「雨傘運動」で何が変わったか:「香港第一才子」インタビュー

「雨傘運動」が残したものは何だったのか。香港はこれからどうなるのか。来日していた陶傑氏(56)にインタビューした。

香港で民主選挙を求めて9月末から続いてきたデモ隊による道路占拠は、先週、香港警察によって強制的に排除され、事実上終結した。座り込みをしていた学生組織のメンバーらは数百人が逮捕された。「雨傘運動」が残したものは何だったのか。香港はこれからどうなるのか。来日していた陶傑氏(56)にインタビューした。陶傑氏は香港テレビの英国特派員、香港の有力紙『明報』の副編集長などを経てコラムニストとして活躍し、「香港第一才子」(香港筆頭知識人)の愛称で呼ばれるリベラル言論人として知られている。

カリスマ・リーダーの不在

――雨傘運動は1つの区切りを迎えました。香港が得たものは何ですか。

 この運動は短期的には勝利の見込めない運動でした。中国が態度を変えることはあり得ないからです。しかし、長期的には勝利が不可能というわけではありません。

 今回の最大の収穫は、中国のボトムラインが分かったことです。最初の3日間は、中国が軍隊を送ってくるとみんな本気で恐れていました。しかし、中国は軍を使わなかったし、使えなかった。世界の目を気にしているのです。香港政府の弱点も分かりました。彼らは香港のためではなく、中国のために仕事をしている。香港に1人1票の制度がないと、結局はこういう指導者、政府しか出てこないのです。

 そして、雨傘運動は今回、行政機能をマヒさせ、世界に向かって香港の行政長官が香港を統治する能力がないことを暴露しました。これらのことを考えれば、香港のデモはすでに目的を達したと言えます。香港人は、ウクライナやエジプトとは違います。銃で撃たれて死者が出ることには耐えられません。今回は3カ月近く頑張りました。もう十分です。

 いまの香港をうまく理解してもらうために、1つたとえ話をしましょう。学校の教室で生徒たちの大半が、教師の言うことを聞かなくなりました。この生徒は香港人で、教師は香港政府です。教師が警察を呼んで、「大人しくしないと捕まえるぞ」と脅したら、さすがに生徒は黙りました。もちろん警察は中国です。生徒は警察がいなくなったらまた騒ぎ出します。なぜなら、この教師の権威はゼロ、生徒からの尊敬もゼロ、人気もゼロだからです。これがいまの香港です。

――選挙方法の問題には何らかの解決があり得ますか。

 中国は絶対に譲歩しません。しかし、私は解決できると思います。香港人の60%の票を民主派は握っています。この力をたてに、2017年の候補者と交渉できます。マニフェストのなかに我々の政策を入れろ、または当選したら、何人かの閣僚を我々から出しなさいと要求もできる。とにかく最初の選挙なのだから、すべて実現するようにあまりに強く出過ぎるのは得策ではありません。

 それに、香港にはカリスマの民主化リーダーがいません。ミャンマーにはスーチーがいた。以前の南アフリカにはマンデラがいた。彼らのような誰も文句をつけないリーダーが香港にはいません。論理的に考えれば、今回の選挙方法は正しくありませんが、対決を続けていても解決はない。中国共産党は完全に民主的な選挙は受け入れない。しかし、彼らの目をうまくあざむきながら、こちらのペースに持っていく方法はある。それが、現実的な判断だと思います。

「不満を言えない」仕組み

――今回のデモの問題の根底には何がありましたか。

 香港は香港基本法に基づき、1997年以来、1人1票の民主選挙の導入に向けて準備を進め、2017年に実現することになっていました。中国は1949年の建国以来、その領土で初めての1人1票を受け入れるわけですから、それだけですでにたいへんな譲歩だと考えていました。しかし、香港人は1人1票なら本当の意味でも普通選挙にしてほしいのです。

 香港には1200人からなる選挙委員会が現在もあり、法律やエンジニア、医療などの業界代表が入っています。中国が公布した香港の選挙方法は、候補者になるにはこの1200人の半分の支持が必要だとしました。しかし、香港の各業界の代表たちはすでに中国によってコントロールされています。たとえば漁業や農業の団体からも何人かの代表を出していますが、彼らは中国の言いなりです。実際にいま香港で農漁業はないに等しいほど小さな産業なのですが、選挙委員会には60人から70人の委員が送り込まれています。選挙委員会の半数以上はなんでも中国の言うことを聞く親中国の人たちで、中国が選挙委員会をコントロールできるようになっています。

 ですから、中国に反対する人、不満を言う人は、行政長官の候補者になれない仕組みなのです。民主派が候補を送り込みたくても「愛港、愛国(香港を愛し、中国を愛する)」の人物ではないから認められない、と言われます。。しかし、「愛」は法律の概念ではなく、恣意的に決められる都合のいい基準に過ぎません。

――香港の中国への不満は、どこに原因があったのでしょうか。

 香港の若者はこの10年来、徐々に不満を強めてきました。歴代3人の行政長官はいずれも北京の言うことしか聞かず、北京は香港の親中資本家の話ばかり聞いています。中国は香港を助けた、という風に考えているかもしれません。確かに、上海と香港の株式市場をつなぎ、大勢の旅行客を送り込みました。しかし、香港の不動産は急騰し、大学を卒業して働いても、家は絶対に買えない値段になってしまった。そして、中国は毎日、香港に150人ずつ移民を送り込んでいます。彼らは香港人に向かって「中国人だったら広東語を話すな、普通語(中国語)を話せ」と要求します。こうした経済上の衝突、文化上の衝突が続き、今回の大爆発に至ったのです。

 中国は香港の返還から17年間、香港人の気持ちを本当の意味で受け止めたことがありませんでした。それは中国の庶民に対してもそうだし、世界各国に対しても、同じかもしれません。英語でいえば「insensitive」(鈍感)ということです。

連携していた「ヒマワリ」と「雨傘」

――香港人のアイデンティティ意識が変わっているようです。香港人は中国人ではないという風に考える若者が増えていますね。

 感情は政治によって変えられません。いまの香港人は、「愛港」ですが、「愛国」ではありません。自分のことを中国人と思わない。台湾と同じです。香港人が中国を愛せない理由を、中国の指導者は理解するべきです。

 太り過ぎか、汚いのか、恥知らずなのか、寛容さがないのか、教養が足りないのか。ともかくいまの中国を愛せないものは愛せないのです。愛は強制できません。安倍首相が選挙で「自民党を愛せ、日本を愛せ」とは言わないでしょう。

――では、中国共産党は変わることができますか。

 無理ですよ、一党独裁ですから。これからも、香港人はどんどん過激になっていく。共産党は香港人が中国化しないことに苛立ちますが、当面は何もできない。いずれ香港独立となれば大問題になり、台湾で1947年に起きた2.28事件(注:中国がまだ蔣介石率いる国民党政府時代、闇タバコ売りの女性に対する役人の暴行を契機に勃発した大規模デモを国民党政府が武力で鎮圧した事件。3万人近くが殺害、処刑されたとされる)のような虐殺が再現されるかも知れません。しかし、何千人を殺しても何も解決できません。何十年を経ても恨みは消えず、台湾では人々を台湾独立に駆り立てています。

――台湾のヒマワリ運動と香港の雨傘運動はどのような関連性があるのでしょうか。

 台湾と香港はお互いにもともと関係がありましたが、最近は特にネットで深くつながりました。ヒマワリ運動(注:2014年3月、台湾の学生や市民らが立法院を占拠したデモ行動)と雨傘運動もネットで結びつきました。中国とのサービス貿易協定で台湾がもめているとき、香港の若者は必死になって台湾の若者にFacebookで「絶対に受け入れてはいけない。いったん受け入れれば我々のようになる。中国がチラつかせる経済的利益には政治的な利用の意図がある。台湾の政治をコントロールするのが目的だから中国の言うことを信用してはいけない。中国には騙されるな」と呼びかけました。台湾の人々も香港の状態が自分たちの参考になるという風に考えています。

トラウマを負う習近平

――習近平総書記が着任してから、中国の周辺では香港や台湾、南シナ海、日本など摩擦や対立が相次いでいます。これは習体制の体質と関係している現象でしょうか。

 習近平は太子党です。中国の権力は自分が継承する、という信念を持っています。北朝鮮で金正恩が金正日から継承し、シンガポールで李光耀から李顕龍が継承したのと同じです。江沢民は1926年生まれで中華民国時代に英語を学び、聖書を読み、世界のことを少しは理解していました。1942年に生まれた温家宝は文革の前に教育を受けたので多少は物事を知っていました。しかし、1950年前後に生まれた習近平や薄熙来は文革のためにまともな教育を受けられず、紅衛兵になったり、親が迫害されたりして、心にトラウマを負っています。いったん権力の座につくとフルに権力を使って自分たちの好き放題にやりたくなり、世界に対して、中国に合わせてルールを変えるよう要求しています。ですから問題があちこちで起きてしまっているのです。

陶傑氏は香港で人気の評論家(著者撮影)

2014-06-12-bc4a07fa1bc083853c0e2de9a02a744560x60.jpg

野嶋剛

1968年生れ。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。92年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学、西部社会部を経て、2001年シンガポール支局長。その後、イラク戦争の従軍取材を経験し、07年台北支局長、国際編集部次長。現在はアエラ編集部。著書に「イラク戦争従記」(朝日新聞社)、「ふたつの故宮博物院」(新潮選書)、「謎の名画・清明上河図」(勉誠出版)、「銀輪の巨人ジャイアント」(東洋経済新報社)。

【関連記事】

(2014年12月15日フォーサイトより転載)

注目記事