【前回はこちら】32歳の童貞のおっさんだけど、今年風俗に行ってきたんでした(1)
さてさて、前置きが長くなってしまったが、本題に入ろう。32歳の童貞がなんで今さら風俗に行ってきたのか、という話だ。
きっかけはいろいろだった。ちょうどそのとき、仕事で性風俗がらみの案件が回ってきたというのもある。だからといって仕事で行ってきたわけではないし、行くつもりもなかったのだが、そんな話をある友人にしたら「いい機会だからいい加減風俗行ってこい」といわれたのだ。
32年も童貞をやっていると、「風俗へ行け」というミニ北方謙三先生にはたびたび遭遇する。ただ、そういう人たちは基本的なところで勘違いをしている。
風俗行こうと思うようなタイプは、そもそも童貞なんてこじらせないのだ。
典型的な童貞観に「童貞はガツガツしてる」というのがある。まぁ、それは一つの真実で、童貞らしい童貞というのは年がら年中「やりてー」と思っているべきだし、酒でも飲んで「モテてー」と叫んでいるべきなのだ。けど、そういう健全な童貞は経験則的にいって、せいぜい25歳までに絶滅する。
究極的にモテにコンプレックスがあって、そこに情熱を燃やしている人たちは、ある程度の年齢になれば、どんなに童貞くさくても、1回や2回はチャンスが巡ってきて、(幸福な形かどうかはともかく)童貞を捨てていく。草食系男子が増えたといわれる現状ならなおさらだ。いってみれば、童貞らしい童貞というのは、スマートさはないけれど、「やりたい」という強い気持ちを持った肉食系だからだ。
若いうちはセックスの敷居は高い。みんな不慣れで、多かれ少なかれセックスというものに非日常を見る。だけど、20代に入れば、セックスは日常になる。誰とでも簡単にするものではないにせよ、思春期に比べればずいぶんカジュアルになる。だから、強く望む人には自ずと1度や2度のチャンスは巡ってくる。ざっくりいって20歳くらいで「ヤバい!」っていっている人はたいてい数年のうちに彼女ができている。
25歳を超える人は、もうちょっと悪いこじらせ方をしている。若いうちからコンプレックスと自意識をこじらせてしまって、「女なんていらない!」と"酸っぱいブドウ"状態になっている人はその典型だろう。
そして、もうひとつのタイプが「ボケッとしてた」人。20歳くらいで童貞でも「まぁ、まだ早いかな」くらいに思ってるタイプだ。「彼女がいるのは特別な人たち」くらいだった頃の感覚のまま年を重ねて、いつの間にか「彼女がいないのが少数派」になり、「彼女がいないのが異端」に変わっているのに、うまく気づけない。このタイプは、ある意味自意識をこじらせている人以上に彼女ができない。コンプレックスは強い欲求の裏返しなので、何かのきっかけで裏返る可能性がある。けど、ぼーっとしている人は(そもそもがイケメンだったりしない限り)、ボーッとしているうちに高齢童貞になっている。「まだ早い」と思っているので、特に風俗に行こうなんてことも考えない。
ほかにも、「恋人」という存在を特別視・神聖視するあまり、「ものすごく特別な人」にしか思いを寄せられない、「好きになるハードルが高い」なんてタイプもいるだろう。いわゆる「コミュ障」タイプもこじらせやすい。
僕自身がどのタイプかというのは、自分でもよくわからない部分はあるのだけど、とりあえず32歳の今までに、10回告白してフラれているので、数はまずまず。特に「女なんて!」と思っているつもりもない。どちらかといえば、ボーッとしてたのと「恋人」を神聖視しているというのの複合タイプなんじゃないかと思う。
なので、特に「どうしても童貞を捨てなければ」という強い意志が僕にはなかったし(少なくとも自覚できるレイヤーにはなかった)、経験がないことに対してコンプレックスもなかった。だから、当然風俗に行こうなんて気にもならなかったし、「内心ではコンプレックスなんだ!」といわれるたびにうんざりしていた。たとえば、心理学的に本当にコンプレックスだったとしても、自覚していない人にとっては存在しないも同然なのだから。
だけど、そういう僕が、ひとつだけひた隠しにしていることはあった。正確にはそれほど隠し通していたわけではないが、少なくとも建前上口に出せなかったことがある。それは、「童貞というのは都合がいい」ということだ。
モテないという事実に都合もクソもないといったらそのとおりなのだけど、「32歳童貞」と「彼女いない歴32年だけど風俗経験はあり」だったら、前者の方が都合がいいのだ。説明するのも楽だし、どうせなら「全然経験がない」方が笑い話にもしやすい。キャラ的に尖ってるというやつだ。さらにいうなら、クリーンなイメージを保ちやすい。同じダサいなら、自分の純情さを信じられる方が楽だということだ。「絶対に彼女をつくらないぞ」とは全く思っていないけれど、いないならいないで平気だし、それなら童貞のままの方が潔いじゃない、と。
それは、口にしたら最後、「フリに過ぎない」ことを認めることになってしまうから、絶対に公言できなかったのだけど、打算的に童貞であり続けるという意識は、確かにあった。だから、「風俗に行け!」というミニ北方先生に出会うたびに「いや、いいよ」と断ってきたのだった。
だから、今回「風俗に」といわれたときも最初は断っていた。別にわざわざ金をかけて行くほどのことはないし、行かない方が都合もいい。風俗に行ったからといって突然雷に打たれたように「女の子最高!!!!」って言い出す自分は想像できないし、結論から言えば実際そうはならなかった。
けど、この春そんな話をしているとき、ふと思ったのだ。もしかして僕は打算で選んでいるわけですらなく、承認ゲームの袋小路に入り込んでしまっているんじゃないか、と。
それは、おそらく非モテがなぜカジュアルになった理由と隣り合わせの問題なのだ。