1995年に起きたオウム真理教による東京都庁の郵便物爆発事件で、殺人未遂ほう助の罪に問われた菊地直子元信者の裁判で最高裁は12月25日付けで、検察の上告を退ける決定を出した。毎日新聞などが報じた。
裁判員裁判で懲役4年とした東京地裁の1審判決を破棄し、逆転無罪を言い渡した2審の東京高裁判決が確定することになった。
■爆薬の原料を教団の元幹部らに運んだ罪に問われていた
NHKニュースによると、菊地元信者は1995年に東京都庁で郵便物が爆発し、職員が大けがをした事件で、爆薬の原料の薬品を教団の元幹部らのもとに運んだとして、殺人未遂ほう助の罪に問われていた。
時事ドットコムによると、今回の最高裁決定は、裁判官5人全員一致の意見。教団による一連の事件で、全面無罪が確定するのは2人目となる。
これによって、オウム真理教による一連の事件で裁判が続いているのは、地下鉄サリン事件などで無期懲役を言い渡され、最高裁に上告している高橋克也被告(59)だけとなった。
■「走る爆弾娘」と呼ばれて
知恵蔵の解説などによると、菊地元信者は1971年、埼玉県生まれ。高校3年生のとき両親の反対を押し切ってオウム真理教に入信。大阪教育大学に進学するも間もなく出家した。
1995年3月の地下鉄サリン事件を始めとする教団が起こした一連の事件の容疑者として指名手配されていた。
都庁郵便物爆発事件にも深く関与しているものと思われたことから、菊地元信者はマスコミ各社から「走る爆弾娘」と呼ばれるようになった。
約17年にわたって逃亡を続けていたが、2012年6月3日に神奈川県相模原市内の潜伏先で警視庁に身柄を確保された。
地下鉄サリン事件に関しては処分保留となり、起訴されなかった。「サリン製造に関わった」としていた週刊誌の記事に抗議した際には月刊誌『創』2015年8月号に寄せた手記で、以下のように憤りを露わにしていた。
地下鉄サリン事件の犯人だというレッテルを貼られた上、社会でそれを否定することすら許されないとしたら、私はどのように生きていけばよいのでしょうか。