- 貧困状態の子どもの学力は10歳を境に急激に低下する
- 年齢があがるにつれ、貧困世帯の平均的学力は低下し、困窮していない世帯の学力は上昇する
- 低学力のまま年齢があがると、学力をあげることが難しくなる
《日本財団・家庭の経済格差と子どもの認知・非認知能力格差の関係分析〈速報版〉より》 https://www.nippon-foundation.or.jp/news/articles/2017/img/92/1.pdf
子どもは、生まれるときに、生まれる家庭を選べない。
当たり前ではあるけれど、育つ環境、家庭によって学力にも差が生じるという事実を突きつけられると、あらためて痛感させられます。子どもの学力向上の可能性を保護者の経済格差等によって閉ざさせないことが社会の責務だと考えます。子どもに背負わせないためには、入学前後の早い段階から効果的な支援体制を作っていく重要性を強く思います。
都内のある小学校で、「学力向上に向けた取り組み」の一つとして子どもたちに配布された「学校でのことを〈家の人と話そう〉」というカードを思い出しました。
「学校で学んでいることなどについて家庭で話題にすること」が学力と関係することが、東京都や全国学力調査結果から明らかになったことから、学校はこのカードを作成したそうです。
学校は家庭に対して「この機会に、お子さんとの会話の時間を意識して作っていただけますよう、ご協力をお願いします」と呼び掛けています。
このカードを渡された子どもの中に、苦しさを覚える子がいなかったことを切に願います。
学校は、子どもの学力向上を望んでのことであることは間違いないと思いますが、子どもたちが育つ様々な家庭をどのように思い描きながらこのカードを作り、配布したのでしょうか。
子どもの貧困対策センター「あすのば」がまとめた「子どもの貧困がなくなる社会へ~あすのば提言2017」の中で、今井舞桜さん〈大学3年生〉が、書かれていることが思い起こされました。
「子どもたちは、親が一生懸命に休みなく働いていたり、身近な大人が日々の暮らしで精一杯な姿を見ていて、なるべくその負担を減らしたいと思っている」と伝えるとともに、以下のように記されています。
制度や言葉に絡め取られることがない子ども、例えば両親はいるけれども家の中では包丁が振り回されているかもしれないし、身近な大人に話をしても無視されるのが日常になっているかもしれない、生計を立てている人が逮捕されているかもしれない、苦しい資金繰りを繰り返しながら誰にも助けてって言えないかもしれない、誰かに注意されてもその人のことを信頼してないから言葉が本人に届かないかもしれない。
そんな子どもたちは日常生活の中で、何らかのサインを出しているはずです。もちろん、なんてことないふりを完璧にできる子もいると思いますが、みんなと同じ日常を送るためにどれだけ神経をつかっていることでしょうか。この声を聞いて、少しでも寄り添える人が増えることを願います。
http://www.usnova.org/wp-content/uploads/2017/12/teigen_20171203.pdf
虐待や育児放棄など複雑な家庭事情の中でつらい思いを抱えて育つ子どもたちもいることを前提に、授業や教材等々を考える重要性を改めて考えます。
また、学力向上のためには、学校のことを「家の人と話すこと」だといわれ、子どもだけでなく、追い詰められる保護者もいるのではないでしょうか。働くことだけで目一杯で子どもと話す時間を持ちたくても持てない。負い目を感じて、そのストレスが子どもに向いてしまう悪循環もあり得るのではないでしょうか。
そう考えると、誰のためのカードなのか考えてしまいます。
「学校では既に十二分に教えている。あとは家庭次第」との思いもあるのでしょうか。
十分に「家の人と学校の話ができる環境」にありながら、話をしていない家庭への啓蒙啓発の意味があったとしても、それだけではすべての子どもへの支援にはならないのではないでしょうか。
子どもは生まれる家庭を選べません。育つ境遇が子どもの学力に影響を与えないように支援し、等しく学力をあげていくために義務教育があると考えます。
冒頭に紹介した調査では、
- 生活保護世帯の場合、小学校低学年の時点から、家の人への相談の可否、がんばっていることの有無、朝食を摂る習慣といった基礎的な項目が、非受給世帯に比べ低水準にある。
- 生活保護世帯、就学援助世帯、児童扶養手当世帯のうち、学力が高い子どもと、学力が低い子どもを比較すると、学力の高い子どもは、生活習慣や学習習慣、思いを伝える力などが高水準にある。
と分析しています。
《日本財団・家庭の経済格差と子どもの認知・非認知能力格差の関係分析〈速報版〉より》
「家の人と学校の出来事について話をしている子どもほど正答率が高い傾向にある」との分析結果を得たのであれば、裏を返せば、「学校の出来事を家の人と話す環境下にない子ども」は、学力向上のためのひとつの教育機会が失われているとの分析も同時に得たはずです。
であるならば、そのような失われた教育機会を補完できるように知恵を絞り、支援の手立てをしていくことこそ、義務教育、教育委員会の責務ではないでしょうか。家庭の自己責任にすり替えて終わりでは、責任放棄と言わざるを得ません。
子どもが学ぶ意欲を失うことないように、「わかった」「できた」と授業に居場所をもち、学びを広げ深める楽しさを通じ、仲間や先生への信頼と共に自己肯定感を育み、将来への希望を抱ける支援が、小学校入学直後から取りこぼすことなくすべての子どもに届く義務教育となることを心から望みます。
東京都教育委員会発行「とうきょうの教育(第110号小学校版)