世界の名門大学や有名人の授業をインターネット上の動画で見られる時代がやってきた。海を渡らなくても、スマートフォン片手に科学や起業の手法などを学べる「ネット留学」だ。日本でも、大学や企業が教育動画の配信に乗り出しているが、お金を稼ぐ大きな「ビジネス」につながるかどうかはまだ分からない。
いま、ネット留学の世界でちょっとした「ヒーロー」になっているのが、モンゴル出身のバトゥーシグさんだ。15歳だった頃、米マサチューセッツ工科大(MIT)の講座をネットで受けて好成績を残したことをきっかけに、同大を受験。2013年に見事合格した。生まれた場所に関係なく、教育を平等に受けられる時代になったことを印象づけた。
MITは米ハーバード大などとともに、大規模公開オンライン講座(通称MOOC=ムーク)と呼ばれる教育サービスを展開している。自分のペースで原則無料の動画を見て授業を受け、メールなどで宿題を出すこともできる。2年前から米国を中心に本格化し、代表的サイトの「コーセラ」は数百万人の受講生をもつ。日本でも昨秋、日本オープンオンライン教育推進協議会(通称JMOOC)が設立され、さっそく今年4月14日に東京大の本郷和人教授の授業「日本中世の自由と平等」が開かれる。
世界各国でネット通信環境が整備されたほか、スマートフォンやタブレット端末の普及で気軽に動画を楽しめるようになったことが背景にある。
■人材紹介ビジネスも
大学の場合、オンライン授業を公開することで教育力をPRし、世界中から優秀な学生や研究者を獲得できるメリットがある。「教育を受ける機会を公平にあたえる」という教育機関としての理念にも合致する。だが、企業がこうした教育コンテンツの配信に乗り出す場合、収益化が課題となる。
朝日新聞の同僚記者の金成隆一が書いた「ルポ MOOC革命 無料オンライン授業の衝撃」(岩波書店)に出てくるのは人材紹介ビジネス。米スタンフォード大の研究者が立ち上げた「ユダシティー」は集まった受講者の学習履歴を提携企業に伝え、採用につながれば企業が同社に仲介料を払う。同書の取材時点では仲介を希望する受講生は数千人いて、提携先企業にはグーグルやフェイスブック、バンク・オブ・アメリカが名を連ねていたそうだ。「ニューズウィーク日本版」(2012年11月7日号)の記事では、授業を受けたことを証明する修了証の販売や、受講者の個人情報を企業に提供して広告をとるモデルなどが例示されている。
■渋谷発のベンチャー「スクー」
日本では、「schoo(スクー)」(本社・東京都渋谷区)とよばれるベンチャーがおもしろい。単語「school」の最後の「l」だけを取り除くことで、「終わらない学びを提供する」という意味を込めたという.。起業の知識やウェブデザイン、経済や政治など幅広いジャンルの教育番組が毎日数本ずつネットの生放送で流れ、無料で視聴できる。多くの人が実名でコメントを書き込みながら先生役の起業家や専門家、先輩の社会人とやりとりできるのが特徴だ。生放送が基本だが、後から番組を録画で見たい場合は1カ月525円を払う。
私が所属する朝日新聞メデイアラボも今年3月にスクーの公認団体となり、番組を作り始めた。視聴者と対話をしながら就職活動、女性の起業、民主主義など様々な社会問題を考える「授業」をおこなう。新規事業や実験に挑戦するラボに加わった新しい試みだ。
スクーの森健志郎社長は「これからのインターネットサービスで他との差別化を生むのはライブ感があるコンテンツだ」と話す。リアルタイムのやりとりは、最近はツイッターを活用している記者がいるとはいえ、今まで長い間、新聞社ではあまりやってこなかった。読者からの反響を記事にまとめる例はあるが、質問から回答までのタイムラグが生まれてしまう。書いた記事や取材した結果、社会問題について瞬時に視聴者とやりとりすることで、より深く情報を伝えたり、質疑応答自体をコンテンツ化できたりできる、と思った。スクーは、テレビというより、じっくり語れるラジオに近い点もひかれた。
■カメラ1台とPCで「スタジオ」完成
初めての授業は3月27日の夜10時、東京・築地にあるメディアラボのオフィスでおこなわれた。家庭用のビデオカメラ1台とノートパソコンを用意するだけで「即席」のスタジオができた。あとは既存の動画配信サイト「ユーストリーム」に動画を載せるだけだ。
テーマは就職活動生向けのワークライフバランス。就職活動をする際、結婚や育児など生活とのバランスを取りやすい職場かどうかを見極めようと問題提起をした。朝日新聞出版発行の週刊紙AERAで、女性の働き方を取材してきた小林明子記者と、就職活動を始めようとしている上智大3年生の槇麗星(まき・れいあ)さんに出てもらった。
「私は7歳の息子と1歳の娘がいます。今夜はベビーシッターに子どもを預けています」。カメラに向かった小林記者は、そんな自己紹介から始めた。「仕事と出産の両立ってどんなイメージをもっていますか?」と視聴者に呼びかける。
「30歳ぐらいまでに子どもを生みたいけど、働きたいし、ぐしゃぐしゃって悩んでいる」。大学生の槇さんが早速、小林記者に応じる。
【もう限界、いやまだできる、限界、もうだめ、、、の連続】
【女性の負担が大きすぎると思う】
【本当に大変。母さんがそうだったので...凄いリスペクト】
【離婚時子どもが3カ月だったので、ネットで(できる)仕事から始めた】
ネット上のスクーの画面にどんどんコメントが書き込まれた。
小林記者は「こうした問題と関係がないと思っている男性も、将来は親の介護でいまの働く女性と同じ悩みを抱えるかもしれない。(女性だけではなく)誰にとっても働きやすい職場をつくることが大事だ」としめくくった。
ブラジルから番組を見ていた30代主婦もいた。「就活中の皆さんが、産休や育休の制度がしっかりしていない会社はどんどん蹴っていただいて、お灸を据えるぐらいのことをすれば日本は変わると思います」と放送のあと、メールをくれた。
授業を見たのは、50代中心の新聞読者とはおそらく違う20~30代の視聴者だったし、海外の視聴者もいた。AERAや新聞に関心を持って、動画を見たあと、手に取ってくれたら、とてもうれしい。当分は、新聞社の記事や出版物を知ってもらうという「PR」の位置づけが強いかもしれない。
新聞社がつくるニュース記事や解説記事は、これまで教科書に使われたり、大学受験の問題になったりしてきた。ベネッセコーポレーションと協力し、新聞記事や国語辞典を素材にした「語彙・読解力検定」も実施している。報道だけではなく、教材としてニュースや社会問題の動画コンテンツを提供し、ビジネスにできるかは探りたいテーマだが、何より視聴者に楽しんでもらえるコンテンツをスクーと一緒に徹底的に考えぬきたい。
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