セウォル号が3月23日、姿を現した。
この短い文章には、1073日という時間と、悲しみ、怒り、そして疑念がこもっている。
2014年4月16日、大型旅客船「セウォル号」が韓国南西部の珍島(チンド)沖で沈没し、修学旅行中の高校生ら295人が死亡した事故は、世界に衝撃を与えた。9人はいまだ行方不明のままだ。
3年ぶりにセウォル号の引き揚げ作業が本格的に始まったが、では、なぜこれほど長い時間が必要だったのだろうか?
■セウォル号引き揚げは簡単ではなかった
まず、基本的な前提として、セウォル号の引き揚げは決して簡単な作業ではない。
セウォル号は、韓国の旅客船の中でも最大規模の6825トン級の船だ。その巨大な船は水深44メートルの海に完全に沈んだ。流れが速いことで有名な「メンゴル水道」の海の下だ。
セウォル号は船体を切断せずに引き揚げられた。海洋水産省は当初、引き揚げ業者の入札公告で、船体を切断せずに引き揚げることを基本条件とした。まだ船内に残っているかもしれない行方不明者が損傷する可能性などを懸念したためだ。
このすべての条件を考えれば、世界的に類似の事例は皆無だと韓国政府は説明する。
技術的に注目されたのは、タンデムリフティング(Tandem Lifting)方式で解体せずに引き揚げる世界初の超大型船引き揚げという点だ。2隻のバージ船に載せたクレーンでセウォル号を引き揚げ、半潜水式の船に移し替えて移送する。韓国海洋水産省によると、2000年以降、事故で沈没した7000トン級以上の外国船舶15隻のうち14隻が引き揚げられたが、ほとんどが船体を解体した後の引き揚げだった。
セウォル号は堆積物を含めて1万トンを超えると推定される。長さ145メートルの超大型船舶だ。この規模の船舶を解体せずにタンデムリフティング方式で丸ごと引き揚げるのは前例がない。(中央日報、3月23日)
技術的な難しさはさておき、引き揚げ決定とその後の作業には、多くの混乱と迷走があった。
■2014年4月〜2014年11月 「最後の一人まで捜索を」
2014年4月23日、セウォル号沈没現場にクレーンが設置され、引き揚げが試みられた
韓国政府は、セウォル号事故の直後に引き揚げの検討に入った。
行方不明者の家族らには「乗客全員の生死が確認されるまで、引き揚げ作業をしない(キム・スヒョン西海海洋警察庁長)」と述べていたが、海洋警察は事故翌日の2014年4月17日に「珍島転覆旅客船セウォル号引き揚げ作業計画」という文書を作成し、20日からは本格的に引き揚げに取りかかった。すべては首相室の指示に従ったものだった。
政府が引き揚げを急いだのは、セウォル号乗客らの救助に失敗し、悪化した世論に対応するためとみられる部分もある。2014年4月25日付の文書では、「引き揚げ計画・日程計画など先制対応を通じて、捜索・救助から引き揚げへ局面転換の過程において、提起されうる非難世論の防止」と書かれている。(『ハンギョレ21』第1145号、1月9日)
2014年4月17日、行方不明となった親族の救出を求める人々
行方不明者の家族は断固とした姿勢を貫いた。「迅速な引き揚げより最後の一人まで捜索が先だ」という意見だった。当時、野党「新政治民主連合」も遺族側に立った。行方不明者の捜索が終了するまで、誰も「セウォル号引き揚げ」を言い出しにくい状況が続いた。
その間、多くのことがあった。朴槿恵大統領は、救助を巡る数々の不手際が批判された海洋警察を解体すると発表した。警察は、賞金5億ウォン(約4970万円)をかけて、セウォル号の運行会社の実質的なオーナーだった兪炳彦(ユ・ビョンオン)会長の身柄確保に乗り出したが、変死体となって発見された。
真相究明にあたる「セウォル号特別調査委員会」の設置を巡り、遺族や野党は捜査権と起訴権の付与を要求。与党は拒否し、激しく衝突した。結局、与党の意向がほぼ反映された。
■2014年11月〜2015年4月 技術的検討、そして引き揚げ正式表明
2014年11月3日、ソウル中心部の光化門広場に設けられたセウォル号遺族の座り込みテント(C)NEWS1
2014年11月11日に行方不明者の捜索作業が終了後、韓国政府は引き揚げに向けた技術的な検討に入った。海洋水産省傘下の官民合同「セウォル号船体処理技術検討タスクフォース」(TF)を立ち上げ、12月3日に初会合を開いた。
この間、朴槿恵大統領(当時)側近のキム・ジンテ議員(現・自由韓国党)が「子供たちは、(遺族の)胸に埋めるのです」とセウォル号を引き揚げないよう主張した。一部の「保守団体」が、セウォル号引き揚げ反対のデモをした。
韓国政府は、技術検討結果が発表されるまで、引き揚げの是非について沈黙を貫いたが、2015年4月8日、「セウォル号の引き揚げ費用」を発表した。セウォル号引き揚げに否定的な世論を形成しようとしていたのではないかと疑われた。
この疑惑は、朴槿恵氏を巡る様々なスキャンダルが吹き出した2016年の末になって、一部ではあるが、その真実が明らかになった。
青瓦台はセウォル号事故の真相究明を妨害し、遺族を隔離する「メディア戦略」を策定。「穏健な」遺族と「強硬な」遺族を分離して対応するよう注文していた。イ・ジョンヒョン青瓦台広報首席秘書官(当時)はKBSの報道局長に電話をかけ、報道に介入した。
2014年11月11日、裁判に出廷するセウォル号の船長
タスクフォースに遺族が参加できたのは最初の1回だけ。2、3回目は事後のブリーフィングのみとなり、その後の10回の会合は日程すら伝えられなかった。(ニュースタパ、2015年4月14日)
事故1年で実施された世論調査では、引き揚げへの賛成意見が圧倒的だった。
■2015年4月〜2015年12月 中国の業者が落札、混迷が始まった
2015年9月19日、ユ・ギジュン海洋水産相がセウォル号事故の現場に停泊している上海サルベージコンソーシアムの作業船を訪問し、記者の質問に答えている。(C)NEWS1
韓国政府は入札と価格交渉を経て、8月4日に引き揚げ業者に中国の「上海サルベージ」を主体とするコンソーシアムを最終確定した。半月後に最初の水中調査が始まった。入札金額は、851億ウォン(約84億6300万円)だった。
2、3位の入札金額は、それぞれ990億ウォン(中国企業、約98億4500万円)、999億ウォン(米国・オランダ企業、約99億3500万円)だった。入札に参加した7業者のうち3業者は脱落、1業者が失格となった。韓国政府は、セウォル号引き揚げの基本条件として「切断せずに引き揚げ」と「引き揚げ費用1000億ウォン(約99億4500万円)以内」を提示した。
当時、業者と政府は、2016年7月までに引き揚げが完了すると予想した。しかし、結果的に予想は外れた。作業が遅れ、特に中国国営企業の上海サルベージの技術力に疑問が提起され始めた。この会社が提示した「フローティングドック」方式が難航を重ねたためだった。
非公開の韓国政府の入札評価文書によると、技術項目で最も高い点数を受けたのはオランダ企業を中心とする「スミット・コンソーシアム」だった。見積もりとして1485億ウォン(約147億6800万円)を提示していたが、海洋水産省が事業費を1000億ウォンに制限したため、最終的に入札を放棄した。(ニュースタパ、2015年8月28日)
スミット・コンソーシアムが提示した1485億ウォンと、上海サルベージの851億ウォン。634億ウォン(約64億円)を惜しんだ対価は引き揚げ失敗、そしてさらなる時間の浪費だった。
引き揚げ作業の見学から排除されたセウォル号事故の遺族は、9月から現場近くの東巨次島(トンゴチャド)に小屋を建て、引き揚げを監視し始めた。
■2016年1月〜2016年12月 誤算に次ぐ誤算で作業は長期化
2016年4月14日、上海サルベージのワン・ウェイピン現場総監督が、セウォル号引き揚げ作業の主要工程や今後の計画を説明している。(C)NEWS1
浮力を確保して船体の重量を減らす作業が3月末に始まり、6月には船首を持ち上げる工程に着手した。しかし、予想に反し、作業は7カ月以上遅れた。
引き揚げのための鉄製ビームを船体の下に設置しようとしたが、海底の土質があまりにも硬く掘削作業が遅れた。1カ月と予想していた工程完了が5月に伸びた。
船体を水中で浮かせるための浮力の確保も遅れた。上海サルベージ側は、セウォル号内部のタンク18個に空気を注入して浮力を確保する計画だったが、実際に調査してみると、部分的に使えたタンクは10個だけで、浮袋となるエアポンツーン(pontoon)を船体各所に追加設置するために33日を要した。(NEWS1、1月29日)
2016年10月31日、セウォル号事故の遺族が引き揚げ工程の変更についての会見を見守っている。(C)NEWS1
「7月まで」が「年末まで」に変わり、2016年11月11日には韓国政府は「年内引き揚げは困難になった」として、引き揚げ方法を変更すると発表した。最初の入札で別の業者が出した方式と同じだった。結果的に、1年の歳月が無駄になった。
遺族らでつくる「4.16家族協議会」引き揚げ分科長のチョン・ソンウク氏は11月23日、ラジオのインタビューでこう語った。
「私たちが見る限り、一生懸命やったことは確かです。が、人間が一生懸命やっても、技術の裏付けがなければ船は浮かんでこない。率直に言えば、上海サルベージではだめだったということです」(CBSラジオ「キム・ヒョンジョンのニュースショー」、3月23日)
韓国政府は、12月までだった上海サルベージとの契約を2017年6月までに延長した。契約金額は916億ウォン(約91億1000万円)に膨れあがった。引き揚げの遅延に誰も責任を負う人はいなかった。
セウォル号特別調査委員会のクォン・ヨンビン常任委員は、こう批判した。
韓国政府が発表したスケジュール通りに進んだものは一つもなかった。「予期せぬ技術的な欠陥」予期せぬ気象条件」「予期せぬ海底の状態」、「予期せぬ潮流」などを口実に、セウォル号引き揚げの遅延は政府に何の関係もないという態度で一貫した。ハンギョレへの寄稿
■2017年1月〜2017年3月
引き揚げ方式を変更してから、セウォル号が引き揚げられるまで、わずか4カ月だった。3月7日、キム・ヨンソク海洋水産相は「4月初めの小潮(干満差の少ない時期)にセウォル号引き揚げを試みることができるだろう」と発表した。
そして、引き揚げは、政府の予想よりも早まった。試験引き揚げは一度失敗したが、事故から1072日目の2017年3月22日、試験引き揚げと本格的な引き揚げ作業が始まった。
翌23日未明、ついにセウォル号は水面上に姿を現した。
2014年4月17日、乗船者の家族が待機する珍島の体育館を訪れた朴槿恵大統領。16日の事故発生直後には、初動対応が遅かったという「空白の7時間問題」も指摘された
朴槿恵(パク・クネ)前大統領の弾劾がセウォル号引き揚げの時期にどう影響したのかは明らかではない。ただ、これまでの状況から、韓国政府と引き揚げ会社の失策が最大の原因だったことは明らかだ。
韓国政府がもう少し早く引き揚げを決めていたら、政府が引き揚げ予算をもう積み増していたら、政府が専門家の意見を参考に、状況を客観的に判断して、もう少し早く引き揚げ方法を変更していたら、政府がもう少し積極的に引き揚げを急いでいたら、セウォル号はもう少し早く引き揚げられていた可能性が高い。
たとえ故意ではなかったとしても、韓国政府は国民の信頼を得ることに失敗した。救助、真相調査、引き揚げなど、セウォル号事故の全過程でふくらんだ政府への不信。「政府は私を守ってくれない」という認識。あちこちで明らかになった政府の無能と無責任。
おそらく、それは最も高価な「セウォル号事故のコスト」かもしれない。遺族と行方不明者の家族はもちろん、韓国社会が痛みを伴って支払わなければならなかったコストだった。
ハフィントンポスト韓国版に掲載された記事を翻訳・編集しました。
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