十月十八日に開かれる中国共産党の全国代表大会まで一か月が残っているが、大会を契機にしてこれからの中国の発展の方針がきまるので中国人が緊張してきている。
それを背景にして最近北京市はすべてのタクシー(7万台 )をガソリン車から電気自動車に切り替えるために9兆人民元(約13億㌦)の補助金を準備した。
中国が近い将来、北京市内を走る全ての化石燃料タクシーを段階的に廃止しただけではなくて、中国全域に電気自動車を大々的に導入するという計画は中国の新エネルギー戦略の一角にすぎない。
その変化の影響が世界に与えるインパクトは中国市場の規模を想像すれば、非常に大きい。
中国の企業に 成長する機会をもたらすことになり、これからの世界市場をも考えたら、日本がそのような斬新な決断ができないことはあとで深く後悔するのではないか。
これはただ日本が新市場をつかむ機会を逃したことではないらしい。中国が 全国代表大会を契機にして環境を大事にする文化と習慣を普及させようという目論見もある。
今年から中国では「生態文明」は流行り言葉になって官僚たちは突如として、環境問題について真剣に考えるようになった。実は去年九月に国务院が「生態文明体制快活総体法案」を出し、産業政策だけではなく、思想と理念、社会の原理と目標として生態を大事にする方針を実施することで共産党の意見が一致している。
その意味は深い。鄧小平以来経済から西洋とおなじように評価してきた中国はまた新しい計算の方法を検討しているのではないかと思われる。
九月十四日に青海省の政治家・沈青がまた人民日報に寄稿して「生態文明を建てることは市民の福祉に貢献する中国民族の未来に導く長期的な計画である」と書いた。
もちろん中国は依然として石炭を燃やしているが、最近の勢いをみれば、変化の速度は速い。日本においては、その経済に対する再定義の動きは まったく見受けない状態であるが、習近平主席は「青い水と緑の山はまさに金銀の山と同じ」と述べ、環境の経済的な価値を再確認した。
日本において「経済の発展」という概念は、優れた技術に裏付けされた高性能で高品質な商品を製造し、世界規模でビジネスをすることのみに注目が集まり、また人々のライフラインに必要なエネルギー政策に関しては、いかなる問題が起きようとも既存の発電システムに頼り続ける事が社会の中に揺らがぬ前提として鎮座している。しかしながら、同じ東洋の国々の中でも、経済システムの革命とも呼べる新しい挑戦が次々に行われている今の時代の流れを、日本人はどのように捉えて成長できる可能性を持っているだろうか。
日本では、北朝鮮のミサイル発射や安倍内閣による急速な法改正などに関連したニュースが多く報道され、大胆な戦略を打ち出すことのできない状態である。
それに対し中国は2020年までに新再生可能エネルギーの開発に3,600億ドルを投資することを決めており、太陽光や風力エネルギーの再生や開発の分野では世界のどこの国よりも先頭を走っている。
日本人の多くは今よりも更に性能の良い、新しいスマートフォンの開発や自動車を製造することによって、経済的な効果が得られ、日本は豊かになると信じているかもしれない。
そう思っている人々は、 今現在、進行中である歴史的な変化の規模を把握できていないのである。
今までの経済変遷を見つつ、更に歴史的観点から現在の経済とエネルギーの関わりを探ってみることにしよう。
アヘン戦争でイギリスに侵略される以前の中国の経済は、世界で最も大規模であり、洗練された行政と貿易の制度で有名なものであった。
明清時代の中国の成功要因は、高い教育水準に加えて、軍事的衝突が少なかったことが挙げられるが、それに加えて、何よりも中国が 食糧を効率的に生産する高い農業の技術を持ち合わせていて、 人間にとって最も重要な糧となる食料の自給能力が高かった事が、最も核心的な要因だといえるだろう。
1830年代以前までは、エネルギーは人間や動物の労働により生産されていた。簡単に述べると、手作業や動物を労働力として利用することにより生産された農産物や日光を利用した光合成のみがエネルギーを発生させる事のできる唯一の方法だった。
当時の中国では合理的な長期農業政策を推進していたのだが、その中でも最も素晴らしかったといえる点は、全国的に普及させた先進的な灌漑システム(農地に人口的に水を供給する事)を専門的に管理したことである。その背景にはやはり家柄や身分に関係なく誰でも受ける事のできる公正な試験による人材の登用システムである科挙制度と全国の知識人を政府で生かす 公正な政府の構造もあった。
ところが、イギリス(そしてその後、フランスとドイツ)は19世紀に石炭によって発生されるエネルギーを基盤とする新たな経済システムを取り入れた。
石炭は木材や肉体労働に比べて遥かに多くのエネルギー提供が可能になり、これにより大量な製品を生産できる工場を稼動できるようになった。
中国式のシステムは新たな経済と競うことができず、火力発電を積極的に軍事活用したアヘン戦争当時、中国やアジア諸国は全体的に屈辱感を味わうことになった。
しかし、大英帝国を導いてきた石炭を基盤をする経済は、永遠に、は続かなかった。
アメリカは20世紀初め、石炭よりはるかに効率的な化石燃料である石油を基盤とする経済インフラを迅速に構築していった。
1920年代、アメリカにそれを可能にさせた理由は、石油を基盤とした経済を具現化するための制度の柔軟性に加えて、アメリカ経済が過去のイギリスのように石炭に依存していなかったからである。
これによりアメリカは、自動車を中心とする新たな世界経済の中心的役割を果たすことになった。
しかし、まだゲームは終わっていない。
中国は近年、太陽光や風力発電の分野で効率的で、かつ画期的な発展を成し遂げた。それらを最大限に活用して、化石燃料を使用しない経済の具現を推進しつつ、また、既存の世界経済システムへの挑戦を続けている。
この画期的な発展水準は、19世紀初め、イギリスやドイツが蒸気機関車を開発して、世界経済にとても大きな変化をもたらした状況に引けを取らないであろう。
中国は電力生産に必要な安価な燃料をこれ以上、外国から輸入する必要がなく、新たなエネルギー生産のパラダイムをスムーズに掌握した。
また、これにより高価な費用を要する海外での石油確保に関わる競争も減らすことができるのはいうまでもない。それならば、石油利権を巡って強国が石油保有国に対して因縁をつけて侵略戦争をするという負のサイクルにも歯止めがかかるだろう。
そして、今まで技術は開発されたものの一般向けに広く販売され、普及するほど実用化されるまでに至らなかった圧縮空気を原動力にする自動車(MDIやタタ・モーターズなど、複数の圧縮空気車の会社がある)の需要の拡大やマーケットの改革も進む。
中国が太陽光や風力エネルギーの生産技術を支配して、これを統制するようになった場合、世界経済には根本的な変化が起きるはずだ。
そして、ドイツも近年 、中国と同様、新再生可能エネルギーへの転換に全力を注ぎ始めている。
それならば、日本の場合はどうであろうか。
日本が石油に支配されている経済から抜け出せず、化石燃料に依存する思考から根本的に抜け出す具体案を見出せない場合は、将来の展望はどうなるであろうか。
中東やアメリカとロシアなど、オイルマネーの執着から抜け出そうとする意志が足りない国と同じく、日本の未来は暗いであろう。
19世紀、中国がそうであったように、立ち遅れた経済システムに縛られた他の国と共に墜落してしまう恐怖から目を逸らしてはいけない。
そしてこれはまた、人々のライフスタイルの変化が必要な状況の中に私達がいるという事への認識を促す時代の警鐘である。
新たな再生可能エネルギーのパラダイム採択に必要なのは新しい日本を想像できる日本人である。 それに今の貿易パラダイムにおける石油の代価を認める勇気も欠かしてはいけない。