カシャ、カシャ、カシャ・・・。
彼女の表情が崩れて声が震えかけるたび、何度、カメラのシャッター音だけが響きわたったことだろうか。
2時間半におよんだ小保方晴子さんの記者会見。
異例の特番を放送したNHKやフジテレビ、もともとの番組を延長して伝えた日本テレビなど各社が生放送で伝え、さらに夕方や夜のニュース、翌朝のニュース、情報番組でも「小保方さん」の会見映像が露出している。
テレビは、さながら「小保方晴子ショー」という色彩を強めている。
ふだんならばニュースネタを取り挙げない、NHKの「あさイチ」も今朝(4月10日)は小保方さんの会見を伝える異例の扱いだ。
それだけ国民の関心が高い証しなどだろう。
記者会見での、ときおり涙ぐんで声を詰まらせたり、記者団による答えにくい質問にも真摯に、自分なりの言葉を探しながら答える彼女の姿に好感を持った人も少なくない。
自分の過ちを謝罪しなければならない記者会見で、あれほど堂々と、しかも誠実な姿勢を貫きながら持論を展開できる人など滅多にいない。
昨日の会見で見てとれたのは、小保方晴子という人の「本気」だった。
STAP細胞の存在を信じ、難病治療などに道を開く可能性があると彼女が信じて、その道が今回の「発表論文の不正」によって閉ざされたことを悲しんでいる、ということは伝わってきた。
誤解を与えないように記しておくと、私はここで彼女を擁護したいのではない。
「科学者としての彼女」がルール違反を犯したことが事実であれば、どんなに彼女が「本気」だったとしても許されることではない。こちらが今回の問題の本質だということは確かだ。本気であればあるほど、先入観や思い込みに支配されてしまって、未熟さの背景になったとも言えるのかもしれない。
ただ、問題の本質とはかけ離れているが、彼女は「本気」の思いを2時間半にわたって訴え続けて、その思いだけは伝えることができた。
そんな謝罪会見なんて、よくよく考えると見たことがない。
表情だけで自分の思いを伝えることができる、まるで「役者」のような希有な人材だ、と私は感じた。
質問が変わるたびに表情が微妙に変化する。
声も揺れる。
表情も揺れる。
特に目元の表情が揺れる。
時に涙をたたえ、時にきりっと自信たっぷりになったり...。
表現者としての観点でみれば、すごい「才能」を持ったキャラクターだ。
「STAP 細胞は、あります!」
「あります」の伸びやかな声の明るさのイントネーションの自信の見せ方。
「もし、私が実験して幹細胞を作るところが見たいという方がいれば、もう、今も...。ぜひどにでも行って、この研究を少しでも前に進めてくださる方がいるならば、できるだけの協力をしていきたいと考えています」
こう言いながら、彼女はそんな人が本当にいるわけがないというように、ほんの少しだけ「ふふっ」と笑う。自虐的に。
ほんの少しの笑いの、その絶妙さ。
「未熟な私に、もし研究者としての今後があるのでしたら...、やはりこのSTAP細胞が、誰かの役に立つ技術にまで発展させていくんだという思いを貫いて研究を続けていきたいと考えております。すみません」
この発言の際には次第に声がうわずって行き、最後は涙が溢れて、ハンカチで目元をぬぐう。
これはもう「女優」の域ではないか。
というか、みなさん、本物の女優が自分や肉親の不祥事で記者会見した場合を思い起こしてほしい。
下手な女優よりもはるかに説得力のある表情なのだ。
単に、美人だから、というような単純な理由とは違っていた。
それは2時間半ずっと見続けていても最後まで目が離せないほどの吸引力を持つ、本当にまれにみる記者会見だったと思う。
少なくとも「話す」という点において、自分の見せ方や一種の演じ方のテクニックがあるとすれば、これほどうまくやり遂げた人を私は知らない。
テレビという映像メディアにおいては一種の天才だ。
ただし、「科学的な点」では、会見の後も多くの議論を残したことは事実で、会見後の大方の反応としては、「科学者としてはまったくなっていない」という結論は変わらないだろう。そのことはテレビや新聞各社の報道を見ても明らかだ。
他方で、小保方晴子という人間が今年1月の「世紀の大発見」が伝えられた頃の彼女の印象と比べてもはるかに身近に、共感できる存在としてテレビ画面を席巻したことも事実だ。
「科学者として」は評価はできない。 でも「人間として」を好感を持った、というのが国民の一般的な反応だろう。
理化学研究所の最終的な結論や学術的な結論がどうなるのか。
昨日の会見後の報道ぶりを見ても彼女にとって厳しい将来が待っていることは避けられそうにない。
一方で単なる「リケジョ」なんぞで終わらない「大物女優」ぶりも見せつけた長時間の記者会見だった。
正直、私自身も彼女が華々しくマスコミに登場した段階から、彼女自身にはさしたる関心はなかった。
しかし、昨日の会見を見終わってみて、見方がすっかり変わってしまった。
不謹慎な言い方だが、科学者の倫理やSTAP細胞の真偽そのものと別のところで、「表現者」としてのこの人物のこれからがどうなるのかすごく興味を持った次第。
再び2時間半の記者会見が予定された場合、やっぱりで見てしまうだろうと今は思う。
次の会見では、いったいどんな表情で、どんな言葉で、自分を表現するのか、好奇心が募る。
(2014年4月10日「Yahoo!個人」より転載)