ロシアが昨年のウクライナ領クリミア強制併合に続いて、グルジア領のアブハジア自治共和国と南オセチア自治州も併合する動きを強めている。ロシアは両地域と軍事・経済上の「同盟・統合条約」に調印し、欧米諸国は「グルジアの主権・領土保全の侵犯」(ドイツ外務省)と反発した。欧米諸国が今夏で期限切れとなる対露制裁を延長するなら、ロシアは対抗して両地域編入に踏み切る可能性があり、欧州国境の新たな変更につながりかねない。
軍を統合、国境廃止
わが国ではあまり報じられなかったが、クリミア編入1周年の今年3月18日、プーチン大統領はクレムリンで、南オセチアのチビロフ「大統領」と会談し、統合条約に調印した。条約は、南オセチア部隊のロシアへの編入や住民往来の自由化、南オセチア住民の国籍取得簡素化、年金・教育の提供などを盛り込んでいる。クリミアのような完全編入ではないが、軍を統合し、国境を解消することで併合へ一歩近づいた。プーチン大統領は調印後、「双方のパートナー関係強化に新たな措置がとられた」と述べた。条約は上院での批准を経て成立する。
この条約に対し、グルジアのベルチャシビリ外相は「国際法違反であり、領土一体性の侵害だ」と非難した。北大西洋条約機構(NATO)も声明を出し、「条約は無効であり、国際法違反だ」と強調。米国務省も「南オセチアとアブハジアはグルジアの不可分の領土であり、米国はグルジアの独立を支持する」と批判した。
ロシアは昨年11月にも、アブハジアとの間で同様の統合条約に調印し、双方の軍を統一、ロシア軍がグルジアとの国境警備に当たっている。南オセチアと同様、アブハジアの公務員や軍人の給与、年金はロシアと同水準に引き上げられた。
ロシアは2008年8月のグルジア戦争後、グルジアからの分離独立を進める南オセチアとアブハジアを国家として承認し、両地域と友好協力条約を締結。ロシア軍が展開し、事実上の保護領としていた。今回の新条約により、両地域をいつでも併合する体制を整えたといえよう。
北方4島の7倍を領有
南オセチアは面積3900平方キロで人口5万人。アブハジアは8600平方キロで24万人。クリミアの2万6000平方キロ、約200万人より小さいが、両地域を併合すれば、ロシア連邦の領土がクリミアと合わせ3万8500平方キロ膨張することになる。これは、北方4島の7倍。青森、秋田、岩手の北東北3県の面積に匹敵する。クリミアとアブハジアには風光明媚な保養地が多いが、産業がなく、高齢者が多いこれら地域を抱えることで、ロシアの財政負担が増えることになる。国際的な承認は得られず、火ダネが拡大するだけだ。
南オセチア問題で、米露間では神経戦が展開されつつある。米国は5月、約300人の米軍地上部隊をグルジアに派遣し、グルジア軍と2週間軍事演習を行った。米軍は4月、ウクライナにも300人の空挺部隊を派遣し、ウクライナ軍の軍事訓練を行っており、オバマ政権は遅ればせながら旧ソ連圏親米派諸国のテコ入れに乗り出した。NATOは年内にグルジアに訓練センターを開設する予定だ。
一方のロシアは、欧米の対露制裁が延長される場合、対決姿勢を強め、南オセチア、アブハジアの強制併合に乗り出す可能性もある。旧ソ連圏を担当するロシアのスルコフ大統領補佐官は最近、ロシアとアブハジア、南オセチアとの国境が「いずれ撤廃される」と述べ、将来の編入を示唆した。プーチン政権には旧ソ連圏の再編という隠れた野望があるようで、ロシア系住民の多いモルドバ領ドニエストル地方なども将来、併合対象となり得る。
モスクワ大学のセルゲイ・マルケドノフ教授は両地域との統合条約について、「グルジアがNATO加盟を進めていることへの警告だろう。欧米との関係改善は絶望的であり、この際、ロシアの領土を膨張させたいという開き直りがある。ただ、南オセチアはロシア編入を望んでいるが、イスラム教徒のアブハジア人の大半は独立を望み、ロシアの干渉に批判的だ」と指摘した。事実、アブハジアではロシアとの条約締結後、主権が奪われるとして住民の反対デモが起きている。
旧ソ連諸国はロシアを警戒
他の旧ソ連諸国はこうしたロシアの膨張主義に警戒感を隠していない。ロシアの保守強硬派はカザフスタン北部を「ロシア固有の領土」としてロシア編入を主張しており、カザフ政府は対抗策としてロシア国境に近い北部へのカザフ人の入植を奨励。分離活動を禁止する法律を制定した。カザフはロシアと「ユーラシア経済同盟」を結ぶが、クリミア併合に「理解」を示しながら、「支持」はしていない。今年1月にスタートした経済同盟も、カザフ、ベラルーシがロシアとの統合強化を嫌い、「共通通貨」導入を削除するなど条約を骨抜きにした。
両国はむしろ、中国と関係を強化することでロシアの介入を防ごうとしているかにみえる。習近平国家主席は5月9日のモスクワでの対独戦勝70周年式典出席の前後にカザフとベラルーシを訪れた。ベラルーシ訪問は3日間の公式訪問で、習主席はルカシェンコ大統領と友好協力条約を締結。中国企業の大型投資や経済協力で合意した。ルカシェンコ大統領がモスクワの式典を欠席したのは、習主席の歓迎準備で忙しかったためだ。習主席はカザフとベラルーシで、「国情に沿った独自の開発政策」を進めるよう促し、暗にロシアとの経済統合を避けるよう求めていた。
ロシアの強引なクリミア併合やアブハジア、南オセチア統合は、ロシアの国際的孤立や旧ソ連諸国のロシア離れ、中国の浸透に道を開き、結局は裏目に出る可能性がある。
名越健郎
1953年岡山県生れ。東京外国語大学ロシア語科卒業。時事通信社に入社、外信部、バンコク支局、モスクワ支局、ワシントン支局、外信部長を歴任。2011年、同社退社。現在、拓殖大学海外事情研究所教授。国際教養大学東アジア調査研究センター特任教授。著書に『クレムリン秘密文書は語る―闇の日ソ関係史』(中公新書)、『独裁者たちへ!!―ひと口レジスタンス459』(講談社)、『ジョークで読む国際政治』(新潮新書)、『独裁者プーチン』(文春新書)など。
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(2015年6月10日フォーサイトより転載)