母であり、妻であっても、人はひとりで立って生きていく。写真家・植本一子さんの『家族最後の日』を読むと、そう思わざると得ない。
母との決別、義弟の自殺、夫のがん発覚。そして、恋人の存在——。2016年、目の前に次々と立ち現れた現実を、植本さんは日記に残した。それは、夫を看病し2人の子どもを育てながら、いのちや家族と向き合う日々だった。
筆者は2016年、母になった。子育てや介護を通じて自分自身の家族のかたちは日々揺らいでいる。そんな私が育休中に出会ったのが『家族最後の日』だった。
家族とは何か。家族がいてもひとりで生きるとはどういうことか。ひとりでいられなかった植本さんは、「いま孤独じゃない」と語る。その理由を聞いた。
そのとき、私の中で何かが切れてしまった(『家族最後の日』母の場合より)
——『家族最後の日』を書かれたきっかけは? 広島に暮らす折り合いの悪い母との絶縁、義弟の自殺や、夫(ラッパーのECD:石田義則さん)のがん発覚。次々に起きた目の前の出来事を書き記されています。
本当に(夫が)亡くなっちゃうかもしれない、と思ったんですね。「この毎日がなくなるかもしれない」という危機感から、残しておかないと、という思いで書きました。
(c)植本一子
母の話はずっと書けなくて。石田さんのがんが発覚するひと月前の話なんですけど、ずっと書かなきゃと思いながら、日記と並行して書き上げた感じです。しんどい話を書くときは、しんどいんですよ。
——結婚後も広島に帰省していたと思いますが、本では久しぶりに帰省した数日間で、息苦しかった実家、母親との価値観の違い、子どもの接し方への違和感などを敏感に感じとる様子や、文句を言い始めた母に植本さんが初めて怒りをぶつける様子が書かれています
(震災後の不安な日々、育児の苦悩や母との葛藤などを日記で綴った前著)『かなわない』を書いていた時に、カウンセリングで「お母さんから距離を置きなさい」と言われて、それができるようになってたんですよ。それで去年ちょっと帰ってみようかなって3年ぶりぐらいに帰ったんです。
カウンセリングを経て、自分はうまくやっていけるようになったと思いながらも、やっぱり一番外の枠に「お母さん、こうあってほしい」があった。それが爆発してパーンと割れたというか、堪えられなくて「もういいや」みたいな。
——「うるさい、黙れ!」、ガツンときました。
カウンセリングの先生には「あなたにはそれが必要だったんですよ」「しっかり怒ることが必要だったんです」って言われて、その時はそれでよかったんですけど、ちょっと時を経て、今また心境は変わりつつありますね。
——どう変わりましたか?
どこかで「お母さんはこうあるべき」って、お母さんに自分を重ねて見てしまっていたというか。「お母さんだめ」と言ってる矛先が、結局自分になっていたんですよ。自分で自分の首を絞めてたことに気づいたというか。
今はもう、どこかでお母さんを赦し始めてるんだと思います。赦したからといって、仲良くするとか連絡を取ったりするわけじゃないんですけど、「お母さんもひとりの人間だったんだな」とやっと思えるようになってきました。
(c)植本一子
——怒りを爆発させたから、次の心境に至った。
この1年間はお母さんを憎み続けて悪いところをフィーチャーし続けて、結果的に良かった部分もあるんですけど、しんどくもありました。次から次へと悪いことばかり「あれもされた、これもされた」って全部思い出したんですよ。
今、ふと子どもと接してたりすると、「ああ、でもお母さん、あれもしてくれたんだよな」と思い出すこともあって。「いいこともやっぱあったんだよなあ」って。安心感というか、物心つく前の頃の記憶なんでしょうね。
——距離を置いたから、見えてきた。
やっぱ必要だったんだなと。本当に連絡取りませんでした。
それでもひと月に1回荷物が届くのがずっと続いて。送られてくる手紙には、右往左往してる感じがあって。「やっぱり、変わんないな」と思いつつ、自分の心境は変わってきました。
家族はこうあるべき、を捨てよう
——本には、広島の家族だけでなく、結婚してできた家族のことも書かれています。義弟の自殺も夫の病気も、植本さんの"自分事"ですね。前著では、離婚したいと思っていたことも発表されていますが、今は家族とはどんな存在ですか?
何から話せばいいんだろう。でもちょっと楽になりましたね。「家族はこうあるべき、みたいなことを捨てよう」ということを、私は伝えたかったんだなって思います。言い続けることで実感が伴ってくるというか。
——こうあるべき、を捨てる。
どうなるかわかんないですけど、石田さんの終わりがちょっとだけ見えてる感じは正直あるんですよ。今ガリガリで私より体重軽くて、基本横になっていて。入院するほどじゃないけど、常にちょっと調子は悪いみたいな感じ続いてて。
そうなると、やっぱり次のことを考えなきゃいけなくて悲しいと思っていられない。それはそのときに感じればいいだけで、ちょっと用意しておかないといけない。子どもを育てるお金もそうだけど、人間関係もそうで。
——家族のために。
例えば、石田さんが自由に動けなくて、私がどうにかなってしまったとき——うつで倒れたり、それこそ事故で死んじゃったりしたときに、子どもたちが路頭に迷わないように、広島にも帰らなくてすむように、吉祥寺の(石田さんの)親父にも渡さなくてすむように——。
誰か託せる人を作っておくっていうのが、自分が安心できることだなって思って......
『家族最後の日』の担当編集さんに頼みました(笑)。
——ちゃんと伝えたんですね。
3月ぐらいの時、すごく不安になった時期があったんですよ。私も精神的に参っていて、でもうつになるわけにもいかない。忙しくても倒れられない。かといって何が起こるかわかんない。強迫観念というか怖くなっちゃったんですね。
ちょっとでも不安材料がなくなるためにと考えたのが、託すあてを作っておくことだったんです。
(c)植本一子
——衝動的なわけではなく。
子どもたちも慣れてるのもあるし、編集さんの奥さんもいい方なので。よく3人で家に泊まりに行くんですよ。そのぐらい信用できる感じはあって。(ライターの)武田砂鉄夫婦もいいなと思ってるし、何人かいますよ。誰でもいいんですけどね(笑)。
——編集さん、言われてどう思いましたか。
編集:とりあえず引き受けようと思いました。実際そうなったりすると、多分すごく悩むんでしょうけど。でもまず引き受けようかなと、ほぼ反射的に「わかりました」って言った気がします。
植本:例えば、私が倒れて入院したとき、迷われるじゃないですか。「あの時、ああ言ったけど......」って言うのは目に見えてるんですけど、引き受けてもらえたというだけで、ちょっと安心できて気持ちが上がる。
安心薬というか、薬みたいなものだと思いますね。本当に生きているのは大変だと思うし、子どもを育てるのも大変だと思うし、だから子どもにとっても味方になる人、そういう人を作ってあげたいなっていうのは思います。うん。
——近くの他人のほうが家族になれる可能性がある。
うん、編集さん夫婦に子どもが生まれても手伝いたい。おばちゃんみたいに(笑)。
(c)植本一子
繋がってる実感があるから孤独じゃない
——本の中で、「結局私は自立しないで生きてきたのだ」と書かれてたのが印象的でした。家族がいても、子どもがいても、根底でひとりをすごく大事にされてるように感じられたんですが。
自立ですか。自立で、好きな言葉があって、何でしたっけ(笑)。
編集:「人間はひとりでは生きていけないのに、自立を求められるから苦しい」。「弱さの強さ」を自覚して、「たくさんの相手に頼れる社会にしていかなければならない」と、脳性まひの小児科医で、東大の熊谷晋一郎・准教授が2016年、相模原事件を受けて朝日新聞でコメントしていました。
植本:非常に感銘を受けました。なるほどと思いました。本当に。
——ひとりと孤独は違うのでは、と考えているのですが、いまのお話はヒントになりそうですね。
ずっと誰かに依存していて、依存先がお母さんから石田さんに変わって。石田さんがいなくなったら、私は自立しなきゃいけなくなるんだって思ったんです。
繋がりかたがよくわかんなくて、いつもぐちゃぐちゃにしてたんですよ。ひとりに「100、お願い」みたいな。それを彼氏を当てはめていたこともありました。でもそれって結局、お母さんの代わりでしかなかった。
「100じゃないとダメです」って、100を持ってくれる誰かを作ろうとしてた。でも「100お願い」となると、みんな違う、となるじゃないですか。
——100お願いされるのは、重いですね。
でも100を10ずつ、編集さん、編集さんの奥さん、武田砂鉄、砂鉄さんの奥さん......って、仲のいい頼れる人に、10ずつ持ってもらえるだけで、「あっ自立できるんだ」と思いましたね。
——ちょっとずつたくさんの関係があるほうが、自立しやすい。
繋がってる実感があるから10ずつでも孤独じゃないんですよね。だから、ひとりでいられるというか。
今までひとりでいられなかったんですよ。誰か100持ってくれる人が存在してるっていう実感がないと、生きてていい感じがしない。辛くなっちゃうというか。それも勘違いなんですけど。だから今、すごく楽ですね。