一度でも本に今を生きるヒントを与えてもらったことがあるのなら、これから届ける声にも耳を傾けてみよう。それは本を愛し、本の可能性を信じ、本とともに生きる覚悟で、これからの世界を描こうとする小さな声だ。
東京・神楽坂に「かもめブックス」という書店がある。校正・校閲の専門会社「鴎来堂」を経営する柳下恭平が、地元の書店がなくなっていく現状を目の当たりにし、閉店後の店舗を引き継ぐかたちで2014年に立ち上げた。今この書店から「ことりつぎ」と名付けられた、これまでの出版業界には類を見なかった新しい流通事業が羽ばたこうとしている。
普段本を読まない人にも本を届ける
「ことりつぎ」は、2015年末から段階的にスタートした。テストケースの現時点では「かもめブックス」を経由して新刊本を仕入れるなどで、場所を問わずに書店事業を始めることができる。初期投資額は、本の仕入れ代金として納める20万円。新規参入がむずかしいといわれる出版業界に、新たな風を吹かせるチャレンジだ。
「本ってすごい商材で、本だけがすべてのショップにおけるんです。たとえば、ロードバイクの専門店に『ツール・ド・フランス』のムックや、『サクリファイス』(著・近藤史恵)のような自転車にまつわる小説、あるいは『弱虫ペダル』(作・渡辺航)のようなマンガが売っていたら、自転車が趣味の人は気になりますよね。店員がその本の魅力を熱っぽく語れば、自転車にしか興味がなかった人にも本が届く可能性があります」(柳下、以下同)
小さな対話の連鎖によって「普段本を読まない人にも本を届ける」ことを目指すこの仕組み。本の販売をブランディングに活用したい企業や、活動のテーマを本棚で表現したい団体や個人からも今、熱い視線が注がれている。
「『ことりつぎ』では本棚という『哲学』の表現手段を使って、店主からお客さんに直接的なセールスをしてもらいます。この本にはこういう魅力があって、私の人生はこう変わったというような、本の体験とともに売っていく。こういう提案に特化するのはナショナルチェーンの大きな書店でも、インターネット書店のアマゾンでも、町の小さな独立系の書店でも、実はできないすごいことなんです」
これまでの本の売り方が、不特定多数の「誰か」に届けるものであったとするなら、「ことりつぎ」の売り方は、まさに今、自分の目の前にいる「その人」に届けようとするものだ。
柳下がこのローカル的な手触りすら感じさせる小さな売り方を思いついた背景には、斜陽産業といわれて久しい出版業界への思いがあった。
食い詰めた若者でも書店が始められる仕組みを
日本の出版業界は、本をつくる「版元」と、それを全国の書店に配本する「取次」、それを売る「書店」という「縦」の流通構造を脈々と築き上げてきた。特に再販制度と委託販売制度を核とする取次主導型の流通システムは、出版物の安定供給を実現し、長らく出版の公共性を支えてきた。
しかし、1990年代から2000年代初頭にかけて、バブル崩壊後の景気低迷とインターネットの爆発的な普及が業界を直撃。市場全体の売上は、1996年をピークに減少の一途を辿る。
その流れと並行するように、売上の減少を出版点数の増加で埋め合わせようとする動きも加速。大規模流通がトレンドになっていくなかで書店は大型化し、その波に付いていけない町の小さな書店は次々と淘汰されていった。
「今、出版業界ってジリ貧なんです。本をつくって、それを売って稼いでいくことが本当にむずかしい。ましてや書店の新規参入なんて、相当の覚悟が必要だと思います。仮に月30万円の稼ぎを目指すなら、初期投資は二千万円を下らないでしょう。それだけのお金を用意できるなら、不動産投資か株式投資、あるいは立ち食い蕎麦屋でもやった方がよっぽど手軽に稼げるんです」
稼ぐことを目的とする起業であるなら、その選択肢に書店を選ぶ理由などなくなっているのが現実。もはや書店事業は、本への「愛」なしに成り立たないのかもしれない。しかし、柳下はそうした現状にも心を折ることなく、「日本中に小さな書店を増やしていきたい」と夢を見る。
「出版不況なんていわれるけど、僕は信じてないんです。だって、その業界で一番怖い状態というのは、その仕事をやりたいと思う若者がいなくなることだから。本に関わる仕事がしたい人はまだたくさんいます。ただ、今の状況で新刊の書店をゼロから始めるのはハードルが高い。そのハードルを下げて、たとえば食い詰めた若者でも本屋が始められるくらいがちょうどいいんじゃないかな」
小規模流通の核となる「情報共有」
誰もが書店を開けるポジティブな未来をつくる。そのために柳下は、従来の流通構造をそのまま残したかたちで、「横」でつながる小規模流通の仕組みを築き上げようとする。
「クラウドで情報を共有すれば、どの本がどの店にあるのかがわかり、書店同士が必要に応じて本を流し合うといった横構造の流通ができます。さらにGPSを組み合わせれば、書店や利用者が必要とする本を必要なところに届け合う仕組みにもできるでしょう。この流通網が広がれば、業界全体の流通コストも下げられます」
柳下の「ユーザーが届け人にもなれる」構想は、昨年日本に上陸した飲食店の料理宅配サービス「Uber EATS(ウーバー・イーツ)」を想起させるもの。柳下はクラウドを巧みに使った流通システムが構築されていけば、サービスを利用する者同士のコミュニケーションもゆるやかに育まれていくと期待する。
「書店のいいところは、商品を買わなくても立ち寄れる気軽さがあることです。つまり、本があればそこは気軽に立ち寄れる場所になる。たとえば美容室に本が売っていたら、そこは髪を切らなくても立ち寄れる美容室になるのです。『選書の趣味が合いますね』なんて話にもなれば、それをきっかけに店主と客が仲良くなることもあるはずです」
これまでの取次が行ってきたのは、実際にモノを届ける「物流」と、それに伴うお金の回収「商流」という二つの機能。ことりつぎはこれに「情報流通」というものを加えた。情報を縦と横につなげる。そして、それにはもう一つ大きな役割がある。
「再販委託制度に固定された本という商材はユニークです。卸の仕組みを個人レベルに広げれば、仕入れ値で個人が商品を手に入れることができるようになってしまうことでもあります。つまり、販売を目的としない割引購入を目的とした個人利用をどう防ぐか、ことりつぎの仕組みで一番苦労したのはそこのところです。情報流通をうまく絡めてそれを防ぐ仕組みも組み込めたので、既存の書店と補完しあう仕組みにデザインできました」
「ことりつぎ」という実験
「ことりつぎ」はサービスの開始後、全国から千件以上の問い合わせを受けるなど、上々の滑り出しをみせた。しかし、現時点ではサービスの提供は限定的に行っていて、まだ「実験段階」でもあるようだ。
「フェーズ1は個人のニーズを拾っていくことだったのですが、それは確実にあることがわかりました。個人だけでなく、小さなショップ、会社やコミュニティ、地方自治体からも問い合わせを受けました。それを受けたフェーズ2として、次に探りたいと考えているのは、本を置きたいけれど自分たちでは選べない、セールスとマーケターの中間にあるような人たちの存在です。
たとえば、赤ちゃん用品店であれば、そこに『名付け辞典』を置くということもできますが、プロの書店員はそのように、そこで売ってしかるべき本を選ぶことができます。僕らのパッケージに興味があるお店や企業は、ぜひ問い合わせてください」
大規模流通のカウンターとして、これまでになかった本への入口をつくろうとしている「ことりつぎ」。日本中に小さな書店が増える未来を目指して、本を愛する男は今日も実験を諦めない。
■かもめブックス http://kamomebooks.jp/
■かもめブックス外商部(ECサイト)https://kamomebooks.official.ec/
■ことりつぎ http://kotoritsugi.jp/
(取材・執筆:根岸達朗、編集:BAMP編集部)
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