東芝が米原発子会社ウエスチングハウス(WH)に絡む巨額損失による債務超過転落を発表したのが2月14日。その後「東芝危機」を見出しにうたった記事や映像報道がメディアに噴出している。
2年前の粉飾決算に続く「再度の危機」と言ったり、2000年以降の千億円単位の赤字転落を数えて「東芝4度目の危機」という連載が始まったり、さらには30年前の「東芝ココム事件」になぞらえ「当時と今は似たところがある」といった解説記事まであった。
付け焼刃でピンボケの報道も少なくないが、評価は読者に託すとして、今回の「東芝危機」のマグニチュードに見合う前例を探すなら、敗戦後の「東芝大争議」しかない。
「東芝黄金時代」
第2次世界大戦中に軍需物資の大増産体制を敷いてきた東芝は、国内43工場を擁し、一時期10万人を超す人員を抱えていたが、敗戦で最大の顧客だった軍が崩壊。
進駐してきたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は財閥解体・公職追放と並行して巨大化していた軍需産業の民生転換を進め、その結果、東芝の人員は4分の1近くに縮小。中でも川崎や府中など主力工場が集中する京浜地区の労働組合の主導で、1945年末から泥沼の争議が始まった。
戦時中からトップの座にあった山口喜三郎(1874〜1947年)らの公職追放後に刷新された当時の東芝経営陣は当事者能力がなく、一方で労組は街中に決起を呼びかけるビラを撒き、デモを繰り返し、役員・幹部にスリッパや椅子を投げつけるのは日常茶飯事。
人事や総務の担当者が軟禁同然に個室に閉じ込められ、火のついた煙草を頭部に押し付けられることも珍しくなかったらしい。
こうした「無政府状態」は、メーンバンクの三井銀行(現三井住友銀行)の要請を受けた石坂泰三(1886〜1975年、元第一生命保険相互社長)が社長として乗り込む1949年まで続いた。
石坂は社長就任3カ月後の1949年7月、当時の全従業員(約2万2000人)の2割強に相当する約4600人の人員整理を提示。硬軟入り混じった巧妙な交渉で労組の合意を取り付け、同年末には「大争議」を終結させた。
当時の日本銀行総裁、一万田尚登(1893〜1984年)はじめ「東芝倒産不可避」を唱えていた政財界は、石坂の経営手腕を絶賛。この「東芝再建」の実績をテコに石坂は2代目経団連会長の座を射止め、12年余りの在任中に「財界総理」の名をほしいままにした。
石川島播磨重工業(現IHI)会長だった土光敏夫(1896〜1988年)を東芝社長にスカウトし、自分と同様に経団連会長就任への道を拓くなど、高度成長期以降の「東芝黄金時代」の基盤を築いたのも石坂である。
2年で2兆円の減収
70年前の「危機」に現在の苦境を照らし合わせてみると、敗戦で失った軍需に匹敵するほどの事業収入を東芝はこの2年間で失いつつある。
2015年の年明けに発覚した粉飾決算と、それに続くWH絡みの巨額減損処理で債務超過寸前に追い込まれた東芝は、前期(2016年3月期)末までに医療機器子会社の東芝メディカルシステムズ(2016年3月期売上高=4170億円)と、白物家電子会社の東芝ライフスタイル(同3603億円)の売却を決定。
続く今期(2017年3月期)は「業績回復の年」との位置付けだったが、2016年末になって情勢が急変する。WHが2015年末に買収した原発エンジニアリング会社米CB&Iストーン・アンド・ウェブスター(S&W)の「のれん代」膨張などで7125億円の原子力関連事業の損失を計上し、16年12月末時点で1912億円の債務超過に転落。
マイナスとなった自己資本をプラスに転換するため、東芝にとっては「虎の子」の半導体メモリー事業の売却を余儀なくされることになったのだ。
売却に備えて4月1日付で分社として発足予定の「東芝メモリ」の売上高は8456億円、営業利益は1100億円(いずれも2016年3月期)。2月14日の取締役会で半導体事業担当副社長の成毛康雄(61)が、「メモリーを100%売る。その覚悟が無ければ、もう会社は成り立ちません」と訴えたとされる(2017年2月21日付日本経済新聞朝刊)。
さらに、東芝の再建にとってもはや避けて通れないのが、原子力事業からの撤退である。巨額の含み損を抱えたS&Wの買収を主導した東芝会長(原子力事業統括責任者)の志賀重範(63)は解任され、WH会長のダニ-・ロデリック(56)も退任の見通しで、社長の綱川智(61)は2月14日の記者会見で海外原発事業を縮小する方針を表明している。
以上、この2年間で東芝が撤退・縮小を決めた4事業(医療機器、白物家電、半導体メモリー、原子力)の合計売上高は、ざっと2兆5000億円(2016年3月期)。
この全てが雲散霧消するわけではないが、少なくとも1兆5000億~2兆円の減収は不可避とみられる。これは事業売却前の2015年3月期の総売上高(6兆6558億円)の23~30%に匹敵する。つまり、東芝の事業規模はわずか2年間で4分の3または3分の2の規模に縮小することになる。
手を染めた"愚策"
再建の可否のカギを握るのは言うまでもなく、底が抜けて赤字を垂れ流している原子力事業からの撤退がどの程度実現するかだ。
社長の綱川が2月14日に海外原子力事業の縮小を表明したことはすでに触れたが、同20日には、米テキサス州で東芝がWHとは別に自ら手がける原発新設計画「サウス・テキサス・プロジェクト(STP)」(出力134万キロワットの改良型沸騰水型軽水炉=ABWR=を2基新設、2008年受注、2015~16年稼働予定)から撤退すると各メディアが報じている。
ABWRは、米ゼネラル・エレクトリック(GE)が世に送り出した沸騰水型軽水炉(BWR)に改良を加えた第3世代原子炉であり、GEと原子力事業で提携していた日立製作所、東芝を加えた日米3社が共同開発した。
1996年11月に運転を開始した東京電力柏崎刈羽原子力発電所(新潟県)6号機が初号機で、3社は日本や台湾に売り込む一方、米英などでも採用を働きかけ、前述のように2008年には東芝がSTPでの受注をモノにしたが、2011年3月11日の東電福島第1原発事故(「3.11」)を機に事態は暗転する。
詳細は拙稿(「『東芝』だけではない『原発事業』の世界的衰退」2015年9月11日)に譲るが、「3.11」をきっかけにSTPの事業主体だった米電力大手NRGエナジー社がプロジェクトの先行きを見切り、2011年4月に撤退を表明している(STPへの出資比率はNRGが88%、東芝が12%。将来は東電が10%出資予定だった)。
本来ならここで東芝はこのプロジェクトを断念するべきだったが、原子力部門出身で当時東芝社長だった佐々木則夫(67)は前任者である会長の西田厚聰(73)と経営の主導権争いの最中にあり、STPの頓挫が自身の権力失墜につながると見て「撤退」を受け入れず、事業継続に加えて近隣のシェールガス液化事業「フリーポートLNGプロジェクト」の権益買収という"愚策"にまで手を染める。
今度こそ破綻
2013年、東芝はフリーポートとの間で20年間にわたる液化天然ガス(LNG)の購入契約を締結。当時、能天気なマスコミは「東芝がLNG事業進出」と囃し立てたが、佐々木の狙いは「STP完成後に発電する電力をフリーポートに買ってもらうこと」にあった。
米国ではシェールガス・ブームでLNG火力発電のコストが大幅に低下し、それが原発ビジネスの競争力低下に一段と拍車をかけていた。そこで佐々木が率いる東芝は、STP稼働後の電力の買い手を確保することでプロジェクトの「延命」を図ろうとした。
つまり、「おたくの生産するLNGを買いますから、ウチ(STP)が発電する電力を買ってください」とフリーポートに持ちかけ、その成約を得ることで「STPの原発は完成しても電力の買い手がいないのではないか」「そんなリスクを冒してまで原発を売り込む必要はない」といった社内外の批判を抑え込んだのだ。これは「蛸が自分の足を食う」といった類の、素人目にも分かる"愚策"だ。
案の定、現在このLNG事業に暗雲が漂っている。フリーポートは2019年9月から稼働開始予定だが、20年の購入契約を結んだ東芝には、仕入れるLNGの販売先のメドが立っていない。一部に「購入予定の半分ほどは交渉が進んでいる」(関係者)との指摘もあるが、業界事情に詳しい大手商社エネルギー部門幹部は、「価格競争が激しいLNG販売ではキャンセルはザラ。経験が浅いとすぐに足元を見られる」と解説する。
フリーポートからのLNGが全く売れなかった場合、東芝は「最大約1兆円の損失が出る」(1月21日付朝日新聞朝刊)とされている。仮に現在東芝が打ち出している「東芝メモリ」の売却で債務超過を解消できたとしても、このLNG事業の"爆弾"が破裂すれば、今度こそ、東芝は破綻を免れないだろう。
WHの「チャプターイレブン」
2月24日午前、東芝が傘下のWHに対して、米連邦破産法11条(チャプターイレブン、日本の民事再生法に相当)の適用申請を選択肢の1つとして検討しているとメディアが一斉に報じた。
社長の綱川以下の東芝首脳陣はWH株売却による出資比率(現在は87%)の引き下げを公言しているが、この2年間で1兆円を超える損失を計上しているような会社にカネを出す奇特な投資家が現れるのは絶望的。逆に東芝は2月17日、これまで3%のWH株を保有していたIHIからプットオプション(株式の買い取りを請求できる権利)を行使され、約189億円でIHI保有の全株を買い取ることになったと発表したばかり。
この結果、東芝のWHへの出資比率は90%に高まる。
「かねてWHと技術提携している中国企業が出資に関心を寄せている」(電力業界紙記者)との見方もあるが、原発技術の流出を懸念する米日政府の反発に加え、WHが中国で建設中の3.5世代原子炉「AP1000」がトラブル頻発で運転開始が遅れに遅れており、「WHに対する中国の評価が急落している」ともいわれている。
要するに、事実上東芝に代わるWHの支援先はなく、ならば法的処理で再建を図るしか手段がなくなっているということなのだ。
主要子会社WHの「チャプターイレブン」が報じられたにもかかわらず、24日の東芝株終値は前日比8.9円(4.14%)高の223円90銭と上昇に転じた。WH切り離しとそれに続くであろう「原発撤退」は、東芝にとって有力な「買い材料」になっている。逆に日本政府の介入によって産業革新機構や日本政策投資銀行などのバックアップで「原発維持」路線を選択した場合、投資家はネガティブな反応を示す可能性が大きい。
"ハードランディング"を決断できるか
70年前、東芝の絶体絶命の危機に彗星のごとく登場した石坂泰三のように、果断な実行力を有する「救世主」が現れることを期待したいのだが、粉飾決算の後始末役として2015年7月に社長に就任した室町正志(66)は1年と持たず2016年6月にその座を追われ、その後を継いだ現社長の綱川も、S&W買収の大失態で今やいつクビを切られてもおかしくない状況。
「JAL(日本航空)の時のようにまた稲盛(和夫)さんに頼めないか」と口にする財界人もいるものの、すでに稲盛は85歳と高齢なうえ、官邸周辺は民主党(現民進党)政権と近かった関係を忌避している。
「平成の石坂」が国内に不在なら、破綻に瀕したシャープを買収した鴻海(ホンハイ)精密工業(台湾)会長の郭台銘(テリー・ゴウ=66)のように「救世主」を国外に求めるしかないのだが、国防や原子力関連の技術を抱える東芝の海外資本への売却に永田町や霞が関が難色を示すのは必至。
ならば東電と同じ「国有化」という手もあるが、数字の辻褄合わせしかできない官僚たちに、事業構造が複雑で海外勢との競争も熾烈な総合電気メーカーの経営の舵取りなどできそうもない。
結局、会社更生法など法的処理による債務削減と事業の抜本的再構築が再建への一番の早道になる。ただ、「景気重視」をお題目のように唱えてきた安倍晋三政権が、果たして法的処理のような"ハードランディング"を決断できるだろうか。(敬称略)
杜耕次
【関連記事】
(2017年3月6日フォーサイトより転載)