「パナマ断交」中国の真の狙いは何か--野嶋剛

台湾・蔡英文政権にとってはショックだろう。

中米のパナマが中国と国交を樹立して台湾と断交したというニュースについて、「蔡英文政権のもとで中台関係が緊張し、中国が台湾の友好国を切り崩していくなかで、今後、断交のドミノ現象が起きていく恐れがある」という分析がなされている。

確かに蔡英文政権にとってはショックだろう。パナマは小さいとはいえ、パナマ運河という世界レベルの海上交通の要衝を持つ。また台湾とは、清朝時代に結んだ外交関係が中華民国に引き継がれた歴史もある。台湾が国連を脱退した1971年も、パナマは中華人民共和国ではなく、中華民国の立場を擁護したほどの、伝統的友好国だったのだ。

蔡英文総統は就任後の昨年6月に同国を訪問するなど、台湾としても関係維持に注力してきただけに、政権の受けた衝撃は小さくない。蔡英文総統の会見をテレビで見たが、その表情はかつてなく厳粛で焦燥し、事態の深刻さがうかがわれるとともに、おそらく就任後最も厳しい言辞で中国を批判していた。

しかし、台湾の一般市民の受け止め方は落ち着いており、それほどのショックはないように思える。それにはいくつかの理由がある。

「経済」で中国を選んだパナマ

「ドミノ現象」を指摘する声については、確かに中南米などの台湾の友好国に影響が及ぶ可能性は否定できないが、台湾と外交関係を有する友好国が減っていく現象は、すでに2000年以降12カ国に達しており、その意味ではドミノ現象は最盛期を過ぎて、むしろ末期に近づいているとも言える。

パナマを除けば、台湾が現在外交関係を持っている20カ国のうち、中国に国交を奪われたときに大きな影響が出そうな国は、バチカンぐらいしかない。中国政府は現在、バチカンとも水面下で交渉中と伝えられるが、中国におけるカトリックの保護や布教の扱いをめぐって議論が続いているようだ。

ウィキリークス情報によれば、パナマは2009年に中国政府と外交関係と結ぶ考えを固めたが、中国に断られたとされる。当時台湾では、国民党の馬英九政権が対中関係改善を掲げて登場したばかりで、中国はパナマとの外交関係よりも台湾との雪解けを優先させた、という判断があった。これは十二分にあり得ることだったと言えるだろう。

米国のトランプ政権は、パナマが中国と外交関係を結ぶことを黙認したという憶測も、一部では流れている。確かに、中南米は米国の裏庭、と呼ばれた時期があったが、一方で、パナマ運河を利用する割合で中国は世界2位になっており、パナマ政府が、多くの投資案件を持っている中国を台湾よりも優先させたいことは自明の理だった。

経済重視で中国をパナマが選んだことは、バレーラ大統領のコメントからも明確だった。「私は過去の大統領ができなかったことをやった」と述べているが、これは前任の大統領が対中国交の樹立に失敗したことを示唆しており、それ以外はパナマにとっての経済的なメリットをひたすら強調した。中国政府が国交樹立の発表の際、「一帯一路」へのパナマの参加歓迎を表明したことは象徴的であった。

中国の「政治目標」

これに対して台湾社会は、中国の大国化が進んだことで、台湾との外交戦が事実上決着していることは受け入れている。もちろん友好国が多いに越したことはない。しかし、かつてのように大金を払って必死に引き止めることには賛成しないし、台湾という国家にその余力がないこともよく知っている。

加えて、パナマと台湾の貿易関係はそれほど大きなものではなく、断交しても実質関係は維持されるのだから、国家利益上の直接的マイナスも大きくはない。欧州各国、日本、そして米国との断交を経てきた台湾は、すでに未承認国家としての位置づけが確定されており、友好国の段階的な減少も織り込み済みの話だ。

むしろ大きな問題は、中国がこの「外交樹立」というカードを、いろいろな計算の結果このタイミングで切ってきた可能性が高い、という点だ。

蔡英文政権は、1周年を迎えたなかで支持率が低迷し、総統のリーダーシップへの疑問が内部からも噴出しかけている。ただし、ライバルの国民党もまったく勢いがないので、政権喪失の恐れが見えてきたわけではない。そのため、危機感については人によって違いがあるが、「蔡英文は大丈夫か」という懸念は、徐々に台湾社会全体に共有されつつあり、蔡英文が無事2期目を迎えるには、2017年から2018年の選挙のないこの時期が踏ん張りどころとなる。

そんなタイミングを狙い澄ましたような中国の一撃は、ライバルの国民党に塩を送ることになる。というのも、馬英九時代は前述のように中国が台湾に配慮し、台湾との外交関係を断絶して中国と結びたい国があっても、あえて断っていたからである。これを馬英九政権は「外交休兵」と呼び、中台改善の成果だと強調した。

蔡英文政権が中国の求める「1つの中国」を受け入れないから中台関係が冷却した、その代償はこんな形で払うことになる、と見せつけるのが、今回のパナマ断交である。さっそく国民党の政治家や国民党寄りのメディアは、このパナマ断交をネタに、大掛かりな蔡英文攻撃を始めている。

つまりパナマ断交は、「冷静に理性的な対応による現状維持政策を貫き、中国に対話を呼びかけ続ければ、いつか関係改善の機は必ず訪れる」という蔡英文の戦略が破綻した、という批判の口実を与えることになったのである。

それは、支持率が低迷するなど少なからず弱っている蔡英文政権にボディブローのようなダメージを与えることになるだろう。強い政権ならば、台湾社会がすでに諦め半分である友好国の減少ではビクともしない。しかし現状では、くすぶっている蔡英文批判の火にガソリンを注ぐ形になる。それこそ中国が、パナマとの断交によって成し遂げたい政治目標の主要なものであろう。

その意味では、蔡英文政権がかなり深刻な受け止め方を国民に見せていることは戦略的に正しかったのか議論の余地すらある。

真の脅威

今後、他国との断交が続くかどうかは、台湾がコントロールできる問題ではない。台湾社会は昨年の選挙でその点を織り込んだうえで蔡英文を総統に選んでいる。問題は、総統として足元を固めているかどうかで、パナマとの断交程度で揺らぐようでは、蔡英文政権の危機は本物になってしまうだろう。

真の脅威は、外交的な孤立でも中国への外交敗北でもなく、蔡英文政権のさらなる弱体化なのである。

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野嶋剛

1968年生れ。ジャーナリスト。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。92年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学、西部社会部を経て、シンガポール支局長や台北支局長として中国や台湾、アジア関連の報道に携わる。2016年4月からフリーに。著書に「イラク戦争従軍記」(朝日新聞社)、「ふたつの故宮博物院」(新潮選書)、「謎の名画・清明上河図」(勉誠出版)、「銀輪の巨人ジャイアント」(東洋経済新報社)、「ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち」(講談社)、「認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾」(明石書店)、訳書に「チャイニーズ・ライフ」(明石書店)。

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(2017年6月16日「フォーサイト」より転載)

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