シドニーから3大会連続で五輪に出場した元陸上選手と、一緒に考え、議論を深めます。議論は週刊誌AERAの連載で紹介します。いただいたコメントを抜粋・要約することもありますがご了承ください。
前回書いたお話で、価値よりも思いで仕事を評価するという点に反響があったので、今回はその話を少し広げて考えてみたいと思います。
スポーツの目的はいくつかありますが、僕は競技力を向上させるため、勝つためのスポーツをやっていました。その世界では勝つことが一番の評価基準になり、そのためにより効果のあることをやっていきます。
よく世間で勘違いされていることですが、苦しい練習=効果のある練習ではありません。もちろん相関はありますが、必ずしもそうは言えないのです。例えばプライオメトリックというトレーニングがあります。ボックスの上から飛び降り、すぐさまジャンプで跳ね上がるという練習です。見た目的には単調なジャンプの繰り返しですが、この練習はかなり身体に負荷が強いとされています。ただ体感的な辛さはほとんどありません。
ところが日本のスポーツのトレーニングを見ていると、ほとんどが辛さを優先しているものが多いです。野球でよくある長距離のランニングですが、野球という競技ではほとんど有酸素能力が必要ないので、本来この練習は効果がありません。何度も言いますが、相関はあっても辛ければ効果があるとは限りません。
いや、辛い思いをすると人間的成長があるんだというご意見もあります。確かにそれはそう思うのですが、ただその場合は強くなる勝利を目指すという目的ではなく人間的成長をするということを目的にすべきだと思います。
成果を出すのが目的だといいながら、犠牲を払うことや、または努力を評価する。目的が成果であるなら、努力も犠牲も手段にしかならず、成果で測ればよいのですが、そうとはならない。それは目的にはつながらないですよというと、いや人間的成長が苦しい思いをすることによって促されるとなる。目的は一体なんなのか混乱している人も多いのではないかと思います。スポーツに限らず、みなさんの職場などでも同じようなことがあるのではないでしょうか。
日本社会の息苦しさは、成果ではなく犠牲で貢献度をはかるところにあるのではないかと私は思っています。だから辛そうにしていないと頑張っているように思われない。何が本当の目的かを一度考える必要があるのではないでしょうか。
今回もご意見お待ちしています。