野球やサッカーは、世界で活躍する日本人が出てきたが、アメリカンフットボールはハードルが高いようだ。外国人選手との体格の差があって競技人口も少なく、アメリカのプロリーグ「NFL」には日本人の選手もヘッドコーチもいない。
そんな中、「NFLに限りなく近い日本人」と期待され、現在はアメリカの名門、スタンフォード大のアメフトチームのコーチを務める人がいる。大学を卒業後にリクルートの関連会社の営業マンとして働いた経験をもつ河田剛さん(44)は、「サラリーマン魂」を武器に日々戦っている。
■どうして日本ではアメフトが広まっていないのか
河田さんは、チーム全体を束ねるヘッドコーチ(監督)を「右腕」として支えるアシスタント数人のうちの一人で、相手チームの守備の分析や攻撃側の戦術プランニングを手伝う。
スタンフォード大学のフットボールチームは1891年に発足した名門。全米各地から、トップクラスの選手やコーチが集まる、NFLへの登竜門のようなチームだ。監督の年収は数億円にのぼることもある。
「もちろん夢はNFLです。人と違うことをやり続けていたらここまで来たんです」。
そう話す河田さんは、高校時代は野球をやっていた。城西大学に入学後、中高生時代にテレビを見て気になっていた、アメフトを始めた。攻めの最前線の「オフェンスライン」の一角として活躍し、卒業後は営業マンとして働きながら、「リクルート・シーガルズ」の選手やコーチとして活躍した。
アメフトは、プレイ中に何度も中断し、選手同士や監督が話し合いながら戦うスポーツだ。体力と同じぐらい、知力がモノを言う。守備の選手がタックルすれば観客が沸くし、1本のキックを成功させるためだけに存在するポジションもあり、誰もがスターになれる。
「ある日、こんなに面白いスポーツが日本で広まらないのはなぜだろうという考えがふつふつと沸いて来たんです。アメフト界のイチローをつくるためには、アメリカの内部のことを知る人間が必要だと思いました」。
■日本式「飛び込み営業」が武器に
NFLだけでなく、アメリカではNCAA(全米大学体育協会)のカレッジフットボールの人気が高い。まずは、大学をステップにプロのコーチになる夢が芽生えてきた。
2007年の7月下旬、会社をやめて、以前からあこがれていたスタンフォード大学のアメフトチームの事務所を訪ねた。見ず知らずの日本人の訪問にアメリカ人のスタッフは面食らった。
ここで役立ったのは、日本のサラリーマン時代に学んだ「飛び込み営業」の技術。「アイ・アム・レディ・トゥ・ワーク(いつでも仕事ができます!)「コピー取りでも何でもやらせてください」と頭を下げ続けた。
冷たくあしらわれた。「ここで働くことはそんな簡単ではない」。河田さんは、「オフィスの机も給料もいらない」と食い下がった。翌日、もう一度訪問した。
往年のNFLのスターで、監督として絶大な権力を握っていた、ジム・ハーボー氏が機嫌が良いときを狙い、再びアタック。彼が選手だったときのプレーを学生時代にテレビで見たことを伝え、「すばらしかった」「感動した」と、ひたすら持ち上げた。日本のサラリーマンなら、誰もが毎日のように使っているテクニックだ。
監督も、情熱に押され、2007年のシーズン終了までチーム帯同が許された。
■細かい仕事
河田さんと現ヘッドコーチのデービット・ショーさん(右)
現地に住む日本人の友人の夫婦家に寝泊まりさせてもらいながら、こう考えた。「もし自分がいなくなったときに、みんなが困ってくれたら勝ちだ。そうすれば来年も戻って来い、と言ってもらえる」。
アメフトは、1チーム数十人の選手が複雑に動き回るスポーツ。選手のデータだけでも膨大だ。そうした資料を色とりどりのグラフを使って作り直し、ファイルにまとめた。エクセルのデータを見やすくするための「プルダウン」メニューを加えるなど、小さな改善を繰り返した。
アメリカ人スタッフは決して「大ざっぱ」ではなく(それは偏見かもしれない)、こうしたことを「優先順位の低いこと」として後回しにすることが多かったという。スタッフや選手は大喜び。河田さんが、ちょこまかと動き回ることで、チームの運営がなめらかになっていったそうだ。大学で学んだ経済や統計の知識にくわえ、日本のサラリーマン時代に鍛えられた「丁寧すぎる資料づくり」が力となった。
■「あの資料はどこにあるんだ」
3カ月たったあと、一度日本に帰ってきた。河田さんがいなくなった途端、メールや電話が止まらなかった。「あの資料はどこにあるんだ」「TK(河田さんのニックネーム)がいないと、チームの情報がうまく共有されない」——。「作戦」通り、みんなが困った。その後も、スタッフの一員としてチームに帯同を続け、2011年に正式なアシスタントとして大学に採用された。
ビザの更新が間に合わなかったため実現しなかったが、その間、NFLのプロチームからコーチ就任の打診も受けた。今後は条件次第で、日本人のプロのアメフトコーチが誕生する日も近いかもしれない。
スタンフォード大学監督のデービット・ショーさんも、河田さんは十分NFLで通用するとした上で、こう話す。
「TKは、コミュニケーションの能力が高く、フットボールコーチに必要な、『敵の戦術を分析し、それを我々の戦術に生かす』という力に長けているんだ。後は、ハードワーカーであることかな。最近は、私のやり方に慣れてきて、そうでもないが、一緒に働き出した頃のTKは、いつ寝ているのかわからないぐらい、ずっとオフィスで仕事をしてたよ。彼がいなければここ数年の我々の成功はなかった」
「彼は、相手チームの戦術や動きを数字化して分析することに長けている。NFLや有力大学は、それぞれ数字に特化したアナリストを採用しているが、彼らは nerd(頭でっかち、一種のオタクの意)で、フィールドで選手と面と向かってプレーを教えることはできない。TKはそこができる」。
■アメフトより遅れている? 日本のビジネス
「日本のサラリーマンの技術」を生かした河田さんだが、米国のアメフト界から日本のビジネス界が学ぶことも多いという。
アメフトは体と体がぶつかり合うスポーツでケガをする選手が少なくない。そのためNFLではチーム側と選手側がさまざまな取り決めを行っており、「1回あたりの練習時間」「週末の練習の可否」「1カ月でおこなっていい練習の数」などが事細かく決まっている。
スタンフォード大学でも練習は週に20時間のみ。試合もおよそ「3時間分」として数えられるため、実質17時間しかない。シーズンがオフの間は、原則全体での練習は禁止だ。NCAA(全米体育協会)が厳しくチェックしている。勉強がおろそかになるのを防ぎ、学生選手の健康の管理にもつながっているという。
練習時間が限られている分、監督やコーチが毎年、数千人のアメフト関係者が集まる「コンベンション」と呼ばれるイベントで、効率的な指導法を勉強する。最新のトレーニング方法から道具の使い方、選手の栄養摂取の研究まで、大小の数十カ所の会場でひっきりなしに研究会が開かれているという。
■意外な場所で就職活動
河田さんは、2008年以降、様々なコンベンションに参加してきた。ライバルチーム同士が一緒に勉強している姿を見て驚いた。日本のスポーツ指導者(あるいはサラリーマン)と比べて、「ノウハウを惜しみなく見せ合う」文化が根付いていると感じたからだ。
会場には求人票が並び、監督とコーチがコーヒーを飲みながら「面接」をしている様子も見られた。就職活動の場にもなっているのだ。
人材が流動的で、「学閥」や「先輩・後輩」にとらわれずに良い人材が良いチームに行く。アメフト業界には、企業広報のプロ、弁護士、経営者、統計の専門家などありとあらゆる人材が関わっていることも特徴だという。
「アメリカに来て、日本人の『サラリーマン技術』を現地のスタッフや選手が面白がってくれたから、自分を受け入れてくれた。そんな気遣いまで日本人はするのかって」。
「アメリカのスポーツ界は、自分たちとは異なる業界から学ぼうという姿勢があるし、逆に、社会全体も、スポーツのプロからビジネスや改革のヒントを見つけようとするんです。そうしたことも今後は日本に伝えていきたい」。
スタンフォード大学のフットボールチームの勲章。大きな試合に勝つとリングがもらえる