注目を集めた大阪都構想は、17日に行われた住民投票によって僅差ながら反対多数で、消滅することになった。
制度設計に関して様々な批判等がありながらも、既得権を打破するために旧態依然とした制度そのものを変えるチャンスを失ったのは確かだろう。実行して間違えがあれば修正されればいいが、それさえもできない。制度というものは「ゼロ」と「1」では天と地との開きがあり、「ゼロ」となったことで二重行政を無くすチャンスを失ったと感じている。
民意は民意なので、結果は受け止めなければならない。今後、大阪で起きることは大阪市民が納得するだろうし、後で「やっぱり」と思った時は、手遅れになっているかもしれないながら、改めて変えればいい訳だ。また、「あの時、選んだ結果で良かった」となるのであれば幸いだ。
ただ、賛成派としては、厳しい財政状態の中、現状維持で大丈夫なのだろうか。リストラが必要な時に進めず、後に倒産してしまった企業の例を見たことがある者として心配になる。この例では、リストラの時には手厚い退職金の上積みがあったが、倒産したらそれもない――結果、リストラに反対した向きは、より悪い状態に追い込まれたのだ。
官民のことを同レベルで語ってはいけないと批判もあるだろうが、自治体の場合も、かつての夕張市のようになったら元も子もない。メスを入れるべき時に入れられなかった――そのために、将来がもっとひどいことになっては不幸である。大阪都構想は、その貴重なメスと思っていた。
他にも指摘する方が多いが、今回の投票で注目すべきは、出口調査で示された世代別の投票行動である。70代以上の「反対」が他の世代に比べて際立ち、30代、40代が改革を求めていたという事実がそれ。福祉費の削減に怯える高齢世代が、他の世代に比べて反対に向かったのは容易に想像できる。
「福祉切り捨て」はいけない。だが「無い袖は振れない」状態であれば、「切り捨て」は許されないまでも、ある程度の「我慢」は必要なのではないかと思う。「我慢」しなかったため、結果として財政再建団体に転落するなどして「切り捨て」を余儀なくされる――これではいけないと思うが、現実の政治、選挙では受け入れられるのは難しい。それをハッキリ示したのが今回の投票結果だった。
誤解を恐れずに言えば、今回の投票は「70代以上」の世代が、明確に闘うことを他の世代に宣言、「宣戦布告」した格好になったと思う。一般的な「人を選ぶ」選挙でハッキリしなかったことが、大掛かりな「制度を選ぶ」選挙で白日の下さらけ出されたのである。政策における「世代間抗争」は、ある種タブーみたいな感じだったが、今後は政治の争点になる可能性が出てきた。
都構想の否定は残念に思うものの、それが明確になったことだけでも、今回の住民投票は意味が大きかったのではないか。