中国における民主化運動の象徴的存在で人権活動家の劉暁波(リウシアオポー)氏が7月13日、61歳で死去した。
劉氏の死を受けて中国内外では追悼の声が広がっているが、中国版Twitterの「微博」(ウェイボー)では、劉氏に関する投稿は情報統制を強める中国政府によって厳しく検閲され、削除が続いている。
劉氏の訃報には厳しい情報統制が敷かれ、ウェイボー内では劉氏の名前を検索しても結果が表示されない。また、中国最大の検索エンジン「百度」(バイドゥ)で劉暁波氏の名前をニュース検索しても、劉氏に関する訃報はヒットしないようになっている。
BBCによると、ウェイボーのユーザーは劉氏の死を悼むコメントや哀悼の意を表すロウソクの写真や絵文字などを投稿した。しかし、フォロワー数の多いユーザーのつぶやきを筆頭に、そうした投稿は検閲が行われ削除されているという。英語で「安らかにお眠りください」を意味する「R.I.P」をはじめ、ついにはロウソクの絵文字も規制の対象になった。
こうした検閲に対抗するように、一部のユーザーは工夫を凝らして追悼の意を表そうとしている。ニューヨーク・タイムズによると、なかには劉氏がノーベル平和賞授賞式に出席できなかったことをあらわす「椅子」の写真を投稿する人もいるという。
劉氏の写真に花を手向ける人々(ノルウェー、 2017年7月13日撮影)
■中国民主化運動の象徴、劉暁波氏の足跡
劉暁波氏は1955年12月、吉林省・長春の出身。10代の頃は文化大革命の影響を受けて、家族とともに辺境の農村で過ごした。
1982年に吉林大学文学部を卒業後、北京師範大学で文学修士号と文学博士号を取得。その後、ノルウェーやアメリカなどの大学から客員研究員として迎えられた。
劉氏は2010年、中国での基本的人権の確立のため長年にわたって非暴力の闘いを続けてきた功績によりノーベル平和賞を受賞した。授賞が決まった直後、獄中の劉氏は妻の劉霞さんに「(ノーベル平和賞は)天安門事件で犠牲になった人々の魂に贈られたものだ」と述べ、涙を流したという。
受賞決定後、民主化運動の高まりや人権問題の国際問題化を警戒した中国当局は、劉霞さんを自宅に軟禁。授賞式への夫の代理出席は叶わなかった。ノーベル平和賞の歴史において、家族が代理出席できなかったのは、ナチス・ドイツに抵抗したカール・フォン・オシエツキー氏への授賞(1935年)以来、75年ぶりの事態だった。
2010年12月、主役不在のノーベル平和賞授賞式。会場には劉氏の巨大な写真と、空席の受賞者席が設けられた。
ノーベル平和賞授賞式(2010年)の写真
式典では、劉氏が2009年12月、自らの裁判審理で読み上げるために記した陳述書「私には敵はいない──私の最後の陳述」が代読された。