ロシアの80以上の主要都市で3月26日に起きた同時発生的な反腐敗デモは、若者を中心に計数万人が参加。呼び掛けた反政府指導者アレクセイ・ナバリヌイ氏をはじめ1000人以上が一時拘束された。
2011年末の与党による選挙不正に抗議した反プーチン・デモ以来最大規模の反政府運動となり、長引くプーチン時代への閉塞感や現状への不満が背後にありそうだ。
今回の反政府デモは、「プーチン時代の安定や一定の繁栄の恩恵を受けてきたプーチンの子供たち」(評論家のグレブ・パブロフスキー氏)が反旗を翻したことに特徴がある。これによってプーチン体制が揺らぐ気配はないが、来年3月11日の大統領選に向けてロシア内政が微妙な展開をたどるのは間違いない。
大型ヨット、ワイナリーも
デモの発端は、ナバリヌイ氏が率いる反政府組織「反腐敗基金」が3月2日ネット上で公開したメドベージェフ首相の腐敗を告発する動画。約50分の動画は、同首相が賄賂で莫大な財産を得たとする内容で、ナバリヌイ氏がナレーターを務め、「基金」が独自に集めた内容を13の章に分けて編集している。
それによると、メドベージェフ首相はロシア1の大富豪、アリシェル・ウスマノフ氏ら新興財閥から計380億ルーブル(約710億円)の賄賂を「寄付」として集め、モスクワ郊外やサンクトペテルブルク、祖先が住んだクルスク州、南部のアナパなどに広大な豪邸や別荘、ワイナリー、大型ヨットを保有。
他人名義ながら、大学時代の友人や側近らが運営する複数の慈善財団に運営させているという。動画は、首相が3カ月間に73枚のTシャツ、20足のスニーカーを財団名義でオンラインで購入したとし、それらを着ている写真を面白おかしく公表。1カ月足らずで1500万回以上の視聴回数という人気動画となった。
ナバリヌイ氏は動画で、「ロシアのナンバー2であるメドベージェフ首相が腐敗した慈善団体のネットワークを構築し、新興財閥から賄賂を集めて内外の資産を買いあさっている。彼はロシアで最も豊かな人物の1人で、最も腐敗した官僚だ。従来、腐敗した高官は豪奢な生活を隠してきたが、最近は生活がオープンになり、調査が容易になった」とし、26日に腐敗と闘うデモへの結集を呼び掛けた。
呼び掛けはSNSやフェイスブック(FB)を通じて拡散し、組織化されなくても自然発生的に市民が参集した。参加者は一般市民と見分けがつかず、治安当局は封じ込めに苦慮したという。プーチン時代の反政府デモは、都市部の中間層やトラック運転手などの労働者、それに年金生活者が散発的に実施したが、今回は参加者の大半が25歳以下の若者とされ、全く新しい現象だった。
若者が変化の触媒
予想外に拡大した今回の反政府デモが、プーチン体制を揺るがすのか、従来同様ガス抜きとして短期間で終わるのかは不明だが、ロシアの識者らは新味が多いという認識で一致している。ロシアの若者文化に詳しいジャーナリストのアルチオム・トロイツキー氏は「ニューヨーク・タイムズ」紙(3月29日)に対し、「若者は常に時代の変化の触媒になり得る。
今回、10代を含む若者が多数デモに参加したことは、若者が政治的無関心から政治参加に目覚めたことを意味する。潮流が変わったとは言えないが、何かが変わりつつある」とコメントした。
社会学者のミハイル・トミトリエフ元経済発展省次官は、3年前のウクライナ干渉に伴う愛国主義が今後鎮静化し、中産階層が集中するモスクワを中心にうっ積する不満が台頭するとし、「彼らの矛先は西側勢力から官僚機構や移民に移るだろう。教育や医療、公共サービスなどの要求が高まる」と予測した。
政府系評論家のアレクセイ・チェスナコフ氏は、「プーチン政権は近年、『ナーシ』など若者の愛国主義運動への支援を縮小し、若者の活動を野放しにしていた。今後は一線を超えないよう対策を練るだろう」としながら、「i-Phoneを持ち歩き、スタバのコーヒーを手にする都市部の若者がプーチン体制への新たな挑戦者になり得る」と述べた。
評論家のドミトリー・オレシキン氏は「今回の反政府デモは政治の展開を根本的に変化させかねない。有権者になったばかりの若者が政治的に活動し始めた。これまでは政治に無関心だったが、ナバリヌイ氏は彼らにアピールする手段を獲得した」と指摘した。
ロシアのメディアでも、「新しい抗議の波は、政権に対する不満の高さと若者の政治化を示した」(ベドモスチ紙)、「これはウクライナのマイダン運動のような政権打倒闘争ではなく、多くの問題をはらむ官僚組織への自然な反応だ。政権側は適切な対応がとれていない」(ガゼータ紙)と注目されている。最大野党のロシア共産党の一部は動画を評価し、政府に徹底究明を要求。ナバリヌイ氏を共産党大統領候補に担ぐ意見も出ている。
プーチンが最も恐れる男
天才的ブロガーとされるナバリヌイ氏(40)は来年3月の大統領選出馬を表明しており、今後ロシア政治の台風の目になりそうだ。11年の下院選不正事件では、与党・統一ロシアを「詐欺師と盗人の党」と糾弾し、10万人デモの先頭に立った。2000年に野党・ヤブロコの党員として政治活動を始め、ネットやツイッターを駆使した反政府活動を展開。プーチン政権の腐敗を糾弾する急先鋒となった。
幾度もの逮捕・投獄経験を持ち、「プーチンが最も恐れる男」(ウォール・ストリート・ジャーナル紙)といわれる。13年のモスクワ市長選に出馬し、27%の票を獲得、現職のソビャーニン市長を追い詰めた。党首を務める進歩党は、反汚職・リベラル・親欧米を掲げる。
しかし、ロシア世論調査機関レバダ・センターの2月の調査によれば、国民の半数以上はまだナバリヌイ氏を知らず、大統領選で同氏に投票すると答えた人は1%にすぎなかった。
同氏は13年、キーロフ市の裁判所から横領の罪で5年の懲役刑を言い渡されており、ロシアの法律では、重大な犯罪で有罪判決を受けた者は大統領選に出馬できないとされている。
最高裁は昨年、裁判のやり直しを命じたが、有罪にするかどうかは政権が事実上決定する。ペスコフ大統領報道官は今回の反政府デモで、「若者は挑発とウソにそそのかされた。彼は若者を扇動し、逮捕されるとカネを払うと若者に約束している」と糾弾した。
クレムリンにとって、来年の選挙でナバリヌイ氏の出馬を認めるかどうかは難しい判断になろう。出馬すれば、人気が急上昇する可能性があり、出馬を拒否するなら、若者の怒りが爆発し、欧米諸国も非難するだろう。
前出のオレシキン氏は「メドベージェフ首相の腐敗動画は、明らかにプーチン大統領に矛先を向けたものだ。ナバリヌイ氏は今や、クレムリンの脅威となった。次回大統領選に向けて、プーチン対ナバリヌイの対立構図が深まろう」と予測した。
とはいえ、レバダ・センターによれば、プーチン大統領の支持率は反政府デモ後も86%と微動だにしない。老獪なプーチン大統領はこれまで、政治危機の高まりを巧みに阻止しており、今回も未然に摘み取る可能性がある。
首相はレームダック
ただし、腐敗の全貌を告発されたメドベージェフ首相の政治的将来はこれで絶望的になった。同首相は大統領時代、汚職対策を最優先課題に掲げ、「汚職・腐敗はロシア社会の最も先鋭な問題だ」「汚職にまみれた公務員を銃殺してしまいたい」と述べたこともあるが、自らが腐敗の温床だったことが判明してしまった。
腐敗動画公開の後、首相はしばらく閣議などに姿を見せず、プーチン大統領は3月13日「彼は風邪をひいている」と説明した。しかし、メドベージェフ首相は23日、「風邪などひいていない」と病気を否定。2人の間に微妙なさや当てがあった。
モスクワでは、メドベージェフ首相解任説も出始めたが、クレムリンに近い政治評論家のアレクセイ・ムヒン氏は「両者の間には、少なくとも17年末まではメドベージェフ氏が首相にとどまるという合意がある」と述べた。2011年9月にメドベージェフ大統領とプーチン首相が職務交代で合意した際の密約があったという。その場合でも、来年3月の大統領選前後に首相更迭が十分考えられよう。
モスクワ・タイムズ紙電子版(3月29日)は政権に近い筋の話として、「ナバリヌイ氏の調査とその後の抗議活動は、ロシアの政治状況を劇的に変え、メドベージェフ首相は大統領復帰の夢を絶たれた。プーチン大統領の再選後も首相にとどまることはありそうになく、長年の政治的野望が終焉を迎える」と伝えた。
同紙によれば、プーチン大統領は今秋、大統領選出馬を正式表明するとみられ、最後の大統領任期をフレッシュな政府で迎えそうだという。同紙は専門家の話として、改革派のクドリン元財務相、ソビャーニン・モスクワ市長、トルトネフ副首相兼極東発展相らが新首相に起用される可能性があるとしている。
ナンバー2の首相は大統領が職務執行不能に陥った場合、大統領代行を務め、3カ月後の選挙を管轄するなど、後継者として有利な地位に就く。「メドベージェフ首相はもはやレームダックであり、次の首相をめぐる舞台裏の競争は、潜在的にプーチン大統領の後継者レースになる可能性がある」(同紙)。
政権内リベラル派ながら「反日」のメドベージェフ首相はこれまで北方領土を3度訪れ、「1島たりとも返還しない」と豪語したこともある。首相交代は日露関係にとっては多少プラス材料となろう。(名越健郎)
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名越健郎
1953年岡山県生れ。東京外国語大学ロシア語科卒業。時事通信社に入社、外信部、バンコク支局、モスクワ支局、ワシントン支局、外信部長を歴任。2011年、同社退社。現在、拓殖大学海外事情研究所教授。国際教養大学東アジア調査研究センター特任教授。著書に『クレムリン秘密文書は語る―闇の日ソ関係史』(中公新書)、『独裁者たちへ!!―ひと口レジスタンス459』(講談社)、『ジョークで読む国際政治』(新潮新書)、『独裁者プーチン』(文春新書)など。
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(2017年4月3日「フォーサイト」より転載)