先日10月10日に情報処理学会が突然「コンピュータ将棋プロジェクトの終了宣言」を発表しました。新棋戦「叡王戦」も始まり来年には第1期電王戦が控えているさなかでのこの宣言。一体どういうことなのか、電王戦のこれまでを振り返りながらその真相を探りました。
今回、終了宣言を発表したのは情報処理学会です。2010年に創立50周年の記念としてトッププロ棋士に勝つことを目標にしたプロジェクトを立ち上げました。日本将棋連盟に挑戦状を送り、米長邦雄日本将棋連盟会長(当時)が女流棋士誕生35周年であることから、当時の女流棋士のトップ、清水市代女流王将・女流王位が対局することになりました。
情報処理学会からの挑戦状
[画像:情報処理学会]
対局した「あから2010」とは、「激指」、「GPS将棋」、「Bonanza」、「YSS」の4つのコンピュータ将棋ソフトが合議によって指し手を決めるシステムの名称です。「あから」は10の224乗(将棋一局における合法手のおよその数)を意味する「阿伽羅」からきています。
クラスタ並列処理するマシンの台数は合計204台。物理コア数の合計は634コアにのぼります。Bonanzaの登場以降、マシンの性能が棋力へより顕著にあらわれるようになり、クラスタ並列による処理能力アップは自然な流れでした。
この対局の模様は、情報処理学会のサイトに記載されていますが、86手までであから2010が勝利。女流とはいえ平手でプロ棋士が負けたという事実は、当時話題になりました。
しかし、その後もこのプロジェクトを進めるべくトッププロ棋士との対局を望んでいたようですが、結局この一局しか実現しませんでした。
そのかわり翌年の2011年に、米長会長が選んだのはドワンゴと共同主催した「電王戦」です。対局は2012年の1月14日でしたが、対局者は会長自身。すでに引退しているとはいえプロ棋士です。いっぽうコンピュータ将棋ソフトは2011年に世界コンピュータ選手権で優勝した「ボンクラーズ」でした。
米長邦雄会長(当時)直筆の「電王戦」
「ボンクラーズ」は、Bonanzaをベースに改良し、クラスタ並列処理によりかなりの強さを誇っていました(名称はボナンザ+クラスタからきていて、ボンクラからきたわけじゃないです)。当時、開発者の伊藤英紀氏にお話を伺ったとき、クラスタ並列処理のプログラミングは非常に難しく、2台なら2倍、3台なら3倍とはならず、台数をたくさんつなげればいいというものでもないそうです。
当時ネットワーク対局ができる将棋サイト「将棋倶楽部24」にボンクラーズが参戦した際、レーティング(棋力を示す数値)が3300を超えていました。これはトッププロ棋士と同等かそれ以上の数値と言われています。ただし、30秒指しでの数値なので持ち時間がある程度長ければ人間の棋力が上がるので多少変わるかもしれません。
対局の結果は、米長会長の初手△6二玉という奇策に打って出ましたが、中盤の駆け引きでボンクラーズが優勢となり、113手まででボンクラーズが勝利しました。ボンクラーズは、世界コンピュータ将棋選手権に出場時は自作パソコン3台でしたが、この対局ではブレードサーバ(6枚のサーバブレードを使用)を使って臨んでおり、棋力が少しアップしていました(ソフトの改善は考えず)。
対局に使われたブレードサーバ
え? 自作パソコン3台とブレードサーバーとで、少ししか差が出ないの? と思われるでしょうが、深く読めば深く読むほど時間がかかるので2手とか3手深く読めるかぐらいの違いになります。それでもより深く読めることは、最善手を指す可能性が高くなるので少しの差でも重要であることには変わりません。
第1回電王戦の終局図
この対局の模様はニコ生で生中継されました。40万人ほどの視聴者を集め「人類対コンピューター」という戦いに、報道関係社も押し寄せ、テレビでも特番が組まれるほど大いに盛り上がりました。
日本将棋連盟としては、引退しているとはいえプロ棋士が負けてしまい、立場的にはあまりよろしくない状況だったと思います。しかし、400年以上の歴史はあれど現代では正直マイナーな将棋という競技が、これほど取り上げられたという点で興行的には成功したと感じたことでしょう。
コンピュータ将棋は日本将棋連盟にとって棋士たちの地位を揺らがせる「敵」のようですが、実は米長会長はコンピュータ将棋協会をサポートしていました。米長会長がこの電王戦を始めたのも、「人間とコンピュータとの共存共栄」です。コンピュータが人間に勝つのは、正直あまり好ましくはないけれど、コンピュータが強くなることで、より人間も強くなれ、人間の役に立つと考えていたのです。なんか矛盾しているようですが、コンピュータ将棋ソフトが強くなければ、人間はコンピュータ将棋ソフトから学ぶことがないのです。
米長永世棋聖として電王戦で戦う
それからもうひとつ、これは筆者の想像ですが、ドワンゴとともに電王戦を立ち上げることで、ネット中継を通じてファン層を広げられることと、プロ棋士側に対局料を支払うなど、いくつかのメリットが欲しかったのだと思います。研究としてただプロ棋士がコンピュータと対局しても、話題にはなったかもしれませんが、あまりプロ棋士側にメリットがありませんから。
ここで「コンピュータ将棋プロジェクトの終了宣言」に話を戻しますが、あから2010との対局以降は、情報処理学会は直接プロ棋士との対局には関わっていません。逆に、まだプロジェクトが存在していたのかと筆者は思ったほどです。
情報処理学会は、なぜ終了の判断を下したのかというと、レーティングがトッププロ棋士を超えているだろうということ。これまでの電王戦から、プロ棋士と互角以上の結果がでていること。現在の電王戦ではコンピュータ側の処理能力を制限していることも加味すると、すべて勝てるというわけではないが勝ち越す可能性が高い、ということで終了宣言に至ったようです。
この終了宣言に対して、電王戦にも関わってきたコンピュータ将棋協会の瀧澤会長に伺ったところ、以下のようなコメントをいただきました。
10日に発表となった(9日にNHKで報道された)件に関しては、プロジェクトの責任者(松原仁はこだて未来大学)、および小谷コンピュータ将棋協会副会長と事前に検討しました。
本来は,情報処理学会が「独自に」表明するメッセージなので我々に相談する必要はないのですが,松原さんがコンピュータ将棋協会の理事であることと、私と小谷さんが「あから」のプロジェクトメンバーでもあるので、「筋を通して」くれたものです。
我々の中では,「公式」表明はしておりませんが(また、証明されたわけでもなく、ご存知のように「ハンディ戦」(プロ棋士への事前貸し出しやパソコン性能の統一など)とはいえ,公式に行われた「電王戦FINAL」では棋士側が勝っていますが、そのことが)逆に、コンピュータ将棋の強さを棋士を含め、多くの方が認めたことが示された、と考えています。
トップの方との対局ができていないことは残念ですが、「情報処理学会」として、今回の表明をすることはやむを得ないと思います。
なお、個人的には現時点では、トッププロ棋士にコンピュータ将棋が追いついているかどうかですが(実際に対局が行われていない以上はっきりとは言えませんが)、あと3年以内には追いつき(10番勝負で5-5程度のパフォーマンス)、5年ほど先には、追い越す(10番勝負で7-3程度のパフォーマンス)ものと考えています。
なんと、あからのプロジェクトに関わっていたコンピュータ将棋協会の関係者に判断をあおっていたのです。コンピュータ将棋協会としても公式には表明していませんが、コンピュータ将棋のほうがプロ棋士をすでに上回っていると考えているようです。ただ、コンピュータ将棋協会として開発の手を緩めるということは、まだないと思われるので情報処理学会のように終了宣言はしばらく出さないでしょう。
では、なぜ今なのかというと、あから2010と清水市代女流王将・女流王位が対局したのが2010年10月11日。丸5年となる2015年10月10日に何かしらの結論を出したかったのではないかと推測されます。
現在、第1期電王戦へ向けて叡王戦は決勝トーナメント出場者が決定し17日よりトーナメントが始まります。対局するコンピュータ将棋ソフトは、エントリーが締め切られ11月21日より対戦が始まります。そんなさなかに「コンピュータ将棋プロジェクトの終了宣言」なんてショッキングな見出しが踊りましたが、将棋ファンもコンピュータ将棋ソフトの開発者も最終目的はタイトル保持者との対局、いや羽生善治四冠との対局が見たいのです。この目で勝敗を確認しなければ納得できないのです。
叡王戦の決勝トーナメント
残念ながら今回は羽生四冠が参戦していないので対局する可能性はないのですが、いつの日か(弱くなってからじゃ遅い)実現するまで、電王戦は続くと信じています。人間対人間とは違う人間対コンピュータの戦いは、勝敗だけでは語れないおもしろさがあることを、次回お話したいと思います。
(2015年10月15日Engadget日本版「「コンピュータ将棋プロジェクト」終了宣言を情報処理学会が発表、「新棋戦」開始直後発表の真相を探る:将棋電王戦への道」より転載)
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