ジェイン・ジェイコブスまでの距離

ニューヨークでは家賃の上昇についていけなくなり、市内のより周縁地域や市外へと引っ越す人たちが増えている。

マンハッタンのハドソン通りにある3階建ての建物が2009年に3.5百万ドルで売られた。

不動産価格が高騰しているニューヨークではよくある話だ。ニューヨークでは家賃の上昇についていけなくなり、市内のより周縁地域や市外へと引っ越す人たちが増えている。

それは招いたのはジェイン・ジェイコブスだ。

1.

3.5百万ドルで売れたハドソン通り555番地は、ジェイコブスが1950-60年代に住み、彼女の主著となる『アメリカ大都市の死と生』(1961年) をしたためた場所だ。

ハドソン通りが南北に走るウェスト・ビレッジは、ニューヨーク市内でも理想的なネイバーフッドのひとつだ。

555hudson高層が少なく、入りくんだ小さな通り沿いに雰囲気のいいレストランやバーが点在する。

ジャズ・クラブの存在もビレッジに独自のキャラクターを与えている。

1950-60年代には、近くのワシントン・スクエアを分断し、マンハッタンを横断する高速道路の建設案が浮上した。

それに対して反対運動を主導したのがジェイコブスだ。

「パワー・ブローカー」ともいわれるロバート・モーゼスによる開発案の阻止に成功したことは、歴史的な事件といっていい。

ジェイコブスはビレッジのコミュニティを守った。だがその同じジェイコブスはコミュニティを内側から侵食するジェントリフィケーションも導いた。

『アメリカ大都市の死と生』の50年後にマックス・ペイジたちによってまとめられた『Reconsidering Jane Jacobs』は、様々な観点からジェイコブスの再考を迫っている。

2.

ジェイコブスはハドソン通りで繰り返される「ありふれた」日常を観察し、そこに都市のあるべきモデルを求めた。

ジェイコブスが見つめた1950年代のハドソン通りは中産階級の人たちが行き交い、肉屋や果物屋などの個人商店がビレッジの生活の中心だったにちがいない。

今日のニューヨークでは、その「ありふれた」光景はおそろしく高価で贅沢なものになった。

都市が機能するためには、低層と小さなブロック、そして古い建物を維持することが必要だとジェイコブスは主張した。

なるほど美観を保つことはできるだろう。だが低層は住宅供給を制限し、既存の不動産価格を大きく押し上げることになる。

外観をみるかぎり、ビレッジは今でもそのネイバーフッドの特徴をおおむね維持しているようだ。高層は少なく、小さな独立系のレストランが豊富だ。

いまや稀少となった「本物のニューヨーク」の名残といえるかもしれない。そこに住みたいと思う人はたくさんいる。ただし、著しく高い家賃を払うことができる人に限る。

低層の古い住宅は高層のアパートよりも高くつく。チャーミングなレストランはチェーン店より運営も価格もずっと高い。「古さ」や「本物らしさ」はタダではない。

今日のビレッジは高所得の白人が住むところだ。混在の必要性を強調したジェイコブスは、その意図とは裏腹に住民の分離を招き、特定の層の人たちの固定化を招いている。

ジェイコブスが描いたのはジェントリフィケーションのレシピだ。ありふれた建物が3.5百万ドルで売買されることが何よりもそれを示している。

3.

ペイジの指摘には一定の説得力がある。

実際、都市をより市場に委ねることを主張する一部のアーバニストたちにとって、ジェイコブスはNIMBYの象徴にほかならない。

1950-60年代は「アーバン・リニューアル」が進行し、既存のコミュニティが取り壊され、あちこちで真新しい高層や高速道路が建ち始めていた。

そうした状況では、低層の古い建物を残した小規模なネイバーフッドを主張することに意味があっただろう。

だが多くの人が家賃を払えなくなっている今のニューヨークでそれは通用するだろうか。

White_Horse_Tavernバーがあると夜も人通りがあるため、「人の目」の存在が近隣を安全にすると彼女は指摘した。

彼女が通ったバーの「ホワイト・ホース」は今も同じ場所で営業している。

混雑する今日のビレッジでもそれは「通りの自警」の役割を果たしているといえるだろうか。

1960年代のビレッジで読むジェイコブスと、今日のビレッジで読むジェイコブスとでは、彼女の主張は違った意味合いを帯びてくる。

社会学者のシャロン・ズーキンも、ジェイコブスがジェントリフィケーションに理想的条件を与えたことを指摘している。

住民の視点から都市開発を批判するズーキンが、住民運動のアイコンのジェイコブスに冷たい視線を向けたとしても、今日のニューヨークの状況を考えれば不思議ではない。

4.

ジェイコブスに距離をとる指摘が散見されるようになったのは、彼女の名前を至るところで目にするようになったことと無関係ではないだろう。

今日の都市の考え方に彼女ほど圧倒的な影響力をもつ者はほかにいない。

2006年に亡くなった後も、ジェイコブスの名はあらゆるところでより一層引用されるようになっている。近年のアーバニズムの盛り上がりもそれを後押ししている。

街角でビラを配り、反対運動を主導し、群衆を煽動したとして逮捕されたアクティビストがいまや権威として半ば神格化されていることに違和感を抱いている人も多いだろう。

「ジェイコブス」という単語は、しばしば低層、短いブロック、混合用途などといったものと一緒に提示される。

いつの間にかジェイコブスはプランナーのツールキットになったかのようだ。そして、多くの都市がその同じツールキットを利用して、同じ方向に収斂しようとしている。

路上での観察を雄弁に描き出し、トップダウンのプランナーを攻撃したジェイコブスにしてみれば皮肉な因果関係のはずだ。

ペイジ自身も、彼らの批判がジェイコブス本人ではなく、ある特定のアイデアの集合の代名詞となった「ジェイコブス」とよばれるものに向けられていると述べている。

ジェイコブスと「ジェイコブス」の間にも大きな距離がある。

5.

「ジェイコブス」の拡散に貢献した1人はリチャード・フロリダだろう。

フロリダは経済発展性と彼のいう「クリエイティブ・クラス」の関係を示唆し、そこから望ましい都市の条件をひきだそうとする。

都市の求心力をスタジアムやショッピングセンターではなく人に求めたこと、高密度でウォーカブルなダウンタウンを主張する点など、ジェイコブスと重なる部分は多い。

もっとも、フロリダの主張は各種データによって得られた結果から事後的に傾向性を示すのみで、それがなぜ、どのようにして起こりうるのかに踏み込むことはない。

一方、ジェイコブスが追求したのは「都市のはたらき」の解明だ。都市には混沌としたところがあるが、そこには明らかな秩序がある。その両者の関係に都市を示そうとした。

都市のはたらきを知ることなくツールキットを操るとすれば、それはジェイコブスが批判したル・コルビュジエと同じところに行き着くはずだ。

フロリダはしばしば生前の彼女と話をしたときのことに触れ、トロントに引越した自らをジェイコブスに重ねてみせようとする。

フロリダの身振りにもかかわらず、両者の距離は埋まりそうにない。

6.

ジェイコブスによると、大都市はたんに町を大きくしたものではない。それらの性質は根本的に異なる。よく似た指摘をしているのは物理学者のジェフリー・ウェストだ。

都市のサイズとそこから生まれる富はリニアの関係にはない。サイズが2倍になると、その都市の平均賃金や生産性、研究機関の数は15%倍増加する

ジェイコブスは歩道の機能を人と人の接触に求め、通りを行き交う人との偶発的なやりとりに都市に備わる力を見出そうとした。1950年代に複雑性の問題を考えていた。

ウェストやルイス・ベッテンコートなどサンタフェ研究所の研究者が「都市の科学」に取り組んでいるのは偶然ではないだろう。

「数学ができたらジェイコブスがしたであろうことをあなたはしている」。ウェストは人によくそういわれるという。ジェイコブスに科学を与える試みといってもいい。

サンタフェ研究所では定期的な打ち合わせはほとんどない。いつも混み合っているのはコーヒー・ルームだという。

そこでは予期しない相手との予期しない会話があちこちで生まれる。ちょうどニューヨークの歩道や地下鉄と同じように。

そこから生まれるものが都市ではない。それが立ち上がるさまが都市だ。ジェイコブスはそれを「歩道のバレエ」とよび、ウェストは「スーパーリニア」の規則性を見出した。

ジェイコブスとウェストは全く異なる言語を話す。それにもかかわらず、ジェイコブスとの距離が最も近いのはウェストたちのようにみえる。

7.

ジェイコブスが書いて残したものは何も変わっていない。そこにいろいろな人がさまざまな解釈を与えようとする。

いよいよジェイコブスも古典の仲間入りをしたらしい。「ジェイコブス」を忘れて、都市の息づかいに耳を傾けたジェイコブスをあらためて読んでみようと思う。

(2015年6月10日「Follow the accident. Fear the set plan.」より転載)

注目記事