今季セレッソ大阪に加入したディエゴ・フォルラン。W杯得点王のJリーグ参戦とあって、開幕前から盛り上がりを見せているが、改めてフォルランとはどんな人物なのか振り返ってみたい。スペイン在住記者が解説する。
■サッカー一家に育ったフォルラン
「南アフリカで僕らはベスト4だった。僕はベストプレーヤーに選ばれた。でももう、そのことは考えない。唯一考えるのは、僕らが再び歴史を作り出すことができるということだけだ」
ワールドカップのテレビ中継視聴者加入を呼びかけるこの宣伝を通して、笑顔を見せているのは、セレッソ大阪移籍の決まったウルグアイ人アタッカー、ディエゴ・フォルランだ。
この宣伝は流れるやいなや、15日間で300万人もの人々が視聴する大ヒットとなった。300万アクセスというのはラテンアメリカのみに限った数字だが、中南米でのフォルラン人気の一つの目安になるのではないだろうか。
ブラジルやアルゼンチンに比べれば、地味なイメージのあるウルグアイだが、もともとウルグアイはワールドカップの歴史における最初の開催国、そして優勝国でもある歴史的なサッカー大国だ。
中でもディエゴ・フォルランは、その歴史を体現している存在だと言える。ディエゴの父、パブロ・フォルランはサッカー選手、それもワールドカップに三回、出場した経歴を持っている。
また、母方の祖父フアン・カルロス・カラッソもウルグアイ代表コーチを務めていた。フォルランは、生まれ落ちた時からまさにウルグアイサッカー界のサラブレッドだったのだ。
■幼き頃はテニス選手を目指していたが...
52年という半世紀を隔てて、三代揃ってコパ・アメリカを手にする前代未聞の記録も手にしており、ディエゴ・フォルランはコパ・アメリカを手にした時、「僕らの名字はこの優勝カップの思い出と共に残るだろう」との言葉を残した。
それも一つの歴史的瞬間には違いない。ジェネレーションにして3代目になる本人は、小さい頃はテニスプレーヤーを目指そうとしたが、流れる血には勝てなかったようだ。
「僕は、父が有名なのを認識していたし、"フォルランの息子"と呼ばれることに誇りを感じてきた。自分に息子が生まれたら、是非、この家族の伝統を継がせたい。お父さんも喜ばせてあげられるだろうし」と話すフォルランは、昨年23歳のパス・カルドッソさんと結婚したばかり。
そのパスさんは薬学を勉強しているが、同時にウルグアイホッケーのトップチームのプロ選手であり、フォルランと同じ"10番"をつけてチームでプレーしている。4代目も期待できそうな環境は整っているといえよう。
フォルランは、23歳でイングランド・プレミアリーグ、マンチェスター・ユナイテッドに移籍したが、スペインで知られるようになったのは、2004年に国内のビジャレアルに移籍してきてからだ。
■スペインで巻き起こした旋風
当時のビジャレアルは1部でUEFA杯(現在のヨーロッパリーグ)を目指そうとしている新興勢力であり、2004年からチリ人監督のマヌエル・ペレグリーニ(現在のマンチェスター・シティ監督)がチームを率いるタイミングで、フアン・ロマン・リケルメなどと共に呼ばれた。
当時、中南米からの監督にしろ、選手にしろ、リーガエスパニョーラ(スペインリーグ)での成功例は非常に少なかった。そのため、周囲はそれほどの期待をしていなかったし、マンチェスター・ユナイテッドから格下のビジャレアルにわざわざ来たフォルランは、"その程度"の選手なのではないかと疑問視されていた。
だが、ピッチ上であっという間に結果を出し、初めてのリーガエスパニョーラでフォルランは得点王(25点)となり、更に欧州ゴールデンブーツも獲得する活躍を見せる。その後は、アトレティコ・マドリーに移籍。
最終的にリーガには8シーズン在籍することになるのだが、アトレティコでも再び得点王(35点)となり、また欧州ゴールデンブーツを再度受賞する快挙を遂げた。
その後、2010年の南アフリカワールドカップでも得点王とMVPを獲得しているのは周知のとおりだが、ウルグアイのモンテビデオラジオのゴンサロ・ランチ記者は、「おかげで、子ども達はメッシやビジャなど、それまでアルゼンチンやスペインの10番のユニフォームを着ていたのに、ウルグアイの10番のユニフォームを着るようになったんだよ」とそのフォルラン効果を伝えている。
■語学堪能、日本語に期待も!?
12日には日本で本人の入団記者会見が行われるようだが、その人見知りをしない明るい性格に周囲は驚かされることだろう。行った先々で英語、イタリア語、ポルトガル語と次々、習得してきたフォルランのこと、日本語にも挑戦する可能性は十分あるだろう。
数日前も、地元ウルグアイのラジオ局のインタビューに答えて、日本のことは前から興味があり、Jリーグに行って日本でプレーするのをとても楽しみにしている、と話したばかりだ。
だが、観光気分で行くわけではなく、「期待されているとおり、(Jリーグでの)指針にならなければならないと思っている」と日本での自分の使命を認識しているのが頼もしい限りだ。
ディエゴ・フォルランをスター扱いして囃し立てるだけではなく、これだけ多くのキャリアを積みながら全く気取らない姿勢、自分の今までの経験を伝えていこうとするベテランとしての心構えなど、選手や関係者は、是非、彼から貪欲に吸収してほしいと思う。
フォルランが自国ウルグアイやスペインで吹き込んだあの旋風を、Jリーグにも巻き起こしてくれることを期待したい。
関連リンク
(2014年2月11日フットボールチャンネル「ペイン在住記者が解説、ディエゴ・フォルランという男。陽気で語学堪能、日本語にも挑戦か」)