現代社会において、EQ(心の知能指数)は、とても重要だが過小評価されている能力のひとつだ。
私たちは日々の行いは、論理と理性に基づいていると思っているが、果たしてそれが正しいのだろうか。ひとつの問題をよく考えてみても、結局最初に思いついた結論に立ち戻ることが多いのではないだろうか? リーダーと呼ばれる人たちは、社会的、政治的な問題における人的要因を見過ごしているし、世の中の多くの人が正しいパートナーを選択していないのは、離婚率の高さをみれば、明らかだろう。
「感情なんて無視するのが賢明だ」と人々は考えているようだ。効率的に働くためには、”機械”のように動き、この時代に求められる”製品”になること。充分に油が注され、消費者想いで、デジタル化されている――周囲のことに無頓着な高性能ロボット。そう思っているから、人々の悩みは解決しない。
そこで、自分の感情に気づく能力がある人の習慣をリスト化してみた。自分の感情に気づく能力がある人とは、自分を完全にコントロールでき、自分の経験を表現し、処理し、打ち消し、適応させる方法を会得しているリーダーのような人のことである。彼らの生活こそ最も本質的なので、ここから学んではどうだろうか。
さあ、EQが高い人がしないことのリストを参考にしよう。
1.自分が遭遇した状況について、考えたり感じたりしたことが、違っているかもしれないと気づいている(または、結果的に間違ってしまうかもしれない)。
感情は、目の前の状況に反応しているだけで、物事を正確に判断する基準にはならないことを知っている。このような反応は、客観的なものではなく、自身の内なる問題に関係しているかもしれないということを把握している。
2.感情の原因は、自分の内面にあるとわかっている。
自らの感情は、”誰かのせい”ではなく”誰か他の人が解決すべき問題”ではないと理解している。「経験」は「行動の結果」だと理解することで、”世間の過ちは世間が正すべき”という反骨心による消極性のワナにはまらない。
3.どうしたら、自分が本当に幸せになれるか、知っているフリをしない。
自分の判断基準は、常に過去の経験に基づいているので、自分がどうしたら本当に幸せになれるかわからないと思っている。これは私たちが、過去に嫌だったことから「救われる」と思っているのとは対照的だ。だから、何事にも”良い面”と”悪い面”があると思って、あらゆる経験を受け入れる。
4.怖いと思っても、それが、誤った道に進んでいる兆候だとは思わない。
むしろ、無関心こそが、誤った道を進んでいる兆候だ。恐れは、自分が好きだと感じる方へ動こうとするサインで、昔から信じていることや、過去の癒されていない経験が邪魔をしている(そうでなければ、過去を癒すために思い出しているのだ)。
5.喜びは、選択肢のひとつで、いつも喜びを感じる必要はない。
幸福は、”喜びが続いている状態”という幻想に囚われていない。経験したことを、ちゃんと処理する時間を確保している。自然に身を委ねて、そのニュートラルな状態に満足している。
6.誰かに自分の考えを選んでもらうことはない。
人間は、社会の条件付けや雑念ばかりの内面のせいで、自分が当初想定していなかった思想、信条、好みに支配されることがよくあることを、認識している。これに対抗するために、自分の信条を見直し、原点を振り返り、その枠組みが本当に自分に役立つかどうかを決定する。
7.冷静さが、EQの高さと直結しないことを知っている。
感情を隠したり、抑えこもうとしない。ただし、自分の感情を表に出すべきタイミングがくるまで、感情的な反応を隠しておける能力がある。気持ちを抑圧せず、上手にコントロールするのだ。
この記事はハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。