業界4位の大王製紙との合併を狙う同5位の北越紀州製紙と、徹底抗戦する大王製紙――。
複雑な因縁と怨念にまみれた両社の争いは目下法廷闘争にまで発展し、その攻防は業界で「仁義なき戦い」と呼ばれ、関係者は固唾を飲んで成り行きを注視している。
上場企業の現職会長による100億円以上のバカラ賭博借金をめぐる特別背任という、世間を驚愕させた前代未聞の事件から4年半。息子・意高(もとたか)の事件で会社を追われた大王の「中興の祖」、井川高雄は北越紀州側に付いた。
一方「脱創業家」を掲げる大王の現経営陣を支えるのは、高雄・意高親子を除く「井川一族」の面々だ。血で血を洗う抗争の果てに、生き残るのはどちらか。東京地裁で争われている複数の関連訴訟は、いままさに佳境を迎えている。
門前払いされた筆頭株主
昨年4月下旬、北越紀州社長の岸本晳夫(せきお)宛に、懇意にしている四国の取引先から1個のダンボール箱が届いた。中には防弾チョッキと防刃チョッキが1着ずつ入っており、「お気をつけて」とメッセージが添えられていた。
岸本は大株主の立場から何度も大王製紙社長の佐光正義に面談を申し込んだが、佐光は「会いたくない」の一点張り。業を煮やした岸本は、愛媛県四国中央市の大王本社に乗り込むことにした。ダンボール箱が届いたのはその数日前のことだった。
北越紀州は大王の発行済株式の21.23%を保有する筆頭株主である。筆頭株主に「会いたい」と言われたら、素直に会うのが上場企業の常識だが、佐光は両社の経営統合をめぐる観測記事が出たことなどを理由に、「今はマスコミがうるさいから」と面談を拒んできた。
「そんなことは理由にならない」
岸本は強引にアポを取り付け四国に乗り込んだ。「四国には気の荒い連中もいますから」と取引先は真顔で止めたが、どうしても佐光に会いたい岸本は、なるべく体格のいい役員を2人選んでボディーガード代わりに連れて行った。防弾チョッキと防刃チョッキは、万一の事態を真剣に心配した取引先の苦肉の気遣いだった。
しかし大王本社に到着すると、工場長が出てきて「お引き取りください」と一行を押し返した。岸本は「せっかくここまで来たのだから」と粘ったが、結局、門前払いを食らった。
統合「白紙撤回」の背後事情
佐光はなぜ、これほどまでに岸本との面談を嫌がるのか。背後には様々な事情がある。まず1つ目が北越紀州・三菱製紙の販売子会社統合問題。
2014年8月、北越紀州は業界6位の三菱製紙と、お互いの販売子会社の「経営統合を検討する」と発表した。
ところが統合を予定していた2015年4月になると、両社は一転して統合の白紙撤回を発表。三菱製紙の腰が引けたことが原因だ。北越紀州は「背後に大王からの圧力がある」とし、大王は「圧力などかけていない」と主張している。
圧力とは何か。
実は三菱製紙は北越紀州との交渉を始める前、大王との経営統合を検討していた。秘密保持契約を結んだ三菱製紙と大王は、それぞれ他社と提携交渉する場合、事前に相手に報告しなければならない約束になっていたが、三菱製紙は北越紀州との販売子会社統合について、大王に報告しなかった。
大王が訴えれば、三菱製紙が裁判で負ける可能性があったのだ。
では仮に大王が三菱製紙に圧力をかけたとして、なぜ大王は北越紀州と三菱製紙の販売子会社統合を邪魔する必要があったのか。
それは大王の現経営陣が、「北越紀州は三菱製紙との経営統合を踏み台にして大王を飲み込みに来る」と恐れているからだ。
業界再編をめぐる対立
話のもとをただせば、「製紙業界第3極」の問題に突き当たる。
日本の製紙業界には、売上高1兆円を超える王子ホールディングスと日本製紙の2強が君臨している。レンゴー、大王製紙、北越紀州製紙、三菱製紙など3番手グループの規模は2強の半分程度しかない。
製紙は典型的な装置産業であり、規模のメリットが働きやすく、「大が小を飲む」再編の歴史が続いてきた。北越も2006年に王子製紙から敵対的買収を仕掛けられたことがあり、2強以外の会社は「いつ飲み込まれるか」という恐怖と戦いながら経営している。
岸本はかねて、業界の3位集団が経営統合し、王子、日本製紙と並ぶ企業を作るべきだという「製紙第3極」を唱えている。3位のレンゴーはダンボールが主力で業態がやや異なるため、4位の大王と5位北越紀州の経営統合が岸本の悲願である。
しかし、佐光率いる大王は、「自主独立で生きていける」と岸本の誘いに応じない。そこで岸本は佐光の態度が軟化するのを待つ間、三菱製紙との統合話を進めることにした。その第一歩が両社による販社統合だった。
北越紀州は2015年6月26日に開かれた大王の第104回定時株主総会で、佐光が筆頭株主との対話に応じないのは「上場企業のガバナンスコードに反する」という理由から、佐光の取締役再任に反対した。
佐光は北越紀州以外の株主の信任を取り付けて再任されたが、筆頭株主と現経営陣の緊張関係は強まる一方。ついに両者の対立は法廷にまで持ち込まれた。
「中興の祖」の不穏な動き
今年1月28日、北越紀州が大王の経営陣を相手取って起こした損害賠償請求訴訟の第1回口頭弁論が東京地裁で開かれた。
焦点は、大王が昨年9月に発表した2020年満期ユーロ円建転換社債型新株予約権付社債の発行(300億円規模)である。この社債が株式に転換されると、希薄化により、現在21.23%である北越紀州の大王に対する持ち株比率は20%未満になり、大王は北越紀州の持分法対象会社から外れる。
そうなると、北越紀州にとって、大王の決算内容を自社の連結損益に反映できなくなり、株式取得に多額の費用をかけた効果が薄れることにもなる。
この社債発行を、北越紀州は「株主の利益を毀損する買収防衛策」と判断。筆頭株主の反対にもかかわらず発行を強行した佐光を含む13人の大王取締役に対し、任務懈怠(けたい)などを理由に株価下落で被った損害、88億145 万円の賠償を求めた。
大王は、第1回口頭弁論のあった当日、「本件発行に関して当社取締役の任務懈怠を含むいかなる違法もなく、原告の請求は法的根拠のない不当なものと考えております」という声明を出した。「社債の発行は買収防衛ではなく、紙オムツ工場の設備投資などに必要な資金の調達」というのが大王の主張である。
裁判の結果は、「製紙業界再編」に直結する。もし大王が負ければ、北越紀州との統合に反対してきた佐光ら現経営陣の退陣は避けられず、4位、5位の統合に向け一気に局面は動くだろう。北越紀州と販売部門の統合を検討したこともある三菱製紙が加わり、王子製紙、日本製紙の2強に対抗する「第3極」誕生の動きが加速することになる。
一方、裁判で大王が勝てば、佐光ら現経営陣は当面安泰ということになる。逆に、再編の動きには大きなブレーキがかかる。
しかし、混乱はそこで終わらない可能性もある。佐光に会社を追われたが、今も大王の大株主トップ10に名を連ねる「中興の祖」井川高雄が不穏な動きを見せているのだ。
凄まじい執念
高雄の長男、井川意高は大王製紙の社長だった当時、香港など海外のバカラ賭博で作った巨額の借金返済に子会社の金100億円以上を不正流用した疑いで2011年に特別背任に問われ、その後有罪の判決を受けた。
高雄は意高の後任に、自分が育てた「番頭」の佐光を選んだ。これが高雄にとっては大きな誤算だった。
佐光は社長に就任すると、手のひらを返したように、高雄に牙をむいた。マスコミや金融機関の「創業家バッシング」に乗じ、最高顧問の高雄を解嘱した。
高雄は反撃に転じ、2012年10月に1度は顧問に復帰したが、高雄が週刊誌などで大王の現経営陣を批判すると、2年後に佐光は再び高雄を解任した。2度目の解任の4カ月前、高雄は最初の解嘱を不服とし、「(意高のバカラ賭博)事件に関与していない自分を不当に解任した」と、佐光個人に対して約1億円の慰謝料を求める裁判を起こし、現在も争っている。
高雄の執念は凄まじい。バカラ賭博事件の後、高雄は意高の賠償金(大王への未返済金)約60億円を支払うため、保有していた大王株の大半を北越紀州に売却した。その時の価格は1株400円程度である。
現在、高雄は佐光を追い落とすため、再び大王株を買い集めているが、平均買いコストは1株1200円程度。それでも高雄は私財を投げ打って大王株を買い集め、すでに3%を超える個人大株主に復帰している。
筆頭株主と中興の祖がタッグ
高雄と北越紀州の岸本には浅からぬ因縁がある。
バカラ賭博事件で大王の創業家ガバナンスが揺らいだ時には、王子製紙、日本製紙の2強による「大王買収」が取り沙汰された。このとき大王に助け舟を出したのが岸本だった。高雄の持ち株を買い取って安定株主の役回りを果たし、列強から大王を守った。
この出資には「恩返し」の意味がある。2006年、王子製紙が北越製紙(当時は紀州製紙と合併前)に敵対的買収を仕掛けたとき、「列強嫌い」の高雄は市場で北越株を買い進め、北越を守ったのだ。
当時、副社長として北越の防衛に奔走した岸本は、この頃から高雄と気脈を通じ、「いずれ両社で製紙第3極を作ろう」と話し合っていた。
高雄は社長時代から「製紙業界が王子製紙と日本製紙の2強に支配されるのは良くない」と公言しており、その意味では「第3極」を唱える岸本と同じ立場をとっている。
自分を解任した佐光が「許せない」と怒りを募らせる高雄と「製紙第3極」を目指す岸本は、今や完全な「同志」である。大王が転換社債を発行して北越紀州の持ち株を希薄化させても、その分を高雄が買い増せば、佐光の防衛策は破綻する。筆頭株主と中興の祖を敵に回した佐光は、絶体絶命のピンチにあるように見える。
だが一介のサラリーマン社長である佐光はあくまで強気だ。それを支えているのが、大王製紙グループの複雑怪奇なガバナンスである。それを理解するには、大王の創業まで遡らねばならない。
創業家一族の内紛も
大王製紙の創業者、井川伊勢吉はリヤカーを引いて古紙を回収するところから事業を興した。地元で「いせきっつぁん」と慕われた伊勢吉は昭和18年、愛媛、香川、高知の機械すき和紙メーカー14社を統合し、大王製紙を設立した。社名には「業界最大手の王子製紙を超える」という野心が込められた。
伊勢吉には長男・高雄を含めて6男2女の子どもがある。大王本体の経営は一時期を除いて基本的に高雄、意高と長男が引き継いだが、こうした親族も本体や兵庫製紙、カミ商事、大王海運といったグループ企業で要職を占めている。
高雄は「エリエール」ブランドで知られるティシュペーパーの価格破壊で王子製紙や日本製紙をきりきり舞いさせ、「四国の暴れん坊」と呼ばれた。3代目の意高も東大出の秀才で、経営者としての評判は悪くなかった。
だがバカラ賭博事件をきっかけに、「長男総取り」に対する一族の不満が噴出した。一族は佐光側に付いて、独裁者の高雄を追い落とした。佐光が見せる自信の背後には、「高雄以外の井川家は自分の味方」という確信がある。関係者によると、「高雄以外の井川一族が持つ大王株は、北越紀州と高雄の持ち株に拮抗する」。
高雄を除く井川一族が佐光に付いている以上、北越紀州も敵対的TOBなど手荒なことはできない。主要なグループ企業が離反したら、大王グループのサプライチェーン(原材料の調達から商品販売までの流れ)が破綻するからだ。
大塚家具や大王製紙のように、創業家のお家騒動が表面化するのは珍しい。だが戦後70年が経過し、多くの企業、特に「地方豪族」の中では火種がくすぶり続けている。企業経営における「戦後」はまだ終わっていない。
北越紀州と大王の裁判は現在も月1回のペースで口頭弁論が開かれており、双方が自社の主張を繰り広げ、一歩も引かない構え。互いに和解に応じる気配もなく、大王は「経営陣と筆頭株主が係争中」という異常事態のまま6月の株主総会を迎えることになりそうだ。(文中敬称略)
大西康之
経済ジャーナリスト、1965年生まれ。1988年日本経済新聞に入社し、産業部で企業取材を担当。98年、欧州総局(ロンドン)。日本経済新聞編集委員、日経ビジネス編集委員を経て2016年に独立。著書に「稲盛和夫最後の闘い~JAL再生に賭けた経営者人生」(日本経済新聞)「会社が消えた日~三洋電機10万人のそれから」(日経BP)などがある。
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(2016年4月14日フォーサイトより転載)