追悼デヴィッド・ボウイ 音楽の世界にSFとファッションを融合させた男

1970年代前半はミック・ロンソンとのタッグによって派手なメイクにファッション性を加えたコンセプト色の高い作品を連発。

英国のロックスター デヴィッド・ボウイ が2016年1月10日、18ヵ月にわたるがんとの闘病を経て、家族に見守られながら息を引き取りました。1月8日には69回目の誕生日を迎えるとともに新作アルバム『★(Blackstar)』を発表したばかりでした。

ボウイの息子で映画監督のダンカン・ジョーンズは訃報に際し、幼い自分を肩車する父との写真をTwitterに投稿。「とても悲しく残念なことですが、事実です」と伝えました。

デヴィッド・ボウイこと、デヴィッド・ロバート・ヘイワード=ジョーンズは、1947年1月8日、ロンドンのブリクストンに生まれました。10代の頃から父のもつレコードライブラリーから米国のロック・ポップスに親しみ、サックスを学び始めます。15歳のときには当時のガールフレンドとの喧嘩で左眼の視力をほぼ失ってしまいます。ボウイの左右の眼の色が異なって見えるのはこのとき瞳孔が常時開いた状態となったからと言われます。

レコードデビューは1964年。デイヴィー・ジョーンズ名義でのことでした。しかしなかなかヒットには恵まれず、デヴィッド・ボウイに名前を変えて1969年にリリースした『スペース・オディティ』まで待たなければなりませんでした。『スペース・オディティ』はスタンリー・キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』に着想を得たアルバムでシングル・カットした同名曲は英国チャートで5位に食い込み、ボウイの足場を強固なものとしました。 

その後、1970年代前半はミック・ロンソンとのタッグによって派手なメイクにファッション性を加えたコンセプト色の高い作品を連発。自らアルバムの主人公ジギー・スターダストを演じるなど、グラム・ロックシーンの最先端を走りました。70年代中期は米国に渡り、ジョージ・オーウェルの SF小説 『1984年』に影響を受けたアルバム『ダイアモンド・ドッグズ』を制作、またジョン・レノンとの共作曲『フェイム』が全米1位を獲得しています。

1980年代になるとポップミュージックへ歩み寄り、『レッツ・ダンス』などが大ヒット。"ビッグスター"となっても活動ペースはとどまるところを知らず2000年代前半まで、1~2年ごとに作品を発表し続けました。

デヴィッド・ボウイは映画俳優としても多数の作品に出演しています。1976年の『地球に落ちてきた男』では容姿端麗な宇宙人の役が映画ファンに衝撃をもって迎えられたほか、1983年大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』で演じた英国軍のセリアズ少佐を、また1986年のファンタジー作『ラビリンス/魔王の迷宮』では魔王ジャレスの華麗なジャグリング(吹き替えですが)を思い出す人も多いはずです。

役者としては90年代以降も『ツイン・ピークス ローラ・パーマー最期の7日間』、『バスキア』など話題作に出演。『プレステージ』で天才発明家/電気技術者ニコラ・テスラに扮したかと思えば、『ズーランダー』ではカメオ出演ながらお馬鹿モデルたちのウォークバトルを審判する本人役を喜々として演じていました。

コンスタントな活躍を見せていたボウイですが、2003年のツアー中に動脈瘤がみつかり心臓を手術。それ以後いくつかの映画には出たものの音楽活動はピタリとストップしてしまいました。本人によるとその頃は音楽に対する興味を失い、創作意欲がわかなかったとしています。

ボウイが表舞台から姿を消して数年も経ったころ、巷に重病説が流れ始めました。その噂は「余命幾ばくもない」という表現にまで膨らみます。2012年にはイアン・マッカロク(エコー&ザ・バニーメン)がボウイの重病説を信じこみ、ボウイへの追悼曲まで作リ始める始末でした。ところがその矢先となる2013年1月8日、ボウイは自身のPRチームにも知らせないまま10年ぶりのアルバム『ザ・ネクスト・デイ』をリリース。このアルバムはiTunesを通じて119か国に配信され27ヵ国で24時間以内に1位をもぎ取りました。

昨年には『地球に落ちてきた男』のミュージカル化に携わっていたボウイですが、その頃にはすでにがんが進行していたようです。とはいえ2016年1月8日の誕生日には、冒頭に紹介した新作『★(Blackstar)』をリリース、同日に行われたフォトセッションでも最高の笑顔をみせていました。

長年のファンにとってボウイの死はとてつもない衝撃と喪失感を与えたはずです。しかし「地球に落ちてきた男」は、ジギー・スターダスト、スターマン、トム少佐などを演じては葬ってきました。そして今、ようやくデヴィッド・ボウイという役割をも演じ終えたのかもしれません。きっと今頃は親しかったジョン・レノンやフレディ・マーキュリーらと地球を見下ろしながら歓談していることでしょう。いや、もしかしたらルー・リードとチェルシー・ランデヴー事件の決着をつけている最中かもしれません。

ちなみに、ボウイの旅立ちには音楽界以外からも追悼の言葉が寄せられています。たとえば2013年に ISS でボウイの「スペース・オディティ」を唄ったクリス・ハドフィールド飛行士、ヴァージン・レコードでボウイの曲を売ったグループ総帥リチャード・ブランソン、宇宙からは ESA の彗星探査機ロゼッタが"宇宙旅行者仲間"として、アラジン・セインのメイクとともにツイートしています。

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