ベトナムの共産党支配体制に批判的な知識人たちが、「あと数年でこの国の政治体制は変わる」と言うのを、これまで何度も耳にしてきた。具体的に何年なのかわからないが、複数政党制による自由選挙や、言論、表現、結社の自由など市民的権利の実現を求める有識者の中には、共産党体制が崩壊するという近未来の図を描く人々もいる。1980年代末の東欧のような劇的な変化ではなくても、ベトナム市民の間に政治的民主化を求める意識と行動が少しずつ高まっていることは確かである。
■ 全インドシナを制する要衝
近年の南シナ海諸島の主権問題を契機に、ベトナム国内で中国に抗議するデモが初めて自発的に組織され、批判は政府の対中国政策にも向けられた。南シナ海問題と並んで、市民の異議申し立てを活性化させたのは、ベトナム中南部高原における中国企業によるボーキサイト開発だった。中南部高原は、ここを制すれば全インドシナを制するといわれる戦略的要衝だ。ここに中国資本が進出することを、中越両共産党の指導部が密室で決定したため、まず中国を警戒する古参軍人から、次いで一般市民から、政府への批判が高まった。
開発現場であるダックノン省ニャンコーと、ラムドン省タンライを、私は今夏2年ぶりに訪問した。ボーキサイト採掘、アルミナ生産工場の建設と、アルミナを輸送する道路の補修、拡張は、当初の計画より2年以上遅れており、その現状は計画に批判的な知識人によってインターネット上で報告されている。しかし、都市部の知識人と、コーヒーや茶の栽培で生計を立ててきた現場の農民とでは、問題の受け止め方には温度差がある。
■ 汚れた水、漂う異臭
タンライの工場=筆者撮影
2013年から稼働を始めたタンライのアルミナ生産工場周辺では、騒音が絶えず、異臭が漂っている。住民からは、空気が悪いので子供を外で遊ばせられない、水が汚染されて池の魚がたくさん死んだ、といった話を聞くことができた。行政機関や会社に訴えても何もしてくれない、という声は、私が最初に訪問した2年前からすでにあり、今も基本的に変わらないようだ。アルミナを運搬する道路は、大型車両の増加と拡張工事のため粉塵(ふんじん)がひどく、視界が真っ白になるほどだった。トラックが頻繁に往来する脇を、学童たちが自転車で通学する光景にはハラハラさせられる。
ハノイやホーチミン市の有識者にボーキサイト開発の問題点をただすと、経済効果以外には、中国人労働者の流入が国防・治安を脅かす、中国の技術では環境に悪影響を及ぼす、という点を重視していることがわかる。ベトナム人ジャーナリストに、もし事業を請け負うのが日本企業だったら、と尋ねると「ベトナム人はその方が安心するだろう」という答えだった。今のところは、現場で生じていることよりも、中国への脅威感が勝っているようだ。
一方、開発地域の住民に中国人労働者について尋ねると、「数は非常に少ない」「周囲への影響はない」と、ほとんど気にしていない様子だった。都市の市民が反中国ナショナリズムを核として開発を批判しているのに対し、住民は生活に直結した環境汚染について、皮膚感覚として不安を感じている。
■ 説明責任問われる政府
ベトナム共産党政府は、経済発展の実績と、「全国民の大団結」をスローガンとするナショナリズムを軸に、一党体制の正統性を維持しようとしている。しかし、発展のための大規模開発によって、環境汚染のような今まで経験したことのない問題が発生し、政府は国民への説明責任を問われるようになっている。また、現在のベトナムのナショナリズムは反中国感情と表裏一体であり、中国が絡んだ開発事業は、南シナ海問題と同様に政府の対中国政策への批判を高めることになる。
一方、民主化を求める市民の活動にも限界がある。ボーキサイト開発問題で明らかなように、インターネットで世界とつながることができる都市住民と、そのような条件がない農村の住民が情報を共有し、一つの問題を共に解決することは容易ではない。また、中国への抗議には多くの人々が共鳴するが、民主主義や人権、環境問題のような、より普遍的なテーマで多様な人々が結束するまでには、まだ時間がかかるだろう。民主化を主張する人々は、主にインターネット環境の有無による情報格差と、反中ナショナリズムという限界を克服しなければならない。
冒頭で、「あと数年」が何年なのかわからないと述べたが、経済発展によって一定の経済力と知識、技術を身につけた人々が増え、都市と農村の格差も徐々に縮小することは予想できる。自律的に行動する力を持つようになった人々は、政府に政策決定の透明性や説明責任を求めることになるだろう。他方、大規模開発によって、これまでになかったようなリスクが生じ、人々の生命、財産を脅かす可能性もある。共産党指導部の従来の思考法では対応できない様々な問題が発生すると思われる。「あと数年」のうちに、ベトナム政府は、市民と敵対するのではなく、共に問題の解決にあたるような体制を構築する必要があるだろう。
(2014年10月29日AJWフォーラムより転載)