マクロン大統領は"ベルサイユのアメリカ人"?「一般教書演説」の模倣から広報戦略まで

「"大西洋の向こう側"の政治手法からやや影響を受けすぎているのではないか」とマクロン氏を批判する声はたびたび上がっている。
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「頭の中では、英語で歌っているのでは?」フランス大統領選のキャンペーン中、極右政党の政敵たちはいささか"ヤンキー"すぎるやり方で、胸に手を当てて国歌を歌うマクロン氏をこう冷やかしていた。

ひとたび大統領に選出されると、アメリカの科学者に向けて英語で放たれた「Make our planet great again(私たちの地球を再び偉大にしよう)」という勧誘文句が、保守的なフランス語擁護論者の度肝を抜いた。

「"大西洋の向こう側"の政治手法からやや影響を受けすぎているのではないか」とマクロン氏を批判する声はたびたび上がっている。この月曜日(7月3日)にベルサイユの両院合同会議で予定されている大統領演説でも、そうした憂慮は増すに違いない。

それはこの演説が、同日予定されているエドゥアール・フィリップ首相の施政方針演説の直前に急遽組み込まれたことで、一部で「権力の濫用」「三権分立の原則に反する」と批判の声が高まっているからだけではない。アメリカの「一般教書演説」の伝統をベルサイユに持ち込むという、マクロン氏の意図を明確にしているからである。大統領選の候補者のときにも公約していたこの実践を、フランス新大統領は習慣化したい腹積もりだ。

■憲法規定範囲を超える大統領の至上権

フランス政治の伝統と反する国会での大統領演説の試みは、この若い国家元首が、今後5カ年の改革議事の「唯一の請負人」であるかのように、国家の面前で自らを印象づけることを可能にする。反対政党はこれを「制度の機能不全状態」と見なし、大統領の首相との"直談判"の試みのなかに「帝王的大統領制」の痕跡を認めている。

英語からきたこの「帝王的大統領制」(imperial presidency)という表現を使うのは、偶然ではない。70年代に歴史家のアーサー・シュレンジャーによって確立されたこの概念は、憲法規定範囲を超えて絶対権をふるい、三権分立の繊細なバランスを脅かす(アメリカの)大統領を表わすものだ。

マクロン政権はこれとかけ離れているだろうか。フランス政治研究センター(Cevipof)の研究員パスカル・ペリノー氏はこう分析する。「『革命』という自著のなかで、マクロン氏はすでに、最大限の威厳のなかで大統領の地位を確立したいと説明していました。しかし同時に、内閣とのバランスのとれた機能ということについても言及していました。ところが彼はバランスではなく、隷属状態を確立してしまったのです」またペリノー氏は、「首相・内閣・与党・国民議会の掌握を望む大統領制にとって有利な」諸権力の集中化を指摘している。

ホワイトハウスに真正面から反対するための合憲的な手段を国会が有しているアメリカとは異なり、フランスではエリゼ宮の絶対権力に対する反対勢力の力は弱い。

■「スタートアップ・フランス」を経営するためのアメリカ式マネージメント

全面的な覇権を確かなものとするべく、マクロン大統領は権力の過剰行使をするだけにとどまらない。かつての投資銀行員が同じくアメリカからフランスに持ち込んだのは、企業文化と、シリコンバレーの巨大企業ばりのピラミッド式経営ノウハウだ。

首相の施政方針演説の直前に、全国会議員に向けて演説を行おうとしているマクロン大統領の手法を考えてみよう。「まさに企業的な文化です。社長がビジョンや方針を話して、次に部長がその戦略を説明するのです」企業広報の専門家ティエリー・エラン氏はこう分析しつつ、「経営者的大統領(制)」という概念を提唱している。

「スポイルズ・システム」(選挙に勝った政党が、自党の党員や支持者を公職に任用する政治習慣。とりわけ19世紀初頭のアメリカで顕著に見られた)の輸入――大統領のプログラムにそぐわないと思われる中央行政庁の役人や高級官僚を遠ざけるのを狙いとする――も、このアメリカ式マネージメントのもう一つの痕跡である。

今後の5年間でフランスを「スタートアップ国家」にすると誓っているマクロン大統領は、アメリカで生まれた新しい経済の規範や用語を繰り返すだけでは飽き足らない。マクロン氏はずっと以前から、自由主義による個人の成功と、社会的な進歩という神話に与している。2015年には、「億万長者になることを願う若いフランス人が必要だ」とまで言っていた。果たして3日の演説でも、国会の聴衆を前にして同じことを言えるだろうか。

■オバマ大統領に影響された広報戦略

これまでのところマクロン大統領は、伝統的なフランス国家元首の役割と、アメリカの同業者たちからヒントを得た新しい大統領像をうまく両立しているようである。

その証拠が先日Twitterで公開されたマクロン大統領の公式プロフィール写真だ。その構図と姿勢はバラク・オバマ前アメリカ大統領のそれを否応なく思い起こさせたと同時に、机の上に置かれたiPhoneの液晶画面には、ガリア期以来のフランスのシンボルである「ニワトリ」がいたずらっぽく写り込んでいた。写真は公認カメラマンのソアジグ・ド・ラ・モワソニエール氏によって撮影された。彼女は大統領とほとんど制限なく接することのできる数少ない人物のひとりであり、それはちょうどオバマ前大統領がホワイトハウスの専属カメラマンだったピート・ソウザ氏と結んでいた関係と似ている。

差し錠のかけられた大統領へのアクセス、出し惜しみ的に公開される情報、格差の時代のなかで、威圧的な大統領の胸像を彫刻していくイメージの氾濫……。マクロン・サーガの物語り手法は、アメリカのそれと大して変わらない。ファーストレディの演出法に至るまで同じだ。マクロン氏は大統領選のキャンペーン中にも述べていたように、妻であるブリジット夫人の職務を制度化する方針で、関連する憲章が現在起草されている

この最初の「一般教書演説」――国会の左翼層の一部を憤慨させること必至である――が終わっても、「アメリカ人・マクロン」には、はるかに厳しい試練が待ち受けている。ドナルド・トランプ大統領の予測不能の言動を注視しつつ、7月14日の国民的祝祭(パリ祭)を指揮するという大一番だ。

ハフポスト・フランス版より翻訳・加筆しました。

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