もう、ボランティアと呼ばないで ―物語が生まれる居場所(サードプレイス)に集うアートな人々

近頃、ボランティアとは表現できないようなかかわり方が生まれている。新たなアートボランティア像を探して、3つのアートプロジェクトを取材した。

アーツカウンシル東京が展開する様々なプログラムの現場やそこに関わる人々の様子を見て・聞いて・考えて...ライターの若林朋子さんが特派員となりレポート形式でお送りするブログ「見聞日常」。

今回はアートプロジェクトのボランティアに注目します。

新たなアートボランティア像を探して、アーツカウンシル東京が主催する3つのアートプロジェクト、「TERATOTERA」、「としまアートステーション構想」、「アートアクセスあだち 音まち千住の縁」を取材しました。

(以下、2016年8月10日アーツカウンシル東京ブログ「見聞日常」より転載)

規模の大小を問わず、非営利のアート活動に欠かせないのがボランティアの存在である。アート活動はたいていの場合人件費に余裕がなく、現場は常に人手を必要としている。

創造の中心には人がいて、人こそがアートを形にしていくものだから、ボランティアの助けは心底ありがたい。いまやボランティアはアートプロジェクトの成否を左右するほどの重要な存在ともいえる。大型企画ではボランティアマネジメントの専任が配置され、ボランティアのための企画や交流会などが開かれたりもする。

そんなアートプロジェクトのボランティアが、近頃ちょっと変わってきた。ボランティアとは表現できないようなかかわり方が生まれている。

ボランティアは、もとは自らの意志で参加する志願兵のことで、転じて「自主的に社会活動などに参加し、奉仕する人」をいうが、労働奉仕とは一味違うボランティアの形があるように思う。新たなアートボランティア像を探して、アーツカウンシル東京が主催する3つのアートプロジェクトを取材した。

「TERATOTERA(テラトテラ)」×「TERAKKO(テラッコ)」

ある日曜の昼下がり、アートボランティアの説明会に10名ほどの男女が参加していた。

説明会を開いたのは「TERATOTERA」(テラトテラ)。

「人と人、街と街とをアートでつなぐ」をテーマに、JR中央線高円寺駅~吉祥寺〜国分寺駅区間(東京・杉並、武蔵野、多摩地域)で活動するアートプロジェクトだ。

吉祥寺の芸術複合施設 Art Center Ongoingを運営する代表の小川希さんが、このエリアからアートのムーブメントを生み出すことを目指して、2009年に東京アートポイント計画(※1)の一環としてTERATOTERAをスタート。展覧会やトークイベント、ライブなどを幅広く展開している。

TERATOTERAの企画・運営を、小川さんや事務局メンバーと行うのが、ボランティアスタッフの「TERAKKO」(テラッコ)。

これまでに関わってきた人数は約300名だが、世代も性別も職業も多様なコアメンバー約30名が、月に1度の定例会「テラッコ屋」を開催しながら、広報やアーティストの作品制作補助、イベント運営などを担っている。

そのかかわり方は、ディレクターを上に頂きTERAKKOが下に連なるピラミッド型ヒエラルキーではなく、ディレクター、事務局メンバー、TERAKKOがフラットにプロジェクトに向き合う円卓型だ。むしろTERAKKOのほうが強く引っ張ってくれていると小川さんはいう。確かにTERATOTERAのソーシャルメディアではTERAKKOが記名で情報発信しているし、イベント会場でもごく自然にTERAKKOが動いている。それでいて、トークイベントであればTERAKKOも来場者と一緒にしっかり話を聞いている様子。

ボランティアというのは往々にして会場整理や受付などに配置されがちで、プロジェクトに興味があるからボランティアになったのに本番を体験できず、実はフラストレーションを感じながら活動していたりするものだ。

しかしTERAKKOはイベントの本番に参加もするし、運営にもかかわって、生き生きしている。ディレクターの小川さん曰く、「割り当てられた仕事をやるのではなく、みんなプロジェクトに対して自分の考えや思いがある。このエリアで、こんなことがあったらおもしろいんじゃないかなとアイディアを一緒に出してくれる存在。」だという。

トークイベントで来客を迎え入れるTERAKKO

動画での記録もTERAKKOが担う

開始前から終了まで、会場の内外を余すところなく写真に収めるTERAKKO

イベント終了後の資料整理とアンケート回収もTERAKKOみんなで

TERAKKOのモチベーションは、アーティストの近くで一緒に作品を創造できることや、ここでしか出会えなかった同時代を生きる人たちと出会ってプロジェクトをやっていけることだという。

「仕事よりも土日のTERAKKOの活動のほうが楽しくなって、プライベートでのつながりもできて、だんだん抜け出せなくなってくるんですよ。」と小川さんは笑う。なかにはTERAKKO歴5~6年のメンバーもいるそうだ。普段は主婦や学生、会社勤めなど、それぞれに自分自身の生活を持ちながら、TERATOTERAという共通の居場所を楽しんでいるのがTERAKKOたちなのだろう。

ボランティア説明会が終わると、早くも参加者同士で連絡先を伝えあい、話が弾んでいた。新しい居場所の入り口は見つかっただろうか。

TERATOTERA代表の小川希さん(手前)とTERAKKOの皆さん(2015年7月5日)

「としまアートステーション構想」×「オノコラー」

鬼子母神で有名な東京・雑司が谷の地下鉄雑司が谷駅に直結する公共施設内に、小さくもユニークなアートスペースがある。その名も、「としまアートステーションZ」(以下「Z」)。かつて食堂だった名残でキッチンもあり、コミュニティ・カフェの雰囲気だ。

文化振興に熱心なことで知られる東京・豊島区は、2011年に「としまアートステーション構想」を掲げた。区民をはじめとする市民が、自分たちの手でアートを育む拠点をまちなかにつくることを目指す。

その構想を体現する初の拠点が、この「Z」で、区民やアーティストが行きかう交流拠点として、約20種類にも及ぶ多彩な活動を展開している。ちなみに、「Z」は雑司が谷のZ。アルファベット最後の文字Zにいたるまで、まちのあちこちにA、B、C...とたくさんのアートステーションが増えますようにとの願いも込めた。

「Z」を運営するのは、一般社団法人オノコロ。やりたいことに向かって自ら動く「おのずとコロがる」から名付けた。オノコロのスタッフとともに「としまアートステーション構想」にかかわりながらプロジェクトを一緒につくっているのが「オノコラー」と呼ばれるボランティアだ。

ゆくゆくは自分なりのアートステーションをつくっていくであろう、おのずとコロがる人たちだから、オノコラー。オノコラーには3つのかかわり方が用意されている。

(1)アーティストの活動をサポートする、

(2)自分たち自身で企画を考え試してみる、

(3)多様な人が集まる場づくりを行う(拠点運営、来場者対応、記録と情報発信、活動の手伝い等)。

希望に応じて、参加のタイミングや度合い、活動の種類が選べる仕組みだ。

オノコラーが提案するさまざまな活動の案内が貼られた掲示板。呼びかけ方もユニーク

実際にオノコラーを訪ねてみた。19時過ぎ、家路を急ぐ人々とすれ違いながら「Z」に着くと、オノコラーらしき方々がぱらぱらと集まり始めた。

その日はオノコラーが結成した「へたっぴ楽団」の練習会があると聞いていたが、居間のような空気が漂うスペースのあちこちでオノコラーたちが自由に活動している。隅っこでは「コソコソうちわ会」が輪になって熱心に話をしている。

アニメや漫画好きが集まり、ちょっとディープな話をする会らしい。電子工作に強いオノコラーもいる。そのうち、へたっぴ楽団の音出しも始まった。

コソコソうちわ会=「こそうち」。真剣にヲタ話、 楽しそう!

へたっぴ楽団。このあと、太鼓や歌も加わって

電子工作の達人、末広尚義さん

ハロウィンの準備中

オノコロスタッフの冠那菜奈さん、石幡愛さん、宮武亜季さん、神田亜利紗さんによると、オノコラーの登録者は約50名ほどで、男女はほぼ半々、区内在住・在勤者が半数、年齢層は10代~60代までと幅広く、会社員や主婦、退職者、留学生などさまざまな人々がいる。

オノコラーたちの特徴がわかる「オノコラーファイル」

その日の出来事を皆で紙に書き込んでいく。「その日の出来事」を綴ったファイルは10冊目

目が合うとにっこりとほほ笑んでくれたオノコラーの野村松代さんは、ある日閉店したはずの食堂が「Z」になっていたので覗いてみたのが「ここにゆるゆるとかかわる」きっかけだった。

ここでは赤ちゃんからお年寄りまでいて、"作業"ではなく勉強や編み物や宿題など好きなことを自由にしている。職場と近所の往復だった時には味わえなかった楽しい気持ちを、今存分に味わっているとのこと。

「昔は絵やピアノなどをアートだと思っていたけれど、今はもっと広いものだと思うようになりました。自分が何かできたら、それがアートね。」と野村さん。

「ここはいろいろ凝縮していて、全体が楽しい。」と野村さん

へたっぴ楽団を立ち上げたyumenさんは地元住民で、オノコラーの募集に興味を感じて参加したそうだ。

楽団メンバーとは普段はメーリングリストでやり取りするが「顔を出していないとおいていかれちゃう」と、月2回は「Z」に来る。「オノコラーはサークルのようなものかもしれない」と語ってくれた。

「作業じゃなくて、自分で好きなことをするのがオノコラー。」とyumenさん

初めて来たのにすっかりリラックスしていると、ティーセラピーや食を自分のテーマにしている大木教由さんが、キッチンから出てきて希少な紅茶とおいしい黒豆をふるまってくれた。

「ここは自分の役割を見つける場所。世のなか制約だらけだけど、ここはとても自由。自由だけれど成長しないといけないのが唯一の制約という感じかな。」

「制約をチャレンジに変えられるのがここ。ストレスフリーな場所。」と大木さん

オノコラーの皆さんのいきいきとした様子を見て、これはもう自分の語彙にあったボランティアとはまったく質が異なることを確信したのだった。

赤ちゃんもオノコラー? 自然に多世代交流

「アートアクセスあだち 音まち千住の縁」×「ヤッチャイ隊」

東京23区の北東部に位置する足立区千住(せんじゅ)は、江戸時代に日光街道の宿場町「千住宿」で栄えた地域。現在も、北千住駅は電車の乗降者数が東日本で十指に入るほどのターミナル拠点だ。そんな千住を舞台に、「音」を通じて人と人との縁を見つめ直す、市民参加型まちなかアートプロジェクトが展開されている。

区制80周年記念事業として2011年にスタートした「アートアクセスあだち 音まち千住の縁」、通称「音まち」だ。

足立区にアートを通じた新たなコミュニケーション=縁を生み出すことを目指して、地域の人々とアーティストが協働して、音をテーマにしたまちなかライブやワークショップ、トークイベントを開催してきた。

この「音まち」を一緒に盛り上げるボランティアサポーターが「ヤッチャイ隊」である。名前の由来は、青物市場を意味する「やっちゃ場」から。ちなみに「やっちゃ」は競り市場の掛け声とのこと。

千住で働きヤッチャイ隊として活躍している能見ゆう子さんによると、ヤッチャイ隊の特徴は、組織ばっていなくて、リーダーもおかず、プレーヤーが並列なところだという。能見さんは、区政80周年イベントのボランティア募集を区報で見て、個人的な興味と仕事にもつながればとの思いから参加した。

「最初はアートプロジェクトのこともよくわかっていなかったけれど、『千住だじゃれ音楽祭』や演奏者やパフォーマーが同時多発で演奏する『ミュージサーカス』を見て衝撃を受けました。音が交わることで、アートが向こうから近づいてきた。これがおもしろくて楽しくて。今は音まちから1年中刺激を受けています。」

音まち主催 野村誠 千住だじゃれ音楽祭「千住の1010人」 撮影:加藤健

同上。千住の魚河岸「足立市場」にて1010人のコンサート

音まち主催 ジョン・ケージ「ミュージサーカス」 芸術監督:足立智美 撮影:河島遼太

驚きなのは、ヤッチャイ隊メンバーが実行委員となって、音まちとは別に、自主プロジェクト「千住ヤッチャイ大学」を開講するまでになっていることだ。

千住地域の個性豊かな大人たちが、各々の趣味や関心事の知識や経験をシェアしたり、区内の保育園で出前ワークショップを行ったりする。誰もが先生にも生徒にもなれる場で、千住のまちに新たな人のつながりを生み出している。

「入りにくいとか続けていけないとか、一過性のボランティアなどではなく、善意を振りまくボランティアでもなく、それぞれの個性を生かせる場として、ゆるく長く続いていけばと思います。」と能見さん。

ヤッチャイ隊として活動することで、「自分のもうひとつの顔」を持てているという言葉が印象的だった。

能見ゆう子さん(左)と「音まち」事務局長の吉田武司さん(右) 撮影:若林朋子

かかわり方の変化

3つのアートボランティアを見聞きしてみると、共通の特徴が見えてきた。

ひとつは、恒常的であること。

単発の手伝いでもなく、芸術祭やフェスティバルがあるときだけ召集されるものでもない。常に「場」があって参加や交流の機会が開かれていること。

2点目は、ボランティアにも活動の裁量権がゆだねられていること。

アートプロジェクト側がボランティアを管理しようとせず、ともにつくりあげていくことを歓迎して、決定のプロセスにもボランティアが積極的にかかわっている。これはアートプロジェクトにおいてはとても重要なことで、組織論としても興味深い。

そして3点目は、ボランティアたちが、自分のかかわるアートプロジェクトを「もうひとつの居場所」だと感じていること。

「自分のもうひとつの顔を持てている」とか「職場と近所の往復では味わえなかった楽しい気持ち」「サークルのよう」というボランティアたちの言葉に象徴されている。

特に3点目は、今後顕在化してくるかかわり方だろう。

現代社会の生活者には3つの居場所が必要だといわれている。第1の場所(ファーストプレイス)は家。第2の場所(セカンドプレイス)が職場や学校。そして、第1と第2の役割から開放され、心の拠り所となる居心地のよい第3の場所(サードプレイス)。アートプロジェクトを、かかわる人々にとってのサードプレイスと捉え直したとき、ボランティアの位置づけも自ずと変わってくるはずだ。

ロンドンオリンピック(2012年)では、大会ボランティアを「ゲームズ・メーカー」と呼び、ともに五輪をつくりあげる人と位置づけた。都市ボランティアも「チームロンドン・アンバサダー」と名付けられ、観光・交通案内で活躍した。そうした例をみても、アートプロジェクトの主催者は、労働奉仕を求めてボランティアを管理するマインドから、発想の転換が求められているといえる。

ボランティアと呼べない新しいかかわり方の人々こそ、ごく自然にアートを生活のなかに取り込み、アートプロジェクトを育ててくれるのだ。

(2016年8月10日アーツカウンシル東京ブログ「見聞日常」より転載)

東京アートポイント計画 (※1)

東京の様々な人・まち・活動をアートで結ぶことで、東京の多様な魅力を地域・市民の参画により創造・発信することを目指し、2009年より東京都とアーツカウンシル東京(当時は東京文化発信プロジェクト室)が展開している事業。

TERATOTERA

吉祥寺を拠点に現在進行形の芸術をフィーチャーする一般社団法人Ongoingと、東京都、アーツカウンシル東京が協働して、「東京アートポイント計画」の一環として、2009年度よりJR中央線高円寺駅~吉祥寺〜国分寺駅区間をメインとした東京・杉並、武蔵野、多摩地域を舞台に展開する、地域密着型アート・プロジェクト。

としまアートステーション構想

東京・豊島区民をはじめとする多様な人々が、区内の魅力あふれる場所で地域資源を活用しながら当事者として主体的にアート活動を行い、自然に発生したささやかなアート活動が結び付いて、人や街とともに暮らすことができるきっかけをつくり出すための文化事業。豊島区文化政策推進プランのシンボルプロジェクト「新たな創造の場づくり」のプログラム、アーツカウンシル東京事業「東京アートポイント計画」の一環として、一般社団法人オノコロ、東京都、豊島区、アーツカウンシル東京の連携により実施。

アートアクセスあだち 音まち千住の縁(音まち)

アートを通じた新たなコミュニケーション(縁)を生み出すことをめざす市民参加型アートプロジェクト。東京・足立区千住地域を中心に、市民とアーティストが協働して、「音」をテーマにしたまちなかライブ、ワークショップ、トークイベントなどを展開。

写真(クレジットのないもの):鈴木穣蔵

取材・文・一部写真:若林朋子

取材日: 2016年5月22日、2月8日、2015年10月16日、7月5日

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