「心を震わせる側になりたい」が永遠のテーマ。『凪のあすから』美術監督・東地和生さんが語る

「いずれにせよ人との出逢いが無ければ何も始まらなかった、作品との出逢いがなければ今の僕はいません。『出逢い』ほど価値のある物はないかもしれないですね」

『Angel Beats!』や『凪のあすから』など、数多くのP.A.WORKS作品の背景美術を手がけた美術監督の東地和生さんは、懐かしさを感じる街並み、印象的な海や空、物語を感じさせる情緒豊かな描写でアニメーションの世界観を作り上げている。東地さんは「人との出逢いが無ければ何も始まらなかった、作品との出逢いがなければ今の僕はいません」と語る。

アニメーション業界に入ったきっかけや『凪のあすから』に込められた思いなどを聞いたインタビュー前編に続き、後編では背景美術へのこだわり、人生を変えた5つの出逢い、P.A.WORKS作品に参加するようになった「転機」や近年のアニメーション業界の変化などについて聞いた。

【前編はこちら】

■「この世界は、光と影で構成されている」

「凪のあすから」イメージイラスト (C)Project-118/凪のあすから製作委員会

――東地さんの作品を見ていると、全てに共通するのが、空の青と海の青。あとは光の使い方。この辺りは東地さんらしさを個人的には感じます。東地さんが背景美術でこだわっている部分はありますか。

「全ては光と影である」という考えです。「生と死」「明と暗」というように、全ては対比でできている。時間と共に昼と夜が訪れる。これは当たり前のことだと思います。人間だって隣の人と自分を見比べて生きている。存在を確認してる。

例えば、日本中から頭の良い人を100人あつめても、その中でさえ100番と1番ができちゃいますよね。だから「平等」はあり得ないわけです。時間と共に変化もします。そのあたりの精神から「全ては光と影である」という感覚が自分の中にもあるんですよ。だから、背景を描くときも光と影を絶対あやふやにしません。変化し続ける光と闇の一瞬を描くと言うか。

「この世界は基本的に、光と影で構成されているんだ」と。それは現実の世界もそうだし、背景の世界も同じであるっていう考え方です。これが正しいかどうかは分かりませんが、自分ではそう思っています。だから描くときは、明確に影を描く癖が自分はあります。

もちろん、「曇り」の天気を描く時は、あやふやにしないといけないっていうか「曇りの表現」がある。それでも「くっきりならないときも含めて、ちゃんと光と影はあるんですよ」っていうことをやっぱり意識しますね。

「Angel Beats!」豪雨 (C)VisualArt's/Key/Angel Beats! Project

――そういった感覚って、いつごろから持つようになったんですか。

意識したのは背景をやってくうちにですね。昔はそんな深いことを全く考えてなかったですよ。考えてないどころか、「俺の絵を見ろ」「俺の絵を認めろ」ということばかり考えていました(笑)。

「とにかく人に認められたい」って、若い時はみんなそうですよね。その感覚で20代はがむしゃらに描いてきた。だからキャラクターや物事を考えて背景を描くようになったのは、やっぱり今監督と出会って以降です。お客さんはキャラクターを見て感情移入するわけだから、そのキャラクターが魅力的に見えなければ何も始まらない。そこで「俺の絵を見ろ」と言っても、その作品が成功するわけがない。そういう感覚です。

■背景美術では、「感情に近い」という意味でのリアルさが大事

――アニメーションの背景美術といえば、新海誠監督が以前から有名でした。『秒速5センチメートル』や『言の葉の庭』などが代表的ですが、「リアルな背景が素晴らしい」という文脈でよく語られます。

新海さんの美術は美しいですよね。一観客として感じた事ですが色彩は全て妄想の想像力なんでしょうね。なんと言っても色ですよね。観たお客さんが感動するのは、やっぱり妄想とか想像が乗ってるからだと思います。本当に見事な背景で、私もすごいなって思います。画集も持ってますよ。

ただ、参考にしようと思って買ったのに、結局は自分の絵しか描けなくて(笑)。でも、やっぱりあれはすごいですよ、美しい。人はそれを「リアル」というけど、あれは実際の写真とは全然違います。それは妄想の、想像の色で描いているからこそ、みんなが感動するんですよ。それを「リアル」と感じるということは、実際の肉眼で見るより「感情にとってはリアル」ということなんです。「印象」に近いものですね。それって、ものすごいハイレベルな画力がないとできないことなので、「あぁ…すげぇなぁ…」って思いますよ。普通、あんなの描けないですよ、本当に。

新海誠監督「秒速5センチメートル」予告編

「写実」という意味で「リアル」な背景を描かれてる方って、美術監督さんにも結構いると思います。でも、それだと、実は印象に残らなくて、あまり注目されないという側面があるんじゃないかなと思います。新海さんの背景が評価されるというのは、感情でその一瞬を捉えている。心で想像するリアルが描けてるっていうことなんだろうなと。

――「写実的」なリアルではなくて、「感情に近い」という意味でのリアルさが大事ということですね。見て心に残る絵というか。

『凪あす』の背景が評価されたのは、やっぱり想像が多いので、そこが見た人の妄想をかき立てるんじゃないかなって思います。

「空想で作ったリアル」っていうのが、訴えかけるものが多い。例えば、今敏監督のことをすごいと思ったのが、アニメ映画『東京ゴッドファーザーズ』(2003年)という名作です。あの作品は、基本は監督の頭の中にあった世界なんですよ。一部は本当にある場所があるのかもしれないですが、あの町自体は存在しないんですよ。でも、どっからどう見ても東京なんです。でも、東京のどこを探してもあの風景がない。だから、超リアルに見えるけど、あの世界観ってものすごく感情に訴えかけてくる。多分そこがすごいところだと思うんです。

■「絵にプライドを持つのではなく、作品にプライドを持つのが大事」

「TARI TARI」白浜坂高校音楽準備室 (C)tari tari project

――業界に入ってからP.A.WORKS作品に参加されるまで、苦労したところは。

さきほど言ったように、はじめは竹田悠介さんのいわゆる「弟子」ですよね。今はそういう師弟関係っていうか、徒弟制度的なものが残っていないですよね。でも、当時はまだ少し残っていました。師匠の下で腕を磨くっていう体制。それが正しいかどうかはちょっと私には分かりません。でも、自分はそこにいたからこそ強くなれた。それは間違いないです。

竹田さんは、しょうもない自分のプライドをへし折ってくれた。「俺の絵を見ろ」みたいな、そこに自分の存在意義を見出すみたいなプライドをへし折ってくれた。それってすごく大事なこと。そこでへし折られたとき、どれだけ絵がうまくても、人によっては辞めてしまいます。僕は絵にプライドを持つのではなく、作品にプライドを持つのが大事だと気付く事が出来た。偶然ですが、自分は20代で所帯持ちだったので逃げ場もなかった(笑)。

そういう運命的な状況だったので、自分はもう竹田さんに付いていくしかなかった。自分の絵がうまいなんて全く思えない状況で、「世界で一番絵が下手だ」と本気で感じてたぐらい心が折れてました。でも、それで良かったと思います。しっかり自分のダメなところを指摘してもらって、プライドを折られないとダメなんですよ。そうしないと絵が下手なままなんです。自分もみんなも。

若い時って「自分は特別なんじゃないか」って、どうしても心のどこかで思っているんですよね。特に絵を描いてる子はみんなそうだと思う。自分も「人に負けない、何か特別なものを持ってるんじゃないか」と。でもそんなものなかった(笑)。

でもね、「ない」って分かった瞬間、すごく楽になったんです。「あっ、自分には何にもねえんだ」って。そう思ったら突然強くなれて、何でも受け付けるようになったんですよ。どんなにリテイク出されても、どんだけ批判されても「いや、自分が下手だからしようがない」って。開き直りとでも言うのでしょうか(笑)。でも、そこから充実してきた。だから、師匠の竹田さんに鍛えられたというのは大きい。この業界に入って、あの人と出会ったのは非常に大きなことでした。

■「絵が上手くなるためには〇〇すべき」みたいな練習は絶対にダメ

「Charlotte」岬へと続く道 (C)VisualArt's/Key/Charlotte Project

――転機となるタイミングでの出会いは、人生に大きな影響を与えますね。

大きな出会いというと、これまでに今のところ5つあります。1つ目は幼い頃の幼馴染。彼は東京藝大に行きましたが、昔からライバルで絵を一緒に描き続けていた。そこで絵を描く面白さを知りました。次が高校の教師。それは、自分たちに「お前らは絵を描け」とデッサンを教えてくれた。

絵を描くきっかけを与えてくれた人ですね。その高校教師の教えがすごかったのが、「絵は教えるものじゃない」っていう。

――なかなか大胆な先生ですね。

「教えてうまくなるわけがない。自分で気付かないとダメ」ってことでした。絵が上手くなる練習をしても、うまくはなりません。これは言い切っちゃっていいと思う。大事なのは、描きたいものを描いたのに、納得できなかった時です。下手だったら、「何が納得いかないのか」を考えることが大事なんです。「これやればうまくなりますよ」「これをやれば、あの人みたいになれますよ」なんて、そんな方法あるわけない。

だから、「自分は東地さんみたいな絵を描きたい」って言ってくれる若い子に出会うたび、「それなら一番描きたいものを描いたらいいよ」とアドバイスしています。それは、描きたいものを描くことで、結果として練習したことにもなる。一生懸命描いて、でも納得いくものができなかった。そうしたら、どこが納得いかないか考えますよね。考えたときに「あっ、ここがおかしいんだ」って気付く。その気付きが大切なんです。

「絵が上手くなるためには〇〇すべき」みたいな練習は絶対にダメです。効果はありません。そういったものをこなして「僕は努力した」「僕は練習した」と言っても、何も意味がない。

世の中で尊敬されてる人って、はじめから「尊敬されるにはどうすれば良いか」なんてこと考えて、尊敬される努力なんてしないですよ。あくまで仕事の結果、業績が評価されて尊敬されるようになる。絵も一緒です。「絵がうまくなりたい」という気持ちを目標にしちゃダメ。大事なのは「描きたいものは何か」なんです。そういうことを高校の先生から教わりました。

■P.A.WORKS参加の転機は「Angel Beats!」 アニメ業界の変化が背景に

「Angel Beats!」イメージイラスト (C)VisualArt's/Key/Angel Beats! Project

――幼馴染、高校の先生、竹田さん、今監督と4人あがりました。もう一人は。

堀川憲司さん。P.A.WORKSの社長ですね。この方と出会わなければ、ここにある絵を描く事もお客さんに観て頂く事も無かった。

――きっかけは『Angel Beats!』ですか。

それまでは「マッドハウス」で仕事をしていました。美術監督を初めてやったのはマッドハウスでの作品でしたが、その後の方向性に迷いがありました。美監の声もかからなくて。「これからどうしよっかなぁ」という時、堀川さんが声をかけてくれました。それで、そちらへ移動しました。

移った理由は、当時の「アニメ業界の変化」が大きかったと思います。「アニメ」においては「劇場作品が最上」という流れが90年代まであったと思います。それはわれわれ職人にもあって、一流を目指すんだったら「劇場作品を渡り歩く一流になりたい」と。主にジブリとか当時のプロダクションI.G.、マッドハウスもそうですね。そういうところが作ってる劇場作品を渡り歩いてる人たちがすごいのだという流れがあった。80年代の『幻魔大戦』をはじめ、「劇場作品が最上」というのがずっと綿々と続いてきた。それが2000年代になって変わってきた。

――2000年代ですか。

ええ。あの頃の劇場作品が行くとこまで行っちゃった。その傍らで、萌えアニメが台頭して来たんです。何というか、超ハイスペックでハイセンスな、もうこれ以上ないっていう最上のものを用意するのが一番だと思ってたのに、「いや。フルコース料理よりもからあげ定食がいいよ」というような、リアルさを感じた時代だったんです。「俺、そんなハイセンスな服より、セーラー服が好きだよ」「超おしゃれな格好してる女の子より猫耳メイドのほうが好きだよ」みたいな。

そういう流れが2000年代に入ってきた。「アニメーション」というものが変化した時期だと思っています。今まで最上だと思われてた劇場作品というものの地位が、ちょっと揺らいだような感覚がありました。ジブリ作品は別ですけど。

――「ジブリ」は、もう「ジブリ」という一つのジャンルになっていますね。

そうですね。ただ、私がいるのはそっち側じゃないので、それを感じてマッドハウスを去りました。そして、堀川さんの誘いもあり、『Angel Beats!』のコンペに作品を出しました。この絵ですね。それで、『Angel Beats!』の仕事を受けることになったという経緯があります。

『Angel Beats!』コンペ用イラスト

よく覚えているのですが、『Angel Beats!』の最初の打ち入りパーティーのときに「自分はこんな目の大きな女の子のアニメをやったことがありません」って言っちゃって。今思えば、ものすごく失礼なことを言ってしまったんですけど…。このころは、ちょうど「ニコニコ動画」(2006年サービス開始)がちょうど流行ってきた時代ですね。

――2000年代半ば以降ですね。

そうですね。ニコ動や初音ミクなどが流行した、あの頃です。

――京アニが『涼宮ハルヒの憂鬱』(2006年)や『らき☆すた』(2007年)などで、力をつけてきた時期でもある。

言葉を選ばずに言えば、「ルネサンスの終わり」って、多分こんな感じだったんじゃないかな。ルネサンスの終わり頃の作品って、グロテスクなんです。装飾もスゴ過ぎて。行くとこまで行って、グロテスクで終わっていくんです。劇場アニメの大作も、私は同じように閉塞感を感じました。だから『Angel Beats!』をやろうと。

この時期、それ今まで全く興味がなかった美少女アニメをすごく見ました。そうしたら意外に面白かった。思春期はとうにオーバーしていて、子供もいる。確かに、中学生の感覚では見れない。でも、「あっ、面白いな」っていう部分を感じたのはあるんですよ。『AIR』『涼宮ハルヒの憂鬱』とか『ゼロの使い魔』や『灼眼のシャナ』も見ましたよ。

あの頃は、アニメーション業界にとって幸せな時期だったと思います。この頃、麻枝准さんがゲーム業界で、ものすごい注目を浴びていた。楽曲も聞きました。自分は『AIR』はよく分からなかったんですが、BGMがすごい良いなって感じました。ニコ動でも、ものすごく評価されていた。

――「AIR」の主題歌の「鳥の詩」は、ファンから「国歌」と呼ばれるほどですね。他にも「夏影」「時を刻む唄」「小さなてのひら」など、麻枝さんが作詞や作曲した楽曲は高い人気を誇ります。

「鳥の詩」を歌っているLiaさんのアルバムに『射光の丘』という曲があって、それを聞いたときに「これは『Angel Beats!』の話にものすごく通じるな」って思いました。そうして描いたのが、コンペに出したあの絵でした。

そんな時、この『Angel Beats!』のような作品に初めて触れて、それに魅力を感じるお客さんの気持ちが分かった。やっぱり、お客さんに喜んでもらわないと我々は意味がない存在なので。本当に『Angel Beats!』は、転機となった作品です。

結果として、放送から数年経っても、いまだにこうやって背景を見に来てくれるものになってる。それは、お客さんにとっても「いい器」になってるんだろうなと思います。

いずれにせよ人との出逢いが無ければ何も始まらなかった、作品との出逢いがなければ今の僕はいません。「出逢い」ほど価値のある物はないかもしれないですね。仕事の対価としてすぐ金銭のお話が出てきますが、実は「出逢い」や「信頼」「経験」の方がお金で買う事が出来ない分、大切なんじゃないでしょうか。

――アニメ業界は大きく変わったというお話がありました。これから先、どうすればアニメーターは生き残れるのでしょうか。

アニメーターっていうか、私の場合だと背景スタッフを目指す人に向けてですが…。自分が「何を目的にしているのか」を、何でもいいからちゃんと決めたほうがいい。自分は「心を震わせる側になりたい」というのが永遠のテーマ。これは今後も多分変わらないし、震わせてるかどうかも今は分からない。

でも、そういう遠いところに目標を置けば、途中で辛くなったときも、目標を見失うことはない。「あの光に向かって走れ」という話ですから。その目標を見失わなければ、「こっちの道は行けないけど、あっちの道ならいけるかもしれない」という動きもできるわけです。

だけど、「その方向に走れ」ではなく、その場所に行くこと自体を目的にしてしまうと、着いたら突然「これからどうしていいの?」って話になるから、そういう目的をきちんと遠いところ(方向性)に置いてほしい。でないと全ての仕事が「やらされてる」になっちゃう。これ、でも背景だけの話じゃないと思うんすよね。全ての仕事に言えると思います。

■東地和生さんのプロフィール

higashiji
1974年生まれ、三重県出身。大学では油画を専攻後、アニメーションの背景会社に入社。『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』(2002)、『パプリカ』(2006)などの美術監督補佐を経て、現在はフリーランスの美術監督として活躍。 代表作は『AngelBeats!』(2010)、『花咲くいろは』(2011)、『TARI TARI』(2012)、『凪のあすから』(2013)『Charlotte』(2015)等、数多くのP.A.WORKS作品の美術背景を手掛ける。懐かしさを感じる街並み、印象的な海や空、物語を感じさせる情緒豊かな描写でアニメーションの世界観を作り上げている。

▼「Earth Colors」東地和生美術監督作品展▼


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