元AV女優の麻美ゆまが病気を乗り越えて今、伝えたいこと。26歳で卵巣・子宮を全摘出

元AV女優で、現在タレント活動を続ける麻美ゆまさん。彼女は2013年2月下旬、26歳のとき「境界悪性卵巣腫瘍」と診断され、卵巣と子宮を全摘出した。”元気印のゆまちん”と慕われて大ブレイクした麻美さんに、自身の闘病生活やAV女優として抱いた葛藤、そしていま女性や男性たちに伝えていきたいことを聞いた。
The Huffington Post

元AV女優で、現在タレント活動を続ける麻美ゆまさん。彼女は2013年2月下旬、26歳のときに「境界悪性卵巣腫瘍」と診断され、卵巣と子宮を全摘出した。

麻美さんは手術後、病名を世間に公表した。麻美さんに寄せられた声は励ましの言葉がほとんどだったが、一部ではAV女優という職業と病気に因果関係があると誤解し、「自業自得だ」との心ない偏見の声もあった。

麻美さんはそういった偏見とも正面から向き合い、芸能界復帰後は婦人病やがんの啓発セミナーなどで積極的に講演している。自身の闘病生活やAV女優として抱いた葛藤、そしていま女性や男性たちに伝えていきたいことを聞いた。

「嘘であってほしい」 異変に気付いてから、病気が発覚するまで

卵巣は『沈黙の臓器』とも呼ばれており、異常があっても症状が出にくく、腫瘍の早期発見が難しいとされる。麻美さんが体の異変を感じたのは、手術を受ける2カ月ほど前のことだった。

——体に不調を感じたのは、いつ頃だったのですか?

2012年の年末に、お腹が張るなとか、ちょっと便がゆるいなとか、それくらいの異変を感じました。薬を飲んでも全然治らなくて、これは休みを取ってでもちゃんと病院に行かないといけないなと思って、年が明けた2013年1月に診察を受けました。

——病院に行くまでは、腸炎など、消化器系の病気だと思っていたんですね。

はい。病院に行くと婦人科に回されて、かなりの量の腹水がたまっていて、子宮内膜症の疑いがあると診断されました。先生から「周囲から痩せたと言われませんでしたか?」といったことも聞かれて、心当たりがありました。病院に行く1年ほど前から、会う人に「すごく痩せたね」と言われることが多かったんです。

——子宮内膜症という病気については、どの程度ご存知でしたか。

病名は知っていましたが、実際どういう症状が出て、どういう治療が必要なのか全くわからなかったので、ネットで子宮内膜症について調べました。自分の身に何が起こっているかわからないのって、本当に不安なので。ネットって情報が溢れすぎているので、信用できるサイトを探すのは大変でしたが、わかりやすい情報が載っているサイトもあったので、私は調べてよかったと思っています。

これはもう真実なんだなって、受け止めた

そして2月1日、麻美さんはCT検査の結果、悪性腫瘍の疑い、つまり卵巣がんの疑いがあると診断された。そこで、子宮と卵巣を全摘出する手術を受ける必要があることも告げられた。

——告知を受けた時は、どのような気持ちだったのでしょうか。

もう…「へっ?」という感じ。卵巣がんの症状が自分に当てはまったこともあったので、7割方ぐらいはもしかしたらみたいな気持ちはありました。でも、やっぱり信じられない気持ちで…告知を受けて、「卵巣と子宮を全部取る?子ども産めない?」と混乱してしまい、先生の言っていることが全く耳に入ってこない状態になりました。

——卵巣がんの疑いと告知を受けたあとも、何カ所かセカンドオピニオンを聞きに行ったと自伝に書かれていました。

はい。3軒くらい行きました。その時は、自分が病院に行っていること自体が信じられないという状態で、藁にもすがる思いで他の病院を回りました。でもやっぱりどこに行っても同じような返答がきてしまって、これはもう本当に真実なんだなって、受け止めました。

——ただ手術前までは、あくまで卵巣がんの疑いであって、「境界悪性卵巣腫瘍」という病名診断は受けていなかったんですね。

私も病気になって初めて知ったんですが、結局手術でお腹を開けてみるまでは、卵巣の病気ははっきり診断できない。だから、「10人の先生がCTスキャンの結果を見たら全員が悪性を疑うでしょう」という説明を受けました。そこで卵巣子宮の摘出手術の話や、人工肛門をつける可能性もあるかもしれないと言われました。

病気に負けちゃうのってすごく嫌だ

そして麻美さんは2月25日、子宮と卵巣、そして大網(胃の下にある腹膜)を全摘出する手術を受けた。手術中、開腹した状態で行われる「術中迅速診断」の結果、麻美さんの病気は卵巣がんではなく、「境界悪性卵巣腫瘍」と診断された。

“境界悪性”とは、良性と悪性の間の性質を持つ病変。この病気は初期の段階で発見されることが多いが、麻美さんの腫瘍の進行期は「ステージIIIb」だった。ここまで進行した状態で境界悪性の腫瘍が見つかるのは稀だという。

卵巣がんではなかったことが判明し、腫瘍の進行具合から人工肛門はまぬがれたが、26歳という若さで麻美さんは卵巣・子宮をすべて失った。そして手術後は、つらい抗がん剤治療が待っていた。それでも麻美さんは心を強く保ち続け、芸能界復帰を目指し、闘病生活を送った。

——26歳で卵巣と子宮を全摘出するというとても厳しい現実と直面されても、麻美さんは仕事復帰に向けて、心を強く持ってがんと闘い続けました。その強さを保つモチベーションとなったものは、なんだったのでしょうか。

病気で、今まで自分が培ってきたことを終わりにしたくなかったんですよね。「病気になりました、だから仕事を辞めます」って、私にとって不本意でしかなかった。自分が仕事を辞めることを決めたわけじゃなくて、病気をきっかけに辞めざるを得ないという状況はすごく悔しいし、嫌だったんです。

麻美ゆまはこのままでは終わらない、という決意もありました。「病気に負けちゃうのってすごく嫌だ」「私の人生を病気が持っていってしまうなんて嫌だ」、そういう負けたくないという気持ちでいました。

入院中の麻美さんの写真。

——「病気に負けたくない」という気持ちがモチベーションになっていたんですね。

このままじゃ終われない、みたいな。一緒に仕事をしてきた人たちは、病院の外で今まで通り仕事をしているわけじゃないですか。私は病室にいて、また仕事ができるかわからない状況なのに。強がってはいても、自分だけ取り残されているような感覚に陥って、妬むまではいかないけど「なんで私だけ?」と思うこともありました。

——そういった気持ちも、早く復帰したいという意気込みにも繋がったのかもしれないですね。抗がん剤治療で髪の毛が抜けてしまう前に、好きな髪型にしようと刈り上げにチャレンジされていました。それも麻美さんの強さを物語っているなと感じたんですが。

女性にとって髪の毛ってすごく大事ですけど…髪の毛は抜けても生えてくるだろうと。それ以上に、子どもを産めなくなる、臓器が失われるということは戻せないじゃないですか。全摘出をしたことの方が本当に悔しかったし、虚しかったので、「髪の毛なんて」という気持ちでした。どうせ抜けるんだったら自分のしたい髪型を楽しんでやって、「どうぞ抜けてください」みたいな気持ちの方向に自分を奮い立たせました。だって、もうその状況から逃れられないんですもん。

抗がん剤治療中、刈り上げヘアに挑戦した。

——自伝「ReStart~どんな時も自分を信じて~」(2014年刊行)では、ご家族や友人、仕事仲間などの支えがあったから闘病生活を乗り越えられたとも語られていますね。

はい。仕事でいうと、あの時の私にとって、恵比寿マスカッツはすごく大きな存在でした。恵比寿マスカッツの解散ライブに出るという目標がなかったら、病気と向き合う気力は違っただろうなと思っています。

あとは、当時お世話になっていた演出家の方に「あなたは、病気を治すことが仕事なんです」と言われたことも大きかったです。その言葉があったから闘病に専念できました。病気に負けないように動かなきゃと思い込んでいた自分もいたんですが、「そうか、今の私の仕事は病気と闘うことなんだ」って。

仕事仲間も忙しい中時間を作ってお見舞いに来てくれたりとか…とても嬉しかったです。人のパワーってこんなにも心を動かすんだな、ということをすごく感じました。

——まわりの支えがあって、闘病生活を乗り越えられたんですね。

そうですね。あと、治療中とは言え、いつも全く動けないわけではなかったので気分転換もできました。1カ月に1回抗がん剤治療を受けていたんですが、4週目くらいはちょっと動けたりするんです。動ける時はそれまでしたことがなかった裁縫をしたり、家庭菜園をしたり、料理もたくさんしました。闘病生活中は味覚変化が起きて、味が全然わからなくなっちゃうんですけど。これだったら食べられるという料理を作ってました。前はあまり料理に使わなかったニンニクとかも、この機会だからがっつり入れてやろうってしてみたり。

そういう小さなことなんですけど、月1の抗がん剤治療でやってくる動けない時間のために、時間を大事に使おうってすごく思えるようになりました。動ける時間が限られていて、ただご飯を食べられるだけでこんなに幸せなことなんだって改めて実感できました。これは、ある意味病気になってなかったら気付けなかったことです。病気に感謝しているというのは言い過ぎかもしれないですけど。

病気と因果関係はないのに、「セックスのやり過ぎでそうなったんだろう」

——抗がん剤治療中に、世間に病名を公表しようと決断したのはなぜだったのでしょうか。

心配してくれるファンに嘘をつきたくなかったというところが一番の理由です。あとは、自分の病気がすごく発見しづらい病気ということも目の当たりにして、私が公表することで、少しでも誰かの体に対する考え方に影響を与えられたらというのもありました。

2013年10月には、YouTubeに抗がん剤治療を終えた旨を報告する動画を公開した。

——公表したあとの反応はどうでしたか。

「早く元気になって」という声や、同じ病気で闘っている方から「大丈夫だよ、頑張ってね」というような励ましの言葉をたくさんいただきました。AV女優という職業をしていましたし、がんが見つかった場所が場所なだけに、いろいろ言われるんだろうなという覚悟は持っていました。でも、それ以上に励ましの声が多くて、ありがたかったです。「自業自得だ」とか、誹謗中傷もありましたけど。

——AV女優という職業と病気を結びつけるような誤解があったんですね。

例えば、露骨に「セックスのやり過ぎでそうなったんだろう」とか、「AV女優だから仕方ないな」とか。あとすごく驚いたのは、「卵巣の病気になった」と伝えたのに、「子宮がんになったらしい」とか全然違うことを言っている人もいたこと。間違った情報が流れていることにびっくりしました。

女性にとって、卵巣と子宮って全然違うものじゃないですか。でも、男性の中には「女性器=たぶん子宮」と考えてしまう人って意外にいるんじゃないかなと思いました。

——男性と女性のカラダは異なりますし、子宮や卵巣について詳しく知らないから、そのような考えが生まれてしまうのかもしれないですね。

そうですね。それはすごく実感しました。

私も、そういった意見をもらって、私の病気とセックスに因果関係があるのかなと不安になってしまったこともありました。同じ病気で苦しんでいる人もいるのに、私が病名を公表したことで変な誤解が生まれてしまったら、その方たちにすごく申し訳ないとも思いました。AV女優が卵巣の病気になったと公表することで、誤解や偏見が生まれてしまうのは嫌だった。でも、先生に聞いたら「因果関係はない」(※)と。だからここは、私が伝えていくしかないなと思って。

(※)性交渉による感染などによって卵巣がんが発症するという医学的根拠は証明されておらず、卵巣がんの発生リスクは生活習慣・出産歴・遺伝的関与など複数の要因が関わっているとされる。/ 国立がん研究センターより

——病気を公表されたのは2013年ですが、今でもそういった偏見や誤解は多いと思いますか。

当時より減ったと思いますが、病気とか関係なしに、偏見自体をなくすことって難しいと思います。病気を公表した当時は、自分自身が周囲の反応に対してすごく過敏になっていたので、ひとつ一つの言葉がグサグサ突き刺さっていたというのもあるんですよね。いろんなことを経て、信頼できる人の支えもあって、誰かの言葉で傷つくことはもちろん今もありますけど、動じないようになりました。けどやっぱり、偏見とかはなくならないのかなと思っちゃいますね。

「ちょっと先生診てよ」と頼れるようなお医者さんとの出会い

——麻美さんは今、芸能活動のかたわら、婦人科がんや自身の経験について語る講演活動も行なっています。講演活動を通して、どういったことを女性たちに伝えたいと考えていますか。

常に自分の体の変化に敏感でいるということは意識してほしいなと思います。それこそ、私も病気に気づいたのって便の調子が悪かったりとか、そういう小さな変化だったので。「自分の体をよく知る」ということは心がけてほしい。

私は病気が発覚する前から定期検診をしっかり受けていたんですが、卵巣が腫れているから大学病院などで検査を受けた方がいい、と言われたことがあったんです。ただ、その時は深刻な体の不調を感じていなかったこともあって、重く受け止めず、精密検査を受けなかったんです。あの時、先生の言う通りに大きな病院でしっかり検査を受けていればよかった、とすごく後悔しました。

だからこそ、かかりつけのお医者さんをなるべく早めに見つけてもらいたいなと思います。信頼できるお医者さんを探すことも大事です。何でもない時でも「ちょっと先生診てよ」みたいな、そういう関係が築ける先生との出会いを見つけることって、望ましいですよね。

——信頼できるお医者さんと出会うというのは、なかなか難しいですよね。個々で合う合わないがあるでしょうし。

そうですね。でも私は、手術を受ける前に、自分の気持ちを最後まで先生に強く伝えられなかったなという後悔があるんです。手術前は、卵巣がんの疑いがあると診断されたけど、結果蓋を開けてみたら「境界悪性卵巣腫瘍」で、悪性よりはよかったんです。でも、その時はそういった説明がなかったんですね。

お医者さんは最悪のケースを想定して患者に伝えないといけないということもあって、そう説明を受けたんですけど…想定よりも良かった場合の説明を、どうしてしてくれなかったんですかと今でも思うんです。全ての可能性を話してもらいたかったなって。

——もしその時に信頼関係のあるかかりつけのお医者さんがいたら、麻美さんの思いを汲んだ上で、あらゆる可能性についてお話できたのかもしれないと。

もしあらゆる可能性を聞いていたら、「子どもを産める可能性が1%でもあるなら、臓器を残してください」と手術前に伝えられたかもしれないと思って。「命を天秤にかけるわけにはいかないから、臓器を残すことは無理」と伝えられていたから、そういった希望は言ってはいけないと思ってしまった。難しいかもしれないけど、自分の思いを全部お医者さんに伝えらなかった後悔の方が、やっぱり今でも大きいから、伝えられていたらなと思います。

——そういった後悔をなくすためにも、定期的に病院に行ったり、体に対して敏感にいてほしいと思うんですね。

体に異変がない時に病院行くのって勇気がいりますよね。だけど、結局「いざ」という時に通院にかかる時間、休まなくてはいけない時間、必要なお金を考えたら、何もない時でも「先生ー」って頼れる環境がきっと一番いいんだろうなって。世間話をしにいくみたいな。

——最後に、麻美さんは今年(2017年)3月24日に30歳という節目を迎えられました。これから、どのような女性になりたいと思いますか?

やっぱり、いつまでも自分らしさを忘れずに、自分らしく生きていきたいなと思います。30歳の節目を迎えるとなって、「私はこのままでいいのかな」とか悩んだりしました。私は昔から元気な子だったんですけど、30超えたら「元気」ってうるさくないかなとか。でも結局、ダメな自分もいい自分も認めてあげることが一番だと思います。美しくて気品がある、いわゆる理想的な女性像になりたいというような目標も大事だと思うけど、根本にある「自分らしさ」を忘れてはいけないということを感じています。

麻美さんに、男女間でカラダについてオープンな会話をすることについても意見を聞きました↓

【麻美ゆま:プロフィール】1987年、群馬県出身。2005年にAV女優としてデビュー。メーカー2社による異例の同時デビューを飾った。その明るさで"元気印のゆまちん"と慕われて大ブレイクし、いくつもの賞を受賞した。2010年から2012年、アイドルグループ『恵比寿マスカッツ』の2代目リーダーを務めた。現在は講演活動に参加しながら、タレント活動を続けている。

ハフィントンポストでは、「女性のカラダについてもっとオープンに話せる社会になって欲しい」という思いから、『Ladies Be Open』を立ち上げました。

女性のカラダはデリケートで、一人ひとりがみんな違う。だからこそ、その声を形にしたい。そして、みんなが話しやすい空気や会話できる場所を創っていきたいと思っています。

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