深夜の衝撃「中台トップ会談」実現へ

中台関係の改善局面をもたらした8年の馬政権にとって、「中台トップ会談」は最大かつ最後の見せ場になる。

 深夜の台湾に衝撃が走った。日本時間の3日午後11時半、台湾のテレビに「速報」の文字が突然現れた。「週六馬習会(土曜日に、馬英九・習近平が会談へ)」。情報のソースは、ネットで速報を流した『自由時報』だった。自由時報は台湾の日刊紙で、政治的立場は明確な民進党寄り、反国民党、反中国を掲げている。記事を発信したのは自由時報きってのベテラン記者で、台湾の政権内部に太いパイプを持っていることで知られる鄒景雯記者で、1949年の中台分断以来、初のトップ会談を伝えるさすがの力量を示した。

馬総統の独断か?

 同紙の立場を反映して、その報じ方は厳しいものだった。「台湾の公民社会や国会の同意と了解を得ておらず、民主国家の常規を外しており、社会に大きな衝撃をもたらすだろう」「本紙の報道まで、ブラックボックスの作業が行われており、公開透明原則にも反している」。そんな手厳しい評論が並んだ。

 本来、総統府サイドとしては、4日に立法院(国会)に報告してこの件を公にし、5日に馬総統の記者会見を行って詳細を世間に伝える予定にしていたとされる。だが、1日早く、しかも望ましくないメディアに先んじて情報が漏れた形となった。このリークは、馬政権内にも、今回の中台トップ会談への異論があることを示唆している。

 というのも、現在、台湾では来年1月に総統選、立法院選のダブル選挙を控えて、選挙情勢が最もセンシティブな時期に差し掛かっている。今回の会談が、もともと野党・民進党に大きく遅れを取っている国民党の選挙にプラスになるかどうか微妙なところがある。しかも、支持率が低迷し、存在感が薄まっている馬総統がこのような大胆な行動に出ることには、当然、複雑な反応が予想されるからだ。

 今回のトップ会談について、馬総統サイドは国民党の党主席で総統候補である朱立倫氏や、立法院長の王金平氏などに説明していなかったと、自由時報は報じている。ただ、朱氏は「聞いていた」と語ったと別のメディアは報じている。総じて言えば、今回の情報封鎖はかなり徹底されていた印象で、10月に広州で行われた中台事務方の会談から急激に話が進展したという観測も出ている。トップ会談については、馬総統はこの2年ほど、絶えず中国側に「期待」を投げかけており、昨年11月の北京APECにも出席を要望したが、国際会議の舞台での台湾の指導者の出席に中国側が難色を示して頓挫した経緯があった。

 その意味では、今回のトップ会談の決定が、習氏との会談によって「歴史的業績」を残すことにこだわっていた馬総統の強いイニシアチブ、あるいは「独断」によるものである可能性も、いまのところ排除できない。

因縁のシンガポールで

 一方、中国側にとってみれば、中台関係の改善は馬総統が就任した2008年以来のテーマであり、馬総統なくして現在の雪解けが起きなかったのは確かで、馬総統は「恩人」だ。加えて、中国にとっても、台湾統一は国家統合の最終目標の1つであり、指導者ならば誰でも野心を抱くものだ。加えて、台湾では来年1月の選挙で民進党の蔡英文氏が当選する可能性は極めて高いが、独立志向を持っている民進党政権になれば、中台関係の停滞、後退は不可避だと見られている。蔡氏の当選後は馬総統の権威は半減することになり、中台蜜月8年を総括するトップ会談のタイミングはいましかない、と判断した可能性もある。

 中国にとってみれば、政権末期の馬総統に会うことは、これから誕生するであろう民進党・蔡政権に向けて、1つの強烈なメッセージ、つまり、「我々のパートナーでいたければ馬政権のようにやりなさい」という意図を伝えることになる。また、米中関係が悪化するなかで、台湾関係を固めておいてバランスを取ろうとする意図も感じさせる。

 今回、会談の舞台がシンガポールであるのは因縁を感じさせるし、シンガポールという華人国家の役割を改めて印象づけることになった。いまから22年前の1993年、中台の窓口機関同士のトップが会談を初めて行ったのもシンガポールだった。その際に交わされ、現在の中台関係の基軸となっている「1992年コンセンサス」(お互いが1つの中国を掲げながら、その内容はそれぞれ異なることを認める合意)が生まれた場所でもある。1993年は、当時上級相のリー・シェンロン氏がホスト国として根回しに協力したが、今回はその息子であるリー・シェンロン首相が協力に応じた形となる。なぜなら、今回、習氏のシンガポール訪問が国交25周年を記念した正式訪問であり、その場に「偶然」という形で馬総統が出現することは、シンガポール政府の最高レベルの承認がなければあり得ないからだ。

最大かつ最後の見せ場

 馬総統は7日に専用機で台北から飛び、シンガポールに正午ごろに到着。午後3時ごろに習氏と会談を行った後、双方は別々に記者会見を行い、共同声明や平和協定などの署名が求められるものは行わないという。同日の昼か夜に食事を共にするとも伝えられる。最も重要なお互いの身分は、習氏が「大陸領導人(指導者)」で、馬氏は「台湾領導人」となる見込みだ。現在、馬氏は国民党の主席ではないので、共産党と国民党の政党交流という形は取らない。お互い肩書の呼称は使わず「馬先生」「習先生」と呼び合うはずだ。会談でどんな内容が取り上げられるのかは明らかになっていないが、中台関係の改善局面をもたらしたこの8年の馬政権にとって、最大かつ最後の見せ場になることは間違いない。

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野嶋剛

1968年生れ。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。92年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学、西部社会部を経て、2001年シンガポール支局長。その後、イラク戦争の従軍取材を経験し、07年台北支局長、国際編集部次長。現在はアエラ編集部。著書に「イラク戦争従軍記」(朝日新聞社)、「ふたつの故宮博物院」(新潮選書)、「謎の名画・清明上河図」(勉誠出版)、「銀輪の巨人ジャイアント」(東洋経済新報社)、「ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち」(講談社)、「認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾」(明石書店)、訳書に「チャイニーズ・ライフ」(明石書店)。

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(2015年11月4日フォーサイトより転載)

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