「がん」と診断されると、患者本人だけでなく、その周囲の家族らにも大きな負担がかかる。特に末期になった場合は、治療を続ける患者を支えようという思いから、自分のつらさを言い出すことができず、心や体のバランスを崩してしまう家族も少なくない。
そんな家族の一人だった酒井たえこさん(46)=大阪府八尾市=は自らの経験を生かして、「がん家族」を支えるための活動に取り組んでいる。
「父が亡くなった後は燃え尽き症候群というか、1~2年は鬱症状で苦しみました」
酒井さんは、2005年に62歳で父を亡くした。最初に食道がんが分かったのは約5年前。会社の健康診断がきっかけで、すぐに入院して手術することになった。
「父は『今は切れば治る』と言っていましたが、告知されたとき私は...心が震えるってこういうことかと。がんが我が家にやってくるとは思っていなかったんです」
酒井さんの父はまだ定年になっていなかったが、「会社に迷惑をかけたくない」と早期退職を希望した。当時は酒井さんと父母の3人暮らし。酒井さん自身は働いていたため、すぐに生活の心配が生じるわけでもなく、父の気持ちを尊重したが、その後、大きく後悔することになる。
「最初は1回の手術で悪い部分を切り取れば治ると思っていました。それが『転移していたものを取り切れなかった』と再発。次の入院からは付き添い看護のため、家族も泊まらなくてはいけませんでした」
酒井さんの母が別の病気で入退院を繰り返していたため、負担は酒井さんに集中した。これまで通り仕事を続けることは難しくなった。金銭的に苦しくなったが、保険の約款を細かいところまで勉強して、なんとかやりくりをしたという。
父が亡くなった後の「燃え尽きた」状態から立ち直れたのは、病室で見た他の家族の記憶だった。
「病室で会った人が『うちのお父さん、本当にわがままで...』とか、大阪だから笑い話にして話している。でも、内心は泣いているんですよね、『なんでお父ちゃん分かってくれへんの』って。苦しんでいるのはみんな一緒じゃないか。そのとき私は背中をさすってくれる人が欲しかったって気づいたんです」
酒井さんは仲間とともに「がん患者さんの看病をしている人のサポート協会」を設立した。ホスピスでマッサージや傾聴のボランティアをしたり、喫茶店で家族に直接会って話を聴く「がん看病カフェ」を開いたりしている。今夏には、「がん患者の家族を救う55のQ&A」という書籍を出すため、出版社と準備を進めている。
実際に家族と会って、どんな話をするのか?
「(末期の)患者にとって亡くなるということは、遺していく者と生きている最後の時間を考えることです。これは家族も同じことで、『私と一緒の時間をどう生きて欲しいのか』を考えてほしい。少しでも長くお店に立ってほしいのか、臆病だからなるべく怖くないようにしてあげたいのか...それが決まれば治療方針も決まってきます」
「患者にウソをつくのは悪いことか? 私の父は最期の前に大量に吐血したことがありました。夜中に父をさすりながら、『私はいろいろ勉強して分かっているから。この血を止めてやるから...』。大ウソですわ(笑)。でも、そんなことを言い続ける。愛のあるウソはいいんです」
地元のJ:COMに出演し、「がん家族」に潜む危険について話す酒井さん
酒井さんはいま、家族向けの講演会を全国各地で開くこと、また、「がん家族。」という冊子を製作することを目指して、A-portでクラウドファンディングを実地中だ。
昨年、大阪で講演会を開催したとき、北海道や宮城などの遠方からも支援があり、「実は自分も母を亡くした」「酒井さんみたいな人がいたら、私ができることももっと変わっていたかもしれない。悔しい」などと声が寄せられたのが、今回のクラウドファンディングを決意するきっかけになったという。
「『悔しい』と言ってくれた人のために行きたい。人数は少なくても、本当に来てほしいという一人の人のために行って、『一人で悩まないで。私がおるよ』ということを伝えたいんです」