暴行事件で渦中の人となっているモンゴル出身の大相撲横綱・日馬富士(伊勢ヶ浜部屋)が、現役引退を決断し、11月29日、日本相撲協会に引退届を提出した。
秋巡業中の10月25日に鳥取市内で、同じくモンゴル出身の平幕・貴ノ岩(貴乃花部屋)への暴行が発覚し、その責任を取った形だ。
朝日新聞デジタルによると、横綱が不祥事で現役を退くのは、戦後4人目だという。過去の「不祥事」を調べてみた。
前田山:休業中に野球観戦、1949年10月引退
●どんな不祥事?
愛媛県出身の第39代横綱・前田山 英五郎。
1949年の10月の大阪場所中に、大腸炎を理由に休場、帰郷した。
問題は、翌日起きた。大好きな野球を観戦するために東京・後楽園球場(現・東京ドーム)に出向き、サンフランシスコ・シールズと読売ジャイアンツの試合を観戦した前田山。
体調不良で休場しながら野球観戦とは「不謹慎」だ、という非難が噴出し、引退に至った。
(1949年10月23日 朝日新聞朝刊より)
●やめるまで
前田山は、「相撲協会に協力的であった、日本野球連盟会長(当時)の鈴木惣太郎氏に、日米親善のためにシールズのオドール監督と握手してほしいと頼まれたため」と釈明し、「ファンに対して申し訳ないと思っているが引退の意志はない」としていた。
しかし同場所後、協会から引退勧告を出され、そのまま現役を引退した。
(1949年10月24日朝日新聞朝刊より)
●やめてから
引退後は、ハワイ巡業の実現など大相撲の国際化につとめ、大相撲史上初めての外国人力士となった高見山を育てた。
双羽黒:ちゃんこをめぐって喧嘩?失踪 1987年12月「廃業」
●どんな不祥事?
三重県出身の第60代横綱・双羽黒 光司(ふたはぐろ こうじ)。史上初の幕内優勝経験がない横綱。
所属していた立浪部屋の親方と後輩弟子の指導方針をめぐって対立していたが、1987年12月27日、親方と口論になり夫人の千恵子さんに怪我をさせ、そのまま無断で失踪。部屋を飛び出し失踪するとは「前代未聞だ」と大騒ぎになった。
一部には、ちゃんこの味付けが口論のきっかけになったとも言われている。
1987年12月31日の朝日新聞朝刊では「中学を出たばかりで全く世間知らずの少年を"部屋のドル箱"とばかり、よってたかって過保護に育ててきたツケが回ってきたといえよう」と親方を厳しく糾弾している。
●やめるまで
27日の失踪を受けて31日には相撲協会の理事会で、立浪親方から提出のあった双羽黒の廃業届を受理した。
双羽黒は会見で「相撲は好きですが、私の好きな"相撲道"と親方の"相撲道"の不一致があった」と語った。
●やめてから
廃業後、プロレスラーとなり、本名の北尾光司で新日本プロレスからデビューした。その後、格闘家としての活動を経て2003年には、代替わりした第7代立浪部屋のアドバイザーに就任した。
朝青龍:場所中に泥酔して暴れ、知人男性に暴行、2010年2月引退
●どんな不祥事?
モンゴル出身の第68代横綱・朝青龍 明徳。優勝回数25回。
2010年1月場所中、泥酔して暴力をふるう騒動を起こし、写真週刊誌に報じられたことで騒動になり、厳重注意処分を受けた。
当初、高砂親方は「暴行した相手は朝青龍の個人マネジャー」と説明していたが、その後、けがをした男性が相撲関係者ではない朝青龍の知人であることが発覚した。2月4日に引退した。
(2010年1月29日 朝日新聞朝刊より)
●やめるまで
格技を職業としながら暴力事件を起こすなど、一般人以上に許されないと角界の内外から非難され、「横綱の品格」という言葉が報じられた。
引退会見では、「責任をとって私は引退しました」「正直、ちょっと休みたい」などと発言。問題視されてきた「横綱の品格」の質問には「品格、品格と言われてきたが、正直、土俵にあがれば鬼にならなくちゃいけないという気持ちだった。今までにない(タイプの)人なんで迷惑かけたと思う」と答えた。
(2010年2月5日 朝日新聞朝刊より)
●やめてから
実業家、タレント、コメンテーターとして多方面に活躍している。
2017年8月、新しくモンゴル大統領に就任したハルトマーギーン・バトトルガ氏より日本担当の外交顧問および大統領特別大使として任命された。
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