ラミレスが月給40万円で独立リーグから再出発 日本野球を追求する理由とは

ヤクルト、巨人 横浜DeNAでプレーしたアレックス・ラミレス外野手(39)が独立リーグBC群馬にコーチ兼任で入団することを表明した。

ヤクルト、巨人 横浜DeNAでプレーしたアレックス・ラミレス外野手(39)が独立リーグBC群馬にコーチ兼任で入団することを表明した。

■NPBの各チームからはオファーが届かなかった

ヤクルト、巨人 横浜DeNAでプレーしたアレックス・ラミレス外野手(39)が独立リーグBC群馬にコーチ兼任で入団することを表明した。群馬県高崎市内で会見を行ったラミレスは「またユニホームを着られるのはうれしい。NPBからオファーがなかった状況で、ベストの選択だと思っています」と語った。

ラミレスの言う通り、今年は日本球界からのオファーはなかった。所属先が決まらず、個人マネージャーや通訳とともに練習場で汗を流す日々だった。自分の中ではまだまだやれるという意識は強いのだが、40歳になる年齢や守備への評価が低く、セ・リーグの球団は獲得に消極的だった。

また、DH専任でパ・リーグの球団も模索したが、その場合は3割30本以上の打撃が期待される。ラミレス自身は試合に出続けることさえできれば、結果を残す自信はあるが、各球団とも、ラミレスのために「1枠」を空ける余裕も、金銭的な余裕もなかった。パの6球団は4番もDH候補も続々と決まり、オフの時間は過ぎていった。

冒頭のコメントのように、ユニホームを着られる喜びは本音であろう。練習場が確保できることで、これまでバッティングセンターなどで行っていた打撃練習から解放され、生きた球を打つことができる。ファンを魅了し、それをやりがいにしているラミレスは群馬の声援を力にして、またプレーに力が入るだろう。群馬ダイヤモンドペガサスにとっても、ファンサービス旺盛なラミレスは地域密着へ、力強い存在になるに違いない。

■ラミレスがずっと言い続けている言葉

ラミレスはメジャー・リーグからヤクルトに移籍した際、1年で帰るつもりだった。日本の野球を下に見て、言い方は悪いが、出稼ぎ感覚だった。だが、1年目の2001年。29本塁打、打率2割8分を放ち、ある程度の成績を残せたものの、「日本の野球のレベルが高い」と頭を抱えた。配球の違いなど、投手のレベルの高さを感じ、「このままでは終われない」と日本球界を見る目が変わり、敬意を表すようになった。

それ以降、日本語を積極的に学び、文化も吸収。チームメイトとも交流し、日本に順応した。2000安打を放ち、名球界入りするほどの打者になれたのも、新しい世界に足を踏み入れて、積極的に溶け込もうとしてきたことが大きい。だから今回のBCリーグにも月収40万円という金額にもかかわらず、思い切って飛び込んでみようと決意した。

ラミレスはずっと言い続けている言葉がある。

「どう始まるかではなくて、どう終わるかである」

最後に笑っていられればいい。群馬の監督は阪神でプレーした川尻哲郎氏。過去に現在、巨人の2軍コーチを務めている秦真司氏も監督をしていたことなどから見ても、NPBへのルートがないわけではない。ここから復帰への道も探れるだろう。いつかは日本のプロ野球で監督を夢みるラミレスにとって、独立リーグを知ることはマイナスにはならない。男はプライドを捨て、とことん、日本を追求しようとしている。

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