12月21日に投開票されるスペイン・カタルーニャ州議会選挙を前に、カタルーニャでは誰もが内心落ち着かない日々を送っている。10月のような独立派のスペイン政府に対する抗議行動は少なくなり、街は表向き、日常を取り戻したかのように見える。
しかし、問題が沈静化したわけではない。独立をめぐる姿勢の違いは、かえって深部に入り込み、刺さって抜けない棘のように、カタルーニャ社会に痛みを与えている。10月からの一連の動き――違憲住民投票、一方的独立宣言、中央政府による自治権停止――は、スペイン政府とカタルーニャ州政府という、本来政治レベルで行われるべき対話がないまま、家庭、職場、友人同士という、一般市民の間で激しく是非が議論されることになった。
その結果、「独立」への考え方の違いがもとで友人、同僚と疎遠になったり、夫婦の中には離婚にいたったりするケースもあると聞いた。
拘置所からの出馬
そんな1カ月が過ぎた頃だっただろうか。エチケットとして、誰かと会ったときに独立の話題は出さずに、12月21日の投票で自分の意見を表明しようというムードが生まれてきた。自分たちの土地は、はたして「カタルーニャ共和国」なのか。
それともこれまで通り、スペインの北東部を占める一地方なのか――。カタルーニャの命運を握る今回の州議会選は、当然のことながら関心が高い。投票日はウィークデーの木曜日だが、4時間は職場を離れて投票に行く権利が認められており、80%を超える空前の投票率になることが予想されている。
それにしても、前代未聞の選挙戦である。保守系連合の「カタルーニャのための連合( Junts per Catalunya )」から出馬するカルレス・プチデモン前カタルーニャ州首相は、国家反逆罪の容疑で請求された逮捕状の執行を逃れ、ベルギーに事実上「亡命中」で、ブリュッセルから選挙活動を展開している。選挙演説はベルギーから中継され、12月初めには4万5000人にものぼる独立支持派(ブリュッセル警察発表)がバスツアーを組んで、「ブリュッセル詣で」を行った。スペインのマリアノ・ラホイ・ブレイ首相とプチデモン氏が、それぞれの正当性を主張するインタビューも国境を越え、舌戦が展開されたのはベルギーの有力紙『ル・ソワール』上だ。
独立派政党「カタルーニャ共和主義左派(ERC)」が擁する前州副首相ウリオル・ジュンケラス氏は、異例の拘置所からの出馬である。選挙集会では、もちろん本人は不在。立候補者が座るはずだった空席の椅子には、大きな黄色いリボンが飾られている。アウェアネスリボンと呼ばれるこの黄色のリボンは、一般的には戦地に赴いて祖国に帰れない、兵士たちの帰りを待ちわびるときに使われる。カタルーニャでは、スペインで収監され、「祖国」カタルーニャ共和国に戻ることができない元閣僚たちの即時釈放を求めるシンボルだ。
地元紙『ラヴァンガルディア』の世論調査によると、定数135議席に対し、独立派3党(前述の2党と急進左派である「人民連合党(CUP)」)の獲得議席予測は67と、改選前の72議席から議席を減らし、絶対多数は維持できない見通しである。対する独立反対派3党の獲得議席予想は59。独立派を阻止するために議席を伸ばすと予想されるのは、「市民党(シウダダノス)」である。
この党はカタルーニャ主義が行き過ぎることに懸念をもった、15人の知識人が始めた市民運動が母体で、2006年に結成された党である。同党から出馬するのは、日本であれば「美人過ぎる政治家」として騒がれるに違いない36歳のイネス・アリマダス氏だ。
アンダルシア州出身のアリマダス氏は、演劇と法律、ビジネスを学んだ弁護士で、6年間でカタルーニャ語をマスターし、家庭ではカタルーニャ人の夫と完璧なカタルーニャ語を話すという。しかし演説は標準語であるスペイン語(カスティリア地方のスペイン語)でしか行わない。そうすることで、スペインの他の地方から移住してきて、スペイン語しか話せず、政治に関心が薄かった層に、独立派の動きに危機感を持ち始めたタイミングで訴えかけることができ、支持を広げている。
「フランコ時代と同じ」
バルセロナ近郊には、1960~70年代にアンダルシア州、ムルシア州などスペインの他地域から住民が労働者として流入し、スペイン語圏を作っている。プチデモン氏が一方的に独立宣言をした後、アリマダス氏は「あなたのせいで、わたしのおばあちゃんのように、故郷アンダルシアに帰るのにパスポートが必要となる人が出てくるのです」と怒りを露わにして行ったスピーチは、他地域からの移住者に共感を呼び起こした。
一方、複雑なのが、スペインのラホイ首相の政党である「国民党(PP)」と、カタルーニャの関係である。国民党は歴史的にみれば、独裁者フランシスコ・フランコ元国家元首の流れをくむ政党であり、カタルーニャでは代々あまり議席を取ることはできなかった。それだけに、10月1日の住民投票に中央警察が介入したときは、「カタルーニャ人よ、気をつけろ! フランコが戻ってきた」という独立派の落書きや張り紙が街に増えた。
カタルーニャ人が独立を望む理由を、「富んだ地域が貧しい地域に税金を取られることが不満」と解説するメディアがあるが、それだけでは説明がつかない。
10月以降、主要銀行など約3000社が独立を恐れて本社登記を州外に移転し、観光業は大打撃を受け、不動産市場はバルセロナだけが値を下げ始めている。もし経済的な理由なら、独立派がもっと減ってもいいはずである。
4割近い独立支持派の中には、55歳以上のシニアも多いといわれ、この層はフランコ時代にカタルーニャ語を禁じられた記憶がまだ生々しい。カタルーニャ語は家庭内では話されていたが、公では禁止されていた。筆者の60代の友人はうっかり学校でカタルーニャ語をしゃべってしまい、教師に往復ビンタされたことを未だに忘れていないという。憲法155条が発動され、州政府閣僚が逮捕されたときも、道で抗議行動をしていた女性は「フランコ時代と同じだわ」と、涙ながらにつぶやいていた。
実際には、今回の自治権停止をフランコ時代と同レベルで語ることはできないが、独週刊紙『ディー・ツァイト』はカタルーニャに、「被害者であることを崇める風潮」のようなものがあると指摘している。中央政府側はこれを独立派による「洗脳」と主張するが、被害者の「記憶」というものは、たとえ次の世代になっても、消えずに受け継がれるものだ。
独立派、反独立派の支持が拮抗し、接戦が予想される州議会選。ちょうど民主憲法が制定されてから40周年を迎える2018年に向けて、カタルーニャは岐路に立っている。
大野ゆり子 エッセイスト。上智大学卒業。独カールスルーエ大学で修士号取得(美術史、ドイツ現代史)。読売新聞記者、新潮社編集者として「フォーサイト」創刊に立ち会ったのち、指揮者大野和士氏と結婚。クロアチア、イタリア、ドイツ、ベルギー、フランスの各国で生活し、現在、ブリュッセルとバルセロナに拠点を置く。
(2017年12月20日フォーサイトより転載)
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