W杯代表、五輪代表それぞれへの批判はどう違うのか

シドニーから3大会連続で五輪に出場した元陸上選手と、一緒に考え、議論を深めます。議論は週刊誌AERAの連載で紹介します。いただいたコメントを抜粋・要約することもありますがご了承ください。

シドニーから3大会連続で五輪に出場した元陸上選手と、一緒に考え、議論を深めます。議論は週刊誌AERAの連載で紹介します。いただいたコメントを抜粋・要約することもありますがご了承ください。

前回のテーマ「サッカーの日本代表は責任を取るべきなのか」では、たくさんのコメントをいただきました。責任追及をしていいかどうかの議論の中でプロとアマで違いがあるのではないかというご指摘をいただきました。とても面白いなと思ったのでそれについて今回はプロとアマで何が違うのかについて考えてみたいと思います。

プロであるということはそれが職業として成り立っているということだと思います。サッカー(W杯)のビジネスモデルは私の認識では

1、興味を持つ人、感情移入する人がたくさんいる

2、メディアで扱う

3、スポンサーがつく

となっているように思います。1、2はどちらが先かわかりませんが、感情移入する人がいるからこそ2も3も成り立つのだと思います。感情移入した人は自分のことのように勝ち負けには一喜一憂し、おそらく落胆して批判もすれば、歓喜して称賛もするでしょう。もう少し踏み込むなら、監督に責任追及をするファンの方もいるかもしれません。ストレス発散が目的の人もいるとは思いますが、その人も興味を持っていることには違いがありません。

ワールドカップに関連するFIFAの収入が4年で3700億、今回の賞金総額は586億、優勝は35億。選手たちの広告費など、それらは、全てがサッカーに興味が集まることで成り立っています。

つまり、そもそも人々が感情移入してくれることで成り立っているものだから、運営者側の意図としても、システム自体から考えても、批判も称賛も寄せられることが自然ではないか。そういうご意見がありとても納得しました。

ですが、ここで一つ疑問がわきます。ほぼ金銭的恩恵を受けることのないアマチュア競技に対しての批判は、どう考えるべきでしょうか。オリンピックなどではアマチュアにもかかわらず結果が出せなかった選手に批判が起こることがあります。オリンピック選手の年収は、マイナー競技であれば一般的な会社員の年収とさほど変わりません。そういう対価に対し強い責任を負わせすぎではないかという意見もあります。また、お金じゃないもっと別の何かがあるのだという意見もあるでしょう。

私は陸上競技のハードルという比較的メジャーではない競技をしていましたから、現役時代は批判であれなんであれ構わないからとにかく競技に興味を持ってほしいと思っていました。そういう選手がいることも確かです。ですが、アマチュアの場合はひたすら静かに競技だけさせてほしいという人も確かにいます。

プロであるということを理由に批判することは許されるのか。また、アマチュア競技は批判されてもいいのか。ぜひ皆さんのご意見をお待ちしています。

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Twitter:@daijapan

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