宮崎謙介衆議院議員が「育休をとる」と宣言したことについてさまざまな議論が起こっています。本人のブログによると、そもそも「男性の育休取得の促進のために一石を投じる」ことを目的としたことですから、メディアに取り上げられ議論になることでそれなりに目的は果たされた面はあるのではないかと思います。
ただ、その議論の前提となることが、いくつか誤っていることが散見されるためあまり噛み合わず深まっていない面もあるように思います。個人的に議論を眺めていて感じたことを整理して記したいと思います。
●育休は「育児休暇」に非ず
まず本人のブログからして間違っていますが、いわゆる育休は「育児休暇」ではありません。正確には「育児休業」です。育休の根拠法は「育児休業、介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律」であり、すべて「育児休業」です。
休暇と休業の違いは、ある論文(神吉知郁子「休日と休暇・休業」)によると「確固たる理由に基づくものではないと考えて差支えない」そうです。ですから間違っていても実際に支障があるわけではないですが、「休暇」という言葉が「ヒマ」という漢字を含み、楽をするようなイメージに繋がって誤解を招いているような気もします。いずれにしても、用語は正しく使いましょう。
●国会議員の仕事は、義務ではなく権利である
育児・介護休業法は、労働者の育児休業等について定めています。労働者とは労働基準法第9条において「職業の種類を問わず、事業又は事務所(以下「事業」という。)に使用される者で、賃金を支払われる者をいう。」となっています。また賃金とは、同法第11条において「賃金、給料、手当、賞与その他名称の如何を問わず、労働の対償として使用者が労働者に支払うすべてのものをいう。」となっています。
国会議員は、衆議院または参議院に「使用される者」ではありません。衆議院や参議院と契約して議員になっているわけではないのです。したがって労基法における「労働者」ではありません。労働者であれば、一般的には事業主との雇用契約に基づき、労働基準法等の範囲内で労働することが義務付けられます。そしてその例外として育児休業が法律で保障されるという構造になっています。
一方国会議員は、日本国憲法第43条、および公職選挙法により選挙で当選した者が衆議院議員または参議院議員の地位を得るという形で規定されています。
しかし国会法のどこを眺めても課せられる義務はありません。例外は第5条の応召義務と、第124条の2の行為規範の遵守義務くらいです(ちなみに第119条では「各議院において、無礼の言を用い、又は他人の私生活にわたる言論をしてはならない。」となっています。お互い「無礼の言」を用いないよう気を付けましょうね。>議員諸兄姉)。
一方で、本会議や委員会への出席、採決への参加などは、議員しか許されません。したがって法律的には、国会議員の議会活動は、法的には義務ではなく、権利にすぎないということです。本会議や委員会にどれだけ休もうと、寝ていようと、法的には全く何の問題もありません。いわんや政党の活動や、自分の後援会活動や選挙運動は、法的には実はまったく根拠のない任意の活動でしかありません。
もちろん、投票して下さった有権者のご期待に応えるという道義的責任は、全ての議員が背負っているでしょう。しかしそれはまさに次の選挙により選択されるべきことであって、法的な義務ではないのです(なお同時にこれは、どんなに真面目に世の為人の為に頑張っていた議員でも、落選したらただの人という現実の裏返しでもあります。有権者ひとりひとりの選択は、法律よりも重たい。)
●歳費は賃金ではない
同様に、歳費は日本国憲法第49条で保障された権利です。「労働の対償として支払われる」ものではないので、賃金ではありません。これは国会議員の活動の自由を保障するための規定だと考えます。同時に、労働の対価ではないので、どれだけ議員活動をサボっていても受け取ることのできるものという表現も可能です。しかし、これが憲法の規定なのです。国会議員は、それだけ活動の自由を認め保障して頂いていることは肝に銘じなければなりません。
●しかし、育休が法律で定められている精神は酌むべき
育児・介護休業法の第1条は、「子の養育又は家族の介護を行う労働者等の雇用の継続及び再就職の促進を図り、もってこれらの者の職業生活と家庭生活との両立に寄与することを通じて、これらの者の福祉の増進を図り、あわせて経済及び社会の発展に資することを目的とする。」となっています。職業生活と家庭生活の両立は、子の養育や家族の介護を行う者の福祉の増進に繋がるのみならず、経済及び社会の発展に資することなのです。
この法律は労基法による労働者を対象としていますが、ではいわゆる「労働者」ではない者の職業生活と家庭生活の両立は考えなくてよいのでしょうか?私はそうではないと思います。労働法制は、事業主との間で弱い立場である労働者を保護するための法制ですから、労働者しか対象にしていないだけです。
しかし、労基法による労働者ではない職業人は、農林漁業者、商店街の店主さん、医師・弁護士など独立専門職など、日本中にとても沢山おられます。この方々も、この少子化社会の中で、職業生活と家庭生活を両立させることが経済及び社会の発展に資することに繋がることは明白ではないでしょうか?そしてその中には、職業人としての議員も自然に含まれるものだと私は思います。
●国会議員にとって育児とは?
これは個人的な感想になりますが、赤ちゃんと向き合う時間を持つことは、僕にとってとても貴重な経験でした。人として成長する機会でもありましたし、またそのことを通じて多くの方々と出会うきっかけになりました。そしてそのことは、国会議員を務める中で、貴重な糧になっています。子育ては親育て、でした。
視察や研修等、本来の業務を離れて違う体験をすることで、本来の業務をより豊かにすることは、一般的に認められていることです。個人的には、育児に要する時間も、そういったことと同様に社会は認めるべきことだと思います。育児休業制度は、決して本人が楽になるための制度ではありません。家族はもとより、社会にとっても有用であると社会と国会が認めたからこそ法律になっているのです。
その国会議員が育児の時間をとらずして誰が育児に時間を割くのでしょうか?さらには「育児の時間なんか優雅にとって」といった発言を国会議員が行うに至っては、もう一度育児・介護休業法を読み直して頂きたいと思うところです。
なお「育児は人に任せればいいじゃないか」という声が、他党ならともかく、自民党内から出るのは驚きました。できるのであれば親が子育てに向き合うことが望ましい、というのは一般的に保守的な価値観として党内で共有されていると思っていたのですが。
●こうしたことを総合的に勘案すると...
宮崎議員の問題提起について数々ある意見、とくに否定的なものについて言えば相当的外れなものが含まれていると言わざるを得ません。特に、一般の方が感想として仰るのならともかく、国会議員間でもこうしたことが理解されていないのはいささか首を傾げざるを得ません。
意見)多くの人が育休なんて取れないのに、ケシカラン!
橋本の感想)多くの労働者が育休が取れない現状をどうにかするために、育児・介護休業法があるのです。取れない現状が問題なのであって、育休をとろうとする人への批判として不適切です。
意見)育休をとっても歳費が満額出るのはおかしい!
橋本の感想)日本国憲法の規定です。憲法改正を提起してください。ただしその際、議員活動の自由の保障をどのように行うのかまで含めて検討してください。なお、被雇用者が育休を取得した場合の給与が幾らになるのかは、各企業の労働契約や規定によります。2/3というのは、雇用保険の育児休業補償金がその水準というだけです。
意見)私はやりくりして育児した!やればできる筈だ!
橋本の感想)その努力は大変だっただろうとお察しします。しかし、さまざまな条件(サポートしてくれる家族の有無や家庭・職場の立地など)がそれぞれの家庭ごとにとても異なるということは考慮されるべきですし、そもそもやりくりで話が済んでしまうのなら育児・介護休業法は不要です。
意見)地元の有権者の声が国政に反映できなくなるのでは?
橋本の感想)ここは秘書さんたちの出番でしょう。しかも今の時代、電話はファックス等もありますから、本人もサポートできます。宮崎議員の場合「一か月程度」とのことですから、大きな支障が出るとも思いません。もちろん、災害等非常の場合、あるいは不信任案採決等、政局的に本会議に出席しなければならない場面は、本人がきちんと責任を持って対応することと思います。
なお、なんらかの理由で(病気入院等の場合が多いですが)本会議等を、特に公表することなく一定期間欠席する議員は時折おられます。そうした方々に比べ、「育児のため」と事前に理由を明らかにするだけ、宮崎議員は有権者の方々に対して誠実な対応をして志していると思います。
意見)有権者に理解されないのでは?
橋本の感想)そもそも、育児休業が法制化されている意味は、ほっといても育児休業が理解されず、進まないからなのです。両親が仕事を休んででも育児に時間を割くことの意義を国民に伝え理解を得る努力をするのは、むしろ同法に賛成した国会議員の務めではないでしょうか。宮崎議員の行動もその一つとして理解できます。
そして本当に有権者に理解されない場合、宮崎議員本人が議席を失うリスクを負うのであり、第三者が心配することではありません。「評判を落とす」という注意があった由報道がありますが、仮に政党の幹部がそのような発言をしたとするならば、世の中に育児休業への理解が深まる筈もありません。誠に残念なことです。
●実際のところ。
実のところ、ゴールは極めて簡単なことです。本会議への出席は義務ではなくて権利なので、本人は欠席届を提出して休めばよい。その他のことは法的には何の義務もないし、党内的には差し替え等同僚がフォローすればよいだけです。
とはいえ産休について規則はあります。衆議院の場合、このようなものです(参議院の規則も似たようなものです)。
衆議院規則185条②
議員が出産のため議院に出席できないときは、日数を定めて、あらかじめ議長に欠席届を提出することができる。
この「出産のため」を「出産または育児のため」と改正すれば、育休の規則になる、というだけのことです。
もちろん衆議院規則の改正は然るべく手続きを踏んで行わなければなりません。それには多くの議員を説得し、同意を得ていく必要があります。実現しようとすると、そうした努力を今後コツコツと取り組むべきでしょう。今回は、宮崎議員がそれをする前に、宣言がメディアに取り上げられ社会の注目を集めてしまったために話がこじれてしまった面もあるようにも思います。
●願わくは、、、
これから結婚しよう、親になろうと思っている若者たちが、今回の騒動で「こんなに厳しいことを言われるんだ」と思って萎縮してしまったら、それは日本社会にとって極めてマイナスです。残念ながら今回の騒動で、与野党を超えてそうした声がメディアで伝えられているのは、個人的にはとても残念で仕方ありません。
現在の日本は、少子化対策担当の大臣が設けられ、政策目標として出生率向上を掲げなければならない程度に、切迫した状況です。また、女性議員も他国と比較して日本は少なく、いかにして増やすかという議論は、各党で行われているはずです。
その中で、めでたく結婚をしめでたく子どもを授かった二人の想いが、宮崎議員の宣言には籠っているのであろうと思います。結婚披露宴の〆の本人挨拶で、「未熟者の二人です。間違えることもあるかもしれませんが、ご列席の方々はどうぞご指導ください」みたいなスピーチも珍しくないわけです。
国会議員とはいえ、まだこれから初めて親になる二人なのですから、不安な状態にもあるでしょうし、行き届かないことも舌足らずなこともあるでしょう。
ですから、願わくは人生の先輩方におかれては、彼の主張への賛成・反対は別にしても、自分の苦労を大上段に振りかぶるのではなく、まず若く不安な二人に、暖かく接してあげて頂きたいと思うのです。
そうした空気が世の中に満ちて、はじめて女性活躍も、地方創生も、一億総活躍も実現するのだと、僕は思います。
(2016年1月8日「橋本がくブログ」より転載)