国立美術館の改修になぜ10年もかかったのか? 映画「みんなのアムステルダム国立美術館へ」を見て考えた

レンブラントの「夜警」やフェルメールの「牛乳を注ぐ女」「手紙を読む青衣の女」などの名作を所蔵することで知られるオランダのアムステルダム国立美術館。2013年4月に大規模改修を終えてグランドオープンしたが、それまでの10年間、この美術館には数々の試練が降りかかった。一体、何が起きたのか?

オランダのアムステルダム国立美術館といえば、レンブラントの「夜警」やフェルメールの「牛乳を注ぐ女」「手紙を読む青衣の女」などの名作を所蔵することで知られ、そのコレクションは、パリ・ルーヴル美術館やロンドン・大英博物館にも匹敵する。そんなヨーロッパ有数の美術館が、2013年4月に大規模改修を終えてグランドオープン。国内外から1日1万4000人もの来館者を集めているという。しかし、華々しいグランドオープンにこぎつけるまでに、この美術館には数々の試練が降りかかった。

そもそもこの美術館は1855年に開館して以来、度重なる拡張や増築で1990年代までには、迷路のようになっていた。増えるコレクションと来館者に対応するため、オランダ政府は2000年に美術館の全面改修を決定する。

巨額の予算をかけ、スペイン人建築家、クルス&オルティスによる斬新な設計とルーヴル美術館を手がけたフランス人内装家、ジャン=ミッシェル・ウィルモットによって、オランダが誇る最先端の美術館へと生まれ変わる計画だ。しかし、2003年に閉館、2008年には再オープンする予定だったが、完成は何度も延期され、実際には10年もの年月がかかってしまった。

果たして、この10年間、美術館では何が起きていたのか?

閉ざされていた美術館の内側を撮影、取材したドキュメンタリー映画が、現在公開中の「みんなのアムステルダム国立美術館へ」だ。

■「自転車が通りにくくなる」と市民が設計に猛反発

まず、最初のつまづきは美術館を貫く公道にあった。アムステルダムでは、市民の足として自転車が定着、この公道もサイクリストたちに日常的に使われていた。そこを美術館と建築家が大幅に手を加え、著名美術館にふさわしいエントランスへと改修しようとしたところ、市民から「自転車が通りにくくなる」と猛反発が起こる。

急先鋒のサイクリスト協会は「通路を救え」キャンペーンを張り、市民の主張と館長や建築家の理想は平行線をたどる。公道と美術館のエントランスをどうするのか、誰もが納得できる落としどころが見えない騒動の末、館長は辞任すると言い出す始末。

カメラは美術館を取り巻く攻防を赤裸々に映し出している。一方、美術館の内部にも深く入り込み、管理人の美術館への思いから、学芸員の美術品への愛情まで、美術館を支える人たちにも迫っている。それぞれが「あなた、本職の役者さんですよね?」と思わせるほど、登場人物すべてのキャラクターが際立ち、ドキュメンタリー映画に立体感を与えている。

中でも、アジア館主任学芸員、メンノ・フィツキさんからは1秒たりとも目が離せなかった。ライデン大学で日本語や日本文化について学び、専門は日本の陶磁器という。彼の部屋のシーンでは、湯のみにはいった日本茶が映っていて、かなりの日本びいきと思わせる。

美術館周囲で起きている喧騒のさなか、展示室の模型を手作りして、収蔵品をどうやって展示するか、ああでもない、こうでもないと検討している時のうれしそうな顔。新美術館に日本の金剛力士像を展示したいと熱望し、無事に入手できた時のうっとりとした表情。そして、開館が延長してしまい、収蔵庫で「君たちはこんなところにいるべきじゃない」(大意)と金剛力士像に悲しげに話しかける姿。「どれだけ日本美術を愛しているんだ、このオランダ人は!」と、日本人としてうれしくなってしまった。

■アムステルダム国立美術館が問うた「美術館は誰のもの?」

2008年に辞任した館長の後を継いで新たに就任した現館長にも、試練は容赦なく襲いかかった。映画では、その一部始終をあますところなく伝えている。涙あり、笑いありのドキュメンタリー映画なのだが、鑑賞後にふと、これは「遠いヨーロッパの美術館の話」として、終わらせてはいけないのでは? という気持ちがふつふつと湧いてきた。

ここまでアムステルダム国立美術館の騒動が大きくなったのは、舞台が市民が日常的に使う「公道」であり、国民の税金による「国立」であり、パブリックスペースとしての「美術館」だったからだ。誰の意見を尊重すべきなのか、この問題を終結するための「決定権」をめぐる争いでもあった。映画は問うている。「美術館は誰のもの?」

たとえば、私の暮らす東京では今、東京オリンピックの会場「新国立競技場」が取りざたされている。建築家のザハ・ハディドの設計が決まって以降、その建築をめぐって迷走していることは、ハフィントンポストでも伝えてきた通りだ。東京で生まれ育ったものとしては、明治神宮から外苑一帯の緑豊かなエリアは、故郷ともいえる原風景であり、散歩にもよく出かけた日常的に使うコミュニティスペースでもあった。

しかし、今の「新国立競技場」を進めている人たちは、私たちの声にどこまで耳を傾けてくれているのか、疑問を覚える。それを考えると、10年かかっても、思い切りぶつかり合って、最終的に現在の素晴らしいアムステルダム国立美術館を完成させた彼らが、心底うらやましく思えるのだ。

さて、最初に反発したサイクリストたちは結局、どうなったのか? 現地のサイクリストの動画を紹介して、あとは映画を見てのお楽しみにしていただきたい。

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