水原希子とレオン・ダイはなぜ謝罪したのか?:垣間見えた「文革の亡霊」

今回のレオン・ダイと水原希子の謝罪騒動を振り返れば、集団リンチ的な公開処刑そのもので、ますます「異質な中国」への歩みが進んでいると実感させられる。

台湾の俳優、戴立忍(レオン・ダイ)とモデル・女優の水原希子との2人が、それぞれ別の事案で先週から今週にかけて中国のネット世論の激しい批判にさらされた。

戴立忍は、中国映画『没有別的愛(仮訳:ほかに愛はない)』に絡んで7月15日、撮影が終了しているにもかかわらず主役を降板させられたうえで謝罪文を発表。水原希子も、7月16日に謝罪ビデオを中国版ツイッター『微博』を通して公表した。2人とも、ほとんど「言いがかり」に等しいような理由で攻撃されて「炎上」し、事実上、無理矢理の謝罪に追い込まれた形である。

今回の騒動を振り返れば、だれもが文化大革命時代の亡霊が再び中国に現れたということが脳裏をよぎったはずだ。そこに論理性もなければ、本人の弁明の正当性をしっかり議論する場もない。集団リンチ的な公開処刑そのもので、ますます「異質な中国」への歩みが進んでいると実感させられる。

まったく分からない「謝罪の理由」

比較的シンプルな水原希子のケースについてだが、批判を受けたのは、中国の反体制アーティスト艾未未(アイ・ウェイウェイ)が、天安門に向けて中指を立てて撮った3年前の写真のインスタグラムへの投稿を、水原希子の友人が転載したものに「いいね!」を押した、という理由だった。ただ、水原希子は「いいね!」を押した1時間後には取り消していたとされる。

それでも水原希子は「傷つけるつもりはなかった」「すべての中国人に心から謝罪したい」と、ビデオで深々と頭を下げた。このほか、浴衣を着て靖国神社を歩く女性の後ろ姿の写真がネットで広がり、水原希子ではないかとのデマが流されたらしく、彼女はそのことについても「これは自分ではない」と釈明した。ビデオは全編、彼女の母語と思われる英語で語っている。

5分弱のビデオを見たが、いったい何が謝罪しなければならない理由なのか全く分からない。

そもそも中国政府に都合の悪いことについて、FacebookでもツイッターでもどこでもSNSで「いいね!」を押したことが批判の対象になるのなら、私を含め、世界中の無数の人々がそこに含まれるだろう。

降って沸いた「台独」疑惑

一方、戴立忍は、日本ではそれほど知名度はないが、華語圏ではトップ俳優の1人で、過去に多くの映画賞を獲得しているほか、監督としても2009年の『不能没有你(邦題:あなたなしでは生きられない)』という作品で台湾の映画賞「金馬奨」の最優秀作品賞を受賞している。

最近は中国でも多くの作品に出演し、今年後半だけでも、『没有別的愛』での主演を除いて3つの公開予定の映画に出演している。

その彼に、突然降って沸いたのが「台独分子(台湾独立派)」疑惑である。疑惑といっても、過去に2014年のヒマワリ運動を応援したことなどをもって「台独」と決めつけられたのである。

しかし、戴立忍は確かにリベラルな思想の持ち主で、多くの反政府運動に参加したり、支援したりしたことはあったが、民進党や独立政党に属したわけでもなく、台湾独立を公の場で唱えたこともない。1人の文化人として「市民」の立場から積極的に社会と関わってきたに過ぎない。

また、ヒマワリ運動は、中国とのサービス貿易協定を拙速に進めようとした馬英九政権に抗議したものであり、必ずしも独立運動や反中運動ではなかった。しかし、中国ではヒマワリ運動→反中運動→独立運動と、その意味がものの見事に「変換」されてしまい、戴立忍への「台独」のレッテル貼りが確定したのである。

無制限の拡大現象

昨今の中国における「台独」への拡大解釈については、今年1月の台湾総統選直前に起きた、韓国アイドルグループで活躍する台湾人アイドル・周子瑜の問題を想起させる。中華民国の国旗を持って映像に写っただけで「台独分子」のレッテルを張られ、痛々しいビデオ謝罪に追い込まれた(2016年1月26日「『台湾人アイドル謝罪事件』の読み解き方」参照)。

本来の台湾独立派は、国際法上、中華人民共和国の統治権が台湾には及ばないとの主張から「台湾国」の設立を宣言することを目指す運動である。本来、台湾独立と対極にある中華民国の旗を持ったり、反国民党の立場だったり、民進党系の運動に関わったりするだけで「台独分子」ということになってしまうのであれば、恐らく台湾の半分以上の人が「台独分子」ということになるであろう。

これは要するに「台湾は中華人民共和国の一部である」と宣言しない限り、台湾独立思想の持ち主であると認定すると言っているに等しく、「台独」の定義の無制限の拡大現象が起きている、と言うこともできる。

結局、戴立忍の降板を中国の製作者側は発表し、そこには戴立忍の祖国統一に対する立場が「あいまいだった」と書かれていた。戴立忍を切った製作者側を責める声もあるが、彼らも最初は戴立忍を庇おうとしており、多少踏ん張っても事態は悪化するばかりだっただろう。ここまで追い込まれた時点で包囲網は完成され、敗北は確定していた。

中国文化的な背景事情

戴立忍が出した謝罪文は、あまりにも痛々しいものだった。紙幅の関係ですべては紹介できないが、自らの降板については、製作会社側の決定に異を唱えないとしたうえで、自分が「中国人になるように父親から教育を受けてきた」「(中国との)根は切れていない」など中国人向けの弁明を入れながら、台湾独立には加担したことがなく、あくまでも市民として弱者の立場に立っていろいろな社会運動を応援してきたことを、切々と3000文字という長文に託して語っている。

この謝罪文の内容についても台湾では戴立忍を批判する向きもあったが、これは文革のときに攻撃された人々が書くことを強制された「反省文」のようなもので、事実上、政治的な謝罪であり、内容を批判されるのは酷というものだ。

中国における謝罪とは、日本人が思うような単なる「ごめんなさい」ではなく、一切の人間的な価値を失う「罪人」認定を含む厳しさがあり、そうすることでしか罵声の嵐から逃れられない中国的な文化背景を理解するべきだろう。

私はこの謝罪文を読み、戴立忍ほどの一流の映画人がここまで卑屈にならなければならない事情を察するべきだと考えた。そこには、おそらく自分が関わって今後公開される多くの作品に累が及び、現状をはるかに超える多大な迷惑をかけることへの恐れがあったのだろう。

『没有別的愛』では主役だったが、完成後の降板ということは、映画そのものが撮り直しということになり、事実上のお蔵入りの可能性も十分にあり得る。大作映画という巨大プロジェクトに関わった俳優として、本人の負いきれる責任ではないとはいえ、心理的に堪え難いことだったのではないだろうか。

「共青団」煽動の疑い

今回の2人の一連の経緯をみれば、文化大革命時代に中国で繰り返された凄惨なつるし上げを思い起こさないわけにはいかない。当時はこれを「批判大会」と呼んで、罵声を浴びせるのは紅衛兵などの群衆だったが、いまの罵声はネットの小紅粉(若い愛国者ネットユーザー)や憤青(怒れる若者=中国版ネトウヨ)たちから飛んでくる。

こうした電脳空間の罵声は、本人が見ないようにすれば見ないで済むのだが、彼らの仕事が人気商売であるので、仕事そのものにダメージを与えてしまうということだ。テレビやCMのスポンサーが心配する。映画の投資会社が観客動員を心配する。日本でもしばしば起きうる類いのことだが、中国のように無から有が生まれるかのような事態はそうそうお目にかかれない。

さらに深刻なのは、文革同様、このネットの罵声が、公的機関による「呼びかけ」によって煽動されている疑いがあることである。

今回、戴立忍の問題が大きく広がって映画製作会社側にとっても座視できない事態となったのは、中国の中国共産主義青年団(いわゆる共青団)が、率先して戴立忍たたきを呼びかけたことが大きかった。共青団中央委員会の中国版ツイッター『微博』のアカウントでは、7月6日、映画への攻撃を発動した(写真参照)。もともとネット界には批判の声もあったが、前述のように当初は製作会社側や戴立忍、人気女優でもある監督の趙薇(ヴィッキー・チャオ)も反論をし、状況は拮抗していた。しかし、共青団の参加で事態は一気に製作会社側と戴立忍に不利な状況に展開した。

さらに加速する「もの言えば唇寒し」

中国では、ネットかリアルかを問わず、お役所の「お墨付き」があるかないかで盛り上がりが大きく変わってくる。これは反日デモなどの背後でもよく見られる現象である。中国社会の権力至上主義の所以であるが、普段はお役所の言論管理を心底憎んでいるはずの一般民衆が、ゴーサインが出た途端に大騒ぎを始めるという倒錯した構図は、文革時も今もそうは変わっていない。

中国の言論界の「踏み絵」はある意味で文革レベルに近づこうとしているのではないか――。

そうした悪い予感を抱かせる状況は、現在の習近平指導部の言論統制とネット管理の方向が、明らかに鄧小平、江沢民、胡錦濤と3代続いた改革開放の指導者たちが、ポーズとはいえ表向きに見せてきた「漸進的な開放」とは本質的に異なっていることを反映している。改革開放前の文革=毛沢東時代への「先祖帰り」の要素が次第に中国で色濃くなってきており、「もの言えば唇寒し」の事態は中国社会で今後さらに加速するはずである。

いまの中国は明らかに我々と違うところに向かっている。中国はなんだかんだ言いながら、昨日よりは今日のほうが少しずつ良くなり、将来きっとちゃんと付き合える国に変わってくれる――。10年ぐらい前までは、そんな期待をもって大勢の日本人が中国を見てきた。しかし、今日、そう考える日本人は急速に減り続けている。

それは、台湾や香港の人びとが中国に対する根源的な信頼感を失いつつある流れと軌を一にするものであり、こうした騒動が起きるたびに、かえって台湾の人々を心情的な部分での「台湾独立」へますます傾かせるのである。

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野嶋剛

1968年生まれ。ジャーナリスト。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。92年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学、西部社会部を経て、シンガポール支局長や台北支局長として中国や台湾、アジア関連の報道に携わる。著書に「イラク戦争従軍記」(朝日新聞社)、「ふたつの故宮博物院」(新潮選書)、「謎の名画・清明上河図」(勉誠出版)、「銀輪の巨人ジャイアント」(東洋経済新報社)、「ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち」(講談社)、「認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾」(明石書店)、訳書に「チャイニーズ・ライフ」(明石書店)。

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(2016年7月22日フォーサイトより転載)

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