迷走する安保法制論議に、「喝っ!」

砂川判決を根拠に「集団的自衛権の行使を最高裁が認めた」との高村氏らの認識は、明らかな誤りと断ぜざるを得ません。

6月4日の衆院憲法審査会において、3人の憲法学者による参考人質疑が行われ、自民党・公明党・次世代の党推薦の参考人である長谷部恭男早稲田大学教授を含む全員が、いま審議されている安全保障関連法案は憲法違反だと断じたことから、国会審議が大混乱に陥ってしまいました。

安保法制をめぐる議論は、我が国を取り巻く安全保障環境の変化にどう対応すべきか、そのための法整備はどのように進めるべきか、といった我が国の安全保障の根幹にかかわる重大論点から、そもそも法案の基礎となっている昨年7月の閣議決定が合憲なのか違憲なのか、という一年前の論争に巻き戻されてしまったのです。(なお、安保法制の在り方については、すでに「近くは現実的に、遠くは抑制的に」という基本理念の下、私の考え方をブログ「いま本当に必要な安保法制とは何か」論壇 nippon.comで明らかにしておりますので、ご参照ください。)

■最高裁砂川判決を集団的自衛権容認の根拠とするのは誤り

しかも、自民党の高村副総裁がまたぞろ最高裁砂川事件判決を持ち出して、閣議決定の正当性を主張したことから、議論はますます混乱してしまいました。最初に確認しなければならないのは、昭和34年の砂川判決は集団的自衛権を容認した判例でも、自衛権の内容を争う判決でもなかったという事実です。砂川事件は、日米安全保障条約に基づく駐留米軍が憲法違反かどうかを争った裁判です。したがって、砂川判決を根拠に「集団的自衛権の行使を最高裁が認めた」との高村氏らの認識は、明らかな誤りと断ぜざるを得ません。

■最高裁で認められたはずの集団的自衛権行使をなぜ歴代政権は否定し続けたのか?

かりに、高村氏らが主張するように昭和34年に集団的自衛権行使容認の最高裁判例が確定していたとすれば、政府はその後半世紀にわたって最高裁の有権解釈に反して、我が国の自衛権の行使を個別的自衛権に限定してきたことになります。奇妙なことですね。しかも、外相や防衛相を歴任した高村氏が現職の時に、個別的自衛権に厳しく限定されてきた内閣法制局を中心とする政府の憲法解釈を、最高裁判決に基づいて修正し集団的自衛権を行使できるように努力された形跡も全くありません。これも不思議なことです。

■安保環境は、今日より冷戦時代の方がはるかに厳しかった

これに対しては、これまでの経緯はともかく、今日の安全保障環境の変化はきわめて深刻であって、もはや個別的自衛権のみで我が国の平和と安全、国民の幸せな暮らしを守ることはできない。したがって、今回こそは限定的な集団的自衛権を認めざるを得ないのだ、という反論があり得ましょう。しかし、「新冷戦」と呼ばれた1980年代の軍事情勢の方があらゆる観点に照らして今日の安保環境よりはるかに厳しいものがありました。米ソの戦略核は地球を7回も破壊できるほど積み上がっており、実際に極東ソ連軍による我が国および米太平洋軍に対する軍事的脅威は強大で、今日の北朝鮮や中国の比ではありませんでした。

にもかかわらず、我が国の安全保障と日米同盟の強化のため、岸信介首相以来、中曽根首相はじめ集団的自衛権の行使容認に踏み切ろうとして努力した政治指導者は少なからずいましたが、そのたびに、昭和47年以来確立された政府解釈―現行憲法下で許されるのは個別的自衛権のみであり、集団的自衛権の行使は憲法上許されず―の岩盤のような壁に阻まれ断念せざるを得なかったのです。

■安保法制は、国民の理解を得ながら慎重かつ着実に整備すべき

もちろん、半世紀遅れとはいえ、今日の厳しい安全保障環境に対応するために、法制を整えて行く必要性は十分認識しています。しかし、その際にも、緊急性の高い分野―たとえば、領域警備や動的防衛力の拡充、周辺事態への対応など―から、国民の理解を得ながら着実に取り組んでいくべきです。いきなり蓋然性の低いホルムズ海峡での機雷掃海の事例や、地球の裏側まで出かけて行って他国の戦闘への後方支援を恒久的に可能にするような法制の必要性を説かれても、多くの国民は戸惑うばかりではないでしょうか。

私は、外交や安全保障に与党も野党もない、あるのは国益のみ、との信念に基づき、在るべき安全保障法制を早急に整備するため、引き続き特別委員会の一員として建設的な国会論議の先頭に立って頑張る所存です。

衆議院議員 長島昭久

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