往年のハリウッド女優、ザ・ザ・ガボールさんが12月18日、99歳で死亡した。TMZによると、死因は心臓発作だという。
全盛期、世界で最も有名な女性の一人だった。悪びれることのない贅沢なライフスタイルと、魅力的でセクシーなイメージで知られ、60年以上の間、世間の注目を集めてきた。ガボールさんは晩年、表舞台から離れたが、古き良きハリウッドのセックスシンボルであり続けた。
軍人とヨーロッパの資産家の娘として、本名シャーリ・ガボールは1917年2月6日(彼女の誕生した年は、生涯を通じて論争の的となってきた)に、ハンガリーのブダペストで生まれた。幼少期から自分のことをザ・ザと呼ぶようになり、1934年に有名なオペラ歌手リヒャルト・タウバー氏によって見出され、スーパースターの道を歩み始めた。
『Lovely to Look At』(1952)、『赤い風車』(1952)、『悪党の死』 (1956)、 『惑星X悲劇の壊滅』 (1958) 、オーソン・ウエルズの『黒い罠』 (1958)で銀幕に名を残したが、彼女の名声を何よりも高めたのは、当時の最高のハリウッドスターとの ロマンスであり、『20世紀に最も成功した売春婦』という奇妙な称号も与えられた。
1958年の『惑星X悲劇の壊滅』のポスター。
彼女の9人の夫(ガボールは8人だったと主張している)のうち、トルコの外交官、ホテル王コンラッド・ヒルトンとは一子を設けており、フランチェスカ・ヒルトン、俳優のジョージ・サンダースらも「元夫」に名を連ねている。ショーン・コネリー、ジョン・F・ケネディ元大統領、リチャード・バートンらとも噂になり、タブロイド新聞を賑わせ続けた。
「女の子なら誰でも、人生で少なくとも1度は結婚すべきです。これは絶対必要なことです」。1970年に出版した本『男をキャッチする方法、男をキープする方法、男を捨てる方法』で書いている。「一旦結婚したら、あなたはミセスです。そしてその結婚が上手くいかなくても、その称号は剝奪されることはありません」。
彼女のスクリーンの輝かしい足跡とロマンスでの名高さに加えて、「わたしは奇跡の主婦です」など、愛と結婚に関して、ヨギ・ベラのようにウィットに富んだ名言を機転を利かせて発することで人気があった。「男と別れるたびに、私はその男の家をもらいいます」。または「私は親切で理解のある男を求めています。億万長者にそれを望むのは、欲張り過ぎですか?」。
おそらく、彼女の性格を象徴する出来事は、1989年に彼女が逮捕されたことだろう。有効期限の切れたナンバープレートを付けて、白いロールス・ロイス・コーニッシュを運転、自分を停車させたビバリーヒルズの警官を張り倒した。彼女は刑務所で3日間過ごし、2年後に示談として処理された。
1986年に、最後の夫となるプリンス・フレデリック・フォン・アンハルト氏と結婚した。ドイツの皇族の養子で、およそ30歳年下だった。結婚したことで、プリンセス・フォン・アンハルト、サクソニー公爵夫人の称号を冠せられ、ついに彼女がなりたくてたまらなかったプリンセスになった。
ザ・ザ・ガボールさんとプリンツ・フォン・アンハルト氏
2002年、自動車事故で重傷を負って車椅子生活となり、これが深刻な衰えにつながった。3年後には脳卒中を患った。2011年1月には血液凝固の感染症が悪化して、右足を切断せざるを得なくなって寝たきりとなり、フォン・アンハルト氏の24時間介護が必要となった。
2016年2月に、栄養チューブからの肺感染で呼吸困難に陥り、再び入院した。アンハルト氏の介護もあって、3月はにチューブを交換する外科手術の準備のために帰宅した。フォン・アンハルト氏は、それでも彼女が100歳まで生きるだろうと信じていた。
「自宅で、彼女の100歳の誕生日を祝えることを、そして彼女がお義母さんと同じ年になるまで生きることを願っています」と同氏はエンターテイメント・トゥナイトで述べた。「彼女のお母さんは103歳でした」。
一人娘のフランチェスカさんとの関係は生涯にわたってこじれていた。フランチェスカさんは2015年の1月に、67歳で死去した。その5年前、フォン・アンハルト氏は妻とともに、娘を詐欺偽造罪で告訴した。ザ・ザが裁判所で宣誓供述書に署名することを拒絶し、この訴訟は取り下げられた。亡くなる前にフランチェスカさんは、「私の母はプリンセスになりたかったので、結婚して悪の女王になったのです」と語っていた。
新たなセレブ時代の先がけとなった女性だった。この新たな時代は、私生活が、スクリーンの演技と同じくらい目が離せないものになっていた。彼女の晩年は健康問題と悲劇で苦しいものだったが、親友のエリザベス・テイラーが亡くなった後、「次は私」と繰り返し言いながらも、美しく気楽なハンガリーのプリンセスのイメージを守るために全力を尽くした。
「女性にとって、本当に重要なものは、ご存知のように、美しくて知的であることもさることながら、楽しくあることです」とガボールさんは書いていた。
彼女の人生を振り返って、言うべきことは一つ。いい仕事したよ。
ハフィントンポストUS版に掲載された記事を翻訳しました。
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