事選は実際には細川護煕vs舛添要一vs宇都宮健児vs田母神俊雄であったとしても、庶民のイメージとしては、安倍晋三vs細川護煕+小泉純一郎という「ドラマ」が脳内で形成されてしまった。

なぜなら、

細川護煕という人物も、庶民にとっては、様々な「物語」の記憶につながる人物だからだ。

元大名の血筋。

明治時代は、貴族である公爵の血筋。

元知事。 

元首相。

長く続いた、自民党一党支配に風穴を開けた政権交代における初の首相。

そんな"物語"が満載だ。

また、突然、政権を投げ出したという痛みのある過去も安倍首相と同じ様にある。

その挫折からのカムバック劇という「物語」が、今回の都知事選にはある。

そして、訴える政策が「反原発」。

安倍政権とまっこう勝負である。

さらに歴史認識もまっこうから違う。

1993年、政権交替後の国会の演説で、「過去の我が国の侵略行為や植民地支配などが多くの人々に耐え難い苦しみと悲しみをもたらしたことに改めて深い反省とおわびの気持ちを申し述べる」と明言したことはそれまでの自民党時代との決別を感じさせるものだとして記憶する人々は少なくない。

そういう意味でも、繰り返しになってしまうが、今回の都知事選は実際の候補者同士の対決というよりも、

庶民のイメージにおいては、安倍vs細川なのである。

それぞれの「物語性」という視点から、この都知事選を見ると、どういう選挙戦になり、マスコミがどういう報道をするかは興味深い。

安倍首相にとって、細川元首相の都知事選出馬は「物語性」という意味では、痛いものだろう。

庶民はこういう風に反応することを、「物語」を紡いでいた当人である安倍首相は身にしみて知っているはずだから。

だとすれば、首相の秘策もそれほどはない。

小泉進次郎による「涙の父親への説得ドラマ」でもあれば別だが。

あるかもしれないが。

(2014年1月15日「Yahoo!個人」より転載)

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